指導者とは
現行日本連盟規約には、指導者を選任するにあたり、どういう人を選べばよいかという基準が、隊別ごとにわけて示してある。即ち、402・421(年少隊)447・448(少年隊)478・479(年長隊)509・510(青年隊)、ただしこれは隊長と副長とについて主として示してある。その要旨は、青少年を託するに足りる品性と経歴、そして講習会の課程を修了した者またはこれと同等以上の資質と経験を有する者、という。それと年令についての規定。
以上は決してまちがいでもなく、それでよいのであるが、「指導者とはどういう人であるか?」「あるべきか?」と詮索してみると、これはそう簡単にはいいきれない。隊長に適していても団委員には適さない人もあろう。コミッショナーには適しても隊長に適さない人があるかもしれない。それは性格や技術上の問題ばかりでなく、時間的余裕の有無とか住所遠隔などの理由も関連する。
極東地域の会議で、専従指導者の資格、という議題で討議された結論を見ると−−−(a)スカウト運動への信念(b)性格(c)教養(d)健康(e)年令(f)技術(g)若さ(h)人格(i)家庭円満−−−の9項があげてある。ただしこれは専従指導者(有給者)だけについてである。それにしてもボランティア(無給者)の人たちにも参考となるであろう。性格と人格との区別など、日本語ではちょっと、はっきりしないが、性格は固有のもの、人格は風格、品格の意味と考えてよかろう。
しかし、これにも、やはり足りないものを感じる。例えば、明確な宗教信仰心だとか、清廉潔白とか、ユーモアの必要とか、または就任後の精進性−−−実践躬行、精究教理、道心堅固とか。いろいろあると思う。また、その個々が立派な資質をもっていても、個々の完成だけでは、これまた駄目である。なぜか? と、いえば、この運動には、チームワークが絶対必要であるから、協働性のない人、つまり個人プレイの巧者は、いくら条件が完備していても失格だと考えられる。そのような人は、パトロールシステムがわかっていないからである。
何というても、子供からきらわれている人ではお話にならないであろう。また、感化力が欠けているならば、一体、何のためのリーダーかわからない。云うことは立派でも、ご本人が、実行していないならば、お手本とはならない。教育という仕事は、時間の長くかかるものであるから辛抱強い人でなければならない。無給指導者の場合は、何よりも生計が立っていて、時間的に奉仕の出来る人でなければつとまらない。そのため妻子をこまらすようでは、これまた困る。
最後に、指導者には、指導者の道があるということ。これは指導者コースだけをいうのではない。師匠をもつこと−−−。これが重要である。師匠の方では、自覚してオレは師匠だとは思っていないかもしれない。(実は、本当の師匠は思っていない。)けれども、こっちから見れば師匠だ。そういう人に師事し私淑した人が、こんどは後輩から、いつのまにか私淑されるようになる。その者が、また次の後輩から私淑される…。「道」というものは、古来、みな、このコースで相続されている。茶道、香道、華道等々「道」と名づけられるものことごとくそうである。若い人たちは、あるいは、封建制だとくさすかも知れないが、これは封建制とは異種なものである。これが「教育」というものである。
世の指導者諸君、あなた方は、何人かの少年たちから、現に、私淑されつつあることに気づかれたい。
これを指導者道という。
スカウティングにあっては、他の教育法にもまして、指導者道(Leadership)を強調していると私は思うからである。
(昭和36年1月13日 記)
ボエンの意義
再建10周年記念の大阪大会に、私は参加できなかったが、この前の大阪大会にくらべて企画の面でも非常に進歩していると耳にしている。もっとも、この前の大阪大会にも私は参加していないので、残念ながら、真相はつかめない。ただ、大阪で前後30余年のスカウト生活を送った私にとって、そのホームグランドを思う心は人一倍である。
今夏は、大阪の他に北海道、山形、福島、新潟、山口、愛媛、大分、福岡、長崎に県大会があった。私は、それを故佐野常羽先生のいわれた「実践躬行」Activity firstだと考える。スカウティングにおいては、まず実行である。活動である。実行第一である。理論は実行のあとから組み立てられる。はじめに理論があって、実行に移るのではない。この点、スカウティングが、学校教育などと大いに異なる点である。また、いくら理論にあかるくても、実地が出来なくては一つも役に立たないことになる。
佐野先生は、一に実践躬行、二に精究教理といわれた。この精究教理を先生は英訳してEvaluationfollows −−−評価がそれにつづく−−−と示された。前に述べたように、まず実行しその実行を評価反省して、初めて理論(教理)が組み立てられ、深められ、精究される。そこに初めて進歩が生まれ、自信が出来る。佐野先生は、第三として「道心堅固」(Eternal spirit)と、いわれた。
およそ自由教育やプロジェクト教育法において、一番肝要なことは、Evaluationである。これを講評とか、批判とか、反省とか、評価とかに訳す。スカウティングにおいてもこれは不可欠な要素である。
大阪のスカウトの先輩は、「ボエン」というスカウト語を創作した。それは今を去る33年前のことである。このボエンとは、当時の大阪語の、「ヒヨコタン、ボエンとやられた」という言葉が語源である。この「ボエンのくらわせやい」によって、大阪のスカウティングは伸びたのである。これは「相互批判」であり、「苦言」であり、「忠告」であり、「評価」であった。自分で気がつかない点を、一発くらわせられるのである。まことにスカウトらしい評価法である。
佐野先生は、当時たびたび大阪に来られて、このボエンのやりあいを激賞された。先生のお言葉によると、これは、禅僧の行う鉗槌(カンツイ)だと、座禅の時に、放心したり、なまけたりしていると、棒のようなものでピシッ!。 と先生はいわれた。
このボエンというスカウト語は、全国の実修所にゆきわたった。
さて諸君!
大会も無事に終わったと思うが、いかにそれが、意想外の大成功を収めたとしても、反省、評価を忘れてはならない。もし、それを欠くならば単なる行事に終わってしまう。教育でなくなる。精究教理とは、いたずらにスカウト書を読んだり、ディスカッションをすることではない。Evaluation(評価)がfollow(それにつづく)するのでなかったら、それは全然スカウティングとはならないのである。
めいめいのスカウトは自分で、班は班で、隊は隊で、団は団で、地区は地区で、県連は県連で、あるいはお互い同士で、8月下旬から9月にかけて、ボエンの最盛期でありたい。
もし、ボエンをひとからくわされて、腹を立てたり、いこん(遺恨)に思ったり、うらんだりするようなことがあったら、彼はまだ、スカウティングの達人とはいえないし、彼は、進歩の道を、自分でつぶしているということになる。
死ぬまで、ボエンをくわされるものは、さいわいである。彼は、師をもつからである。拓くべき未来があるからである。
(昭和33年8月6日 記)
真夏の夜の夢
朝です。朝食のあとかたづけや、テントの裾からげ、持ち物の整頓、工具の手入れ、革具の手入れ、サイトの清掃もあらかた終わって、手を洗ったり、服装を整えて、早い者はもう整列をし始めていました。点検の時刻にまもないひとときでありました。
突如として、所長と隊長が所員を連れて、僕の班のサイトにやってきました。あわてて整列しました。 所長は誰なのか、夢のお話なのではっきりわかりません。隊長もそうです。
『けさは、みんなの鼻の点検をする』と、所長はいいきりました。爪や、舌の点検はよくやるが、鼻の点検とは一体何だろうか? 班長の僕は、一瞬どぎまぎしました。
すると、1人の所員が、モノサシを右手にもって、僕の前へつかつかと進みよって、鼻の高さを測るのです。そして、何メートルとか大きな声で呼びあげると、隊長が「よし」といいながらノートに記しました。
こうして班の者全員におよんだと思うと、サイトのほかの部分は何一つ点検しないで、さっと立ち去ったのであります。一体僕の鼻は何メートルも高いのか?
その日の午前、計測法の講義があり、閑時作業として体尺(からだのモノサシ)が課せられました。眼の高さだの、両腕を左右にひろげた径間だの親指と人差し指を張った寸法だの…。だが鼻の高さの測定は指示されませんでした。
夢のなかで、いつのまにか僕は所長になっていたのです。そして、こんなことをしゃべっていました。
『鼻の高さは不定であるから、体尺に加えなかった。毎秒ごとに高さが変わるものであります。低くなっているときは、大てい劣等感をもったときであり、高いときは、優越感をもった場合であります。自己本来のペースというか、その人固有の鼻の高さというものは、有史以来誰も発見したものがないそうであります。そんなきわめて、たよりにならないものですから、実修所を終了したぐらいでお天狗になるならば、どういうことになるでしょうか?…。』
そのあとの言葉は忘れましたが、私の目の前には、誰一人も居ない。私は、寝床の中で目がさめました。
(昭和33年8月3日 記)
万年隊長論
現役第一線の指導者とは誰か? それは隊長である。−−−と答えて間違いあるまい。いかにベテランの指導者が雲のようにたくさん居ても、その人が現役の隊長でないならば、まずその席を現役の隊長にゆずるべきであろう。隊長の人格、識量、指導力を中心としてこそ、BSは組織として成立し得るものである。
隊がまとまらないでは、県連も、日連も成り立つはずがない。隊は班から成り立ち、その班というものがスカウティングの単位であることはいうまでもないが、いくら班が単位であったにしろ、一つの班というものは、登録の単位にはならない。いかにすぐれた班長があり、上級班長があっても、隊長が欠員の場合、それは完全な組織にはならない。
隊長として、最も苦しみ、かつ求めるものは何であるか? 育成会のBSに対するより大きな理解と財的後援、団委員会の教育に対する熱意と支援、それに加えて隊長への絶対の信頼−−−など、これがなければ実際にやれたものではない。
そのほか、県連、地区、小地区コミッショナーのよき訪問や、円卓集会での共励切磋(きょうれいせっさ)による指導力の成長、いろいろの指導資料の入手−−−これまた願うところである。
以上は、隊長就任以来1〜2年の隊長たちに、殆ど共通した苦しみであり、かつ請求である。この域をすこし経過し、3年4年と隊長経験を増すにつれて、次々と新たな苦しみと願求が起きる。いろいろと起きてくるが、真剣にやればやるほど起こってくるものは、結局プログラムのたて方と、指導技術の二つに帰着する。
もしこの二つに、あまり苦しみを感じない隊長があったと仮定すると、それは、いい加減にお茶をにごして、立ち廻りの巧みな隊長といってよかろう。彼等は、どうせ一年か二年したら、隊長をやめて、ベテラン顔をしたがる人種だろうから、問題外である。
問題になるのは、五年も六年も隊長をつとめ、恐らく十年以上の歳月をこれにぶち込むために精進する隊長である。これこそ、まことのベテランとなるような人物である。
日本のボーイスカウト再建後、日なお浅く、人物払底のため、目下のところすぐれた隊長は、コースリーダーや、コミッショナーの候補者に推されがちで、万年隊長を狙う愚直、地味、重厚な人物の存在をこばみがちであるが、もう三〜四年したら、日本にも本当に隊長らしい隊長が出現するであろう。
こういう、真に苦しみ、真に求める人々のために、隊長研修のコースをもちたい。万年隊長のコースを!
(昭和26年6月6日 記)
万年隊長のことについて
さきに、万年隊長論を述べたのであるが、これは恐らく賛否両論がきっとあると思う。私としても、心意気として万年隊長に、一応賛成するがその逆の方向を考えないでもない。
その理由の第一は、指導者もまた人間であるから年をとる。隊長として可能なる最高年齢は何才位か? ということが、ここに問題になる。その判定は、隊長その人の健康、肉体的順応性、それに、教養と、自己錬成、家庭および勤務先の状況、などによって、各人各様であろうから、単に数字上の年令からは判定が出来ないであろう。
私は自分の経験から、大体40才が最高のように思う。将来、年少隊(カブスカウト)が出来れば、50才位まではカブの隊長が勤まるかも知れない。だから、万年隊長というものは、心意気としてあり得ても、現実にはむつかしいのである。年をとれば、十二、十三才の少年とは時代的に、ズレが生じて、センスなり、思想なり、生活なりに、少年と合致しないものが出来る。いかに抜群な指導者でも、これはのがれることは出来ないであろう。
第二の理由は、いつまでも隊長のポストに頑張っていれば、後進の道をひらく−−−というスカウティングの、一つのつとめが出来ないことになる。すなわち、万年隊長の下に、同じように万年副長や、万年隊付がいるようでは、このスカウティングはどうかしているとの評を避けられないであろう。スカウティングには、進歩(Advancement )ということが大事である。無論、万年隊長でも、隊長としての進歩はあるけれども、ポストの進歩がないならば、マンネリズムにおちいり易くなる。こういう点から、万年隊長論は排撃されると思う。
そこで結論をいうならば、二十才で隊長になっても、二十五才で隊長になっても、大体少なくて五年は隊長修行をしてほしい。そしてその人によっては、さらに五年隊長の道を開拓して、そして後進に道をひらいてほしい。−−−と考える。実役五年つとめれば、隊長としての経験の種々相を大体修められると思う。
投手だけではベースボールが出来ないように、隊長だけでスカウティングは出来ない。コミッショナーもいれば、県連の指導主事もいる。丙種適格(編者注、今はないが指導者養成委員のこと)の人も必要なのであるから、あまり万年隊長論の薬がききすぎると、スカウティング全局のバランスが破れて、まとまりというものがなくなることをご注意いたしたい。
全国高校野球に優勝した平安高校の勝因は、戦傷で右手を失った木村先輩が、左手一本で器用に打ったり、投げたり捕ったりして、後進のコーチに全生命をささげたその熱意にあったと伝えられる。このことは現任隊長たちに、何等の示唆を与えるだろう。ひとたび隊長となれば、隊員との間に、父子以上の愛情が出来、その熱が一切を支配する。隊長をやめることは、本人にとっても、隊員にとっても、全くつらいものだ。隊長をやめて他のポストについても、恐らく心の面では、万年隊長たることを失わないであろう。この熱意が、今の隊長にあるか? どうか? 私の万年隊長論のスタートは、実は、この点にあったのである。
読者諸兄、どうぞ、誤解ないように。
(昭和26年8月10日 記)
|
ちーやん夜話集 目次へ
|
前ページへ戻る
|
次ページへ進む