スカウティングに就いての一考察
中村 知
昭和25年6月号 日本連盟機関誌
ジャンボリー季刊第4号
- 昨年春,広島県のICE図書館で,1948年版の米国のハンドブックを見つけたので,前年版と比較して読んでみると,進級教程の問題が全く改善せられ,初級,二級,一級とも,(1)スカウト精神 (2)スカウト勤務(3)スカウト技能 の3つの部門に分けて,従来の科目が分類されているのに,深く興味を覚えたのである。
- 従来ともすれば,技術に走りがちなわれわれに,改めて精神教育,特に「ちかい」「おきて」標語・一日一善の生活実践を協調した点,そして隊員が,家庭・学校・教会・郷土において,スカウトとして他に率先して奉仕するということ,もちろん班や隊での勤務にいそしむことを力説し,考査に際してそれらの実績を報告し,父兄・教師・牧師・隣人達のそれ(奉仕活動)についての副甲裏書(上申書のようなものか)を要する点まで叫ばれているのには,全く驚かされたのである。
- 米国にあっては,スカウト教育は,正に社会を改善しつつある,という印象を与えられたのである。
- そこで私は公務の余暇に,ハンドブックを翻訳してみる決心をいたし,5月上旬から始め12月末日をもってついに訳了した。但し,自然研究の部分は,わが国の動植物と異なるものが多いので,省略した。
- 終わりの方の技能章教程を訳するにあたって,私は幾度も感嘆の声をあげた。いかにプロジェクト教育法が,巧みに各問題を通じてあらわされているかに感嘆したのである。
- そもそも,ベーデン・パウエル卿がこの教育法に,「スカウト」教育法(斤侯教育法)と名ずけた理由は,彼が騎兵将校として斤侯(スカウト)を教育した,その斤侯教育法に起源していることは言うまでもない。
- スカウティング・フォアー・ボーイズという英国の教範を彼が著したその前の1900年に,ロンドンのアルダーショットから,彼は「エイド ツウスカウティング」(斤侯の手引)という赤表紙小型の斤侯操典(勿論これは兵書である)を刊行したが,その巻末の方を読むにしたがって,彼が後年,ボーイスカウト 即ち少年斤侯のプログラムをプロゼクトする過程がほの見えるのである。
- けれどもこの教育法(プロゼクト教育法)を,スカウト教育法と名ずけたゆえんのものは,むしろ「斤侯を養成する行き方を持ってする教育法」と解釈する方が真意のように思われる。端的に申せば「プロゼクト教育法」と言うのと同意語なのである。
- 「斤侯を教育するには,まず想定を与えて兵に興味を起こさせ,それによって観察し行動することに,プロゼクトの作用がある。
- 行動後,斤侯は上官にそれを報告する。上官はそれに就いて講評する。
- 兵はその講評を聞いて反省し,この次には悪かった典を改善せんと決意してつとむ。すなわち向上に資する」こにまた第2のプロゼクトが生起する。
- こうしたやり方で,少年を教育しようというふくみから,「スカウト教育」すなわち「斤侯教育」と名ずけたと解釈できるのである。
- 世に言うところの「へいわの斤侯を養成するのだ」という言葉も,誤りではないが,しいて「斤侯を養成する」と,”斤侯”という言葉にこだわる必要もあるまい。(プロゼクト教育法でよい)
- プロゼクトするとは,「正確な立案,計画をなし,それに興味による活動力を誘導させ,その行動進行の過程に要領と骨子を掴み,具体的に,ある仕事を成し遂げる教育作業の単元である」と説かれている。プロゼクトメソードと呼ばれる。その作業中に,旧知識 すなわち生活経験が働き,同時にそこから新知識を得る。
- ただし,ギルバトリック氏の説くごとく,行動における問題及び目的の要素を,精神的作業を種とする,という一派もある。