いよいよ当日になり、学校がひけると皆クラブルームに集って来て服をきがえる。ユニフォーム姿になると、その頃は冬でも半ズボンなので、寒くてじっとしていられないので、各自の分担についてバタバタ走り廻る。式場は正面にベーデン・パウエルの写真を飾り、そのバックに英国旗を張りつけ、壇上、向かって左に国旗の室内掲揚柱、右側に隊(団)旗、それにならんで各班々旗を立てる。唯、異様なのは写真の前に大きな花瓶が花なしに安置されていることである。祭典は形の如く国旗掲揚から始まり、英国旗に敬礼し、団長たる私からチーフスカウトについて短い誕生の話をする。そして各班の最年少者が、それぞれの班で集めた色とりどりの冬の花の花束を捧げてB−Pの写真の前にあらわれ“おじいさん、お誕生おめでとうございます”というような言葉をつけて花瓶に花をさす。班の順番にそれを繰りかえす。それで献花祭とも云った。それがすむと、当番班長の発声で“いやさか”を三唱して式は終わる。これからが第二部で室内シンポジウムになる。室内営火の形でもある。唯、各班の演技の中にベーデン・パウエルの伝記の一節が必ず劇化されねばならぬのが特色である。その他はソングや室内ゲーム等々、何でもよろしい。時期を見てエサが配給される。センベイ、モチガシ、ミカン 等々であるが、冗費節約のためセンベイやオカキは松屋町あたりの問屋から屑物を安く沢山仕入れて来るという点、さすがは大阪っ子である。かくて茶が汲まれ和気アイアイとして番組は進行する。約1時間半くらいで会を閉じる。またたくうちに後片付けして、たのしかったB−P祭は終わりになる。
こういう行事を私の団長であった十数年間くりかえした。時に高校や高専に進学した先輩スカウトがやって来て、昔の自分の班をなつかしみ後輩を激励もする。鈴木君や村田君などの昔なつかしき光景なのだ。
私は、終戦後の再建スカウト各隊のためにB−P祭を行われることを進言したい。この22日を含む一週間を全国的、或いは県連的にスカウト週間として特別なEvent を持たれるよう望んでいる。アメリカではスカウト週間中全員必ずユニフォームをつけねばならないと聞いている。これは世人にこの運動を認識させる一法でもあろう。ガールスカウトはこの日をThinking Day(思念の日)として全界のGSがお祝いする。
下に記した一文はB−Pが1941年1月8日アフリカのケニヤでなくなられた、直後発見された遺言文である。アメリカ版の“Scouting for Boys ”の巻末に出ているのを私が下手な翻訳をして見た。これをもっと上手になおして貰いたい。そしてB−P祭の時、朗読するならば、我々の追慕の念を最も適切に表すことが出来ると思うし、この祭典の意義を最もよく発現するものだと考える。