班長のてびき

8.班の教育

 君の目標は、君の班員たちを、第1級の班に仕立てることである。そのためには、見習いスカウトばかりうようよしていても始まらない。だから班を最高のものにしようと思えば、班員ひとりひとりが自ら最高のものになることを目指してがんばるように引き立てなければならない。すなわち、君のスカウトたちのひとりひとりに、1級スカウトまたはそれ以上のものになる野心を吹き込むのに最善を尽くすのである!

 じっとしていてはスカウトらしくない。

 ほんとうの班長らしい班長は、絶えず自分の班員たちを前進させるようにしているものである。だが、このことは、つまり君自身が絶えす前進しなければならないことなのだ。

 そのほか、班では万事同じことがいえるのだが、もっとも肝要なことは、君が模範を示すことである。

 たぶん、君はもう1級スカウトになっているかもしれないが、そうでなかったら、一所懸命努力する必要がある。君自身がよく知っていなければ、自分の班員たちにスカウトの進級課目を教えることはできないのである。

 だから、進級課目とスカウト技能の方法について、ハンドブックで勉強する。君の隊長、上級班長、その他の隊指導者たち、それに隊外の専門家からも、最大限の助力を得るようにする。


●進級課目とはスカウティングである

 さて、いよいよ班員たちにスカウトの進級課目を手ほどきすることになるが、進級課目と通常のスカウト活動とは、別個のものではないということを忘れないように。それどころか、進級課目こそは真のスカウティングなのである。

 試みに、2級章課目を君たちが班ハイクの際にやる事柄と比べてみよう。それらのひとつひとつが君たちのハイク活動の部分部分であることがわかるだろう。1級章課目を班の1泊キャンプと比べてみても、両方とも有益なキャンプに共通する特徴を持っていることがわかる。

 きわめて簡単なことなのである。スカウトたちに、ハイキングやキャンピングを数多くさせると進級せざるを得ないのである。すばらしい班の生活をさせれば、進級するために体得しなければならないすべての技能を、その場その場で身につけていくことだろう。


●班の状態を知る

 君が、入隊したこの何人かの少年たちの世話をしているときは、君はちょうど次のような位置にいることになるのである。すなわち、君は彼らに最初の障害----初級章課目----を飛び越えさせてやらなければならないのである。彼らがこれらの課目をものにしたら、君たちは全員そろって前に進むことができる。しかし、君の班員は、おそらくそれぞれ異なる段階に来ている者の集まりになるだろう。

 彼らについて君が最初にしなければならないことは、各員がどの段階にあるかを調べることだ。班の進歩状態を示す図表を作成する。1枚の大きな紙の端に、初級、2級、1級の進級課目を書く。左端には班員の名前を書き並べる。各班員別にその修得した課目にしるしをつけていく。それからその点からどこを目標にして進むべきかを決めるのである。


●無理のないように!

 班員たちがまだ勉強不足であることがわかったら、進級課目の克服に役立つような研究問題を、ハンドブックの中から順序よく拾ってやらせるようにする。彼らがその問題をやり終えたら、それに含まれている進級課目を修得したものとして、しるしをつける。ただしそれは自然に行なわれなければならない。つまり、班員たちの普通の班生活の一部としてやるのである。

 A君の場合を例にとってみよう。彼は2級スカウトに進級するのは、火の起こし方と料理の仕方を修得する必要がある。君はA君を特別扱いして火を起こさせ、肉の一切れか、ジャガイモの薄切りのひとつふたつを油で揚げさせることができる。あるいは彼を君の次のキャンピングの際のコック長に祭り上げ、有頂天にさせながら働かすこともできる。どっちがよいかは君次第だ。

 進級については、これと同じようなことがすべての場合に当てはまる。A君を1人だけやって、食用植物を見つけさせるようなことはしないほうがよい。全員いっしょにやらせよう。「どんな食用植物があるか探しに行こう」と皆に言うのである。B君1人だけにコンパスと地図を持たせて、うろうろさせてはならない。クロスカントリーハイクの際に、彼に班の案内役をいいつけるのである。C君には、本から手旗信号を学ばせるかわりに、全員で信号法の実施訓練を計画し、丘の頂上から丘の頂上へ通信させるのである。それからD君だけに北極星の見つけ方を教えるのではなく、班全体に星探しをさせ、皆が星座に興味を持つようにさせるのである。


●彼らは何かをやりたがっている

 君の班員たちがスカウト活動に参加したのは、のべつ幕なしにしゃべり合うためではなくて、何かをやりたいと思ったからである。

 この事実は、指導法について重要なヒントを君に与えてくれる。つまり絵で要点を示すことができるときは、言葉を用いないこと。君がその要点を実地にやって見せることができるときは、絵を用いないこと。その班員がそのことを行なうことができるときは、実地にやって見せることもしないことである。

 それは君が絶対に言葉を用いて接明してはならないという意味ではない。大切なのは行動であるという意味なのである。


●指導法

 すべての進級課目を行動で行うようにするには、君は創意工夫をこらさなければならないが、これはできないことではない。

 ある種の進級課目は直接的に取り扱うといちばんいい----班員たちにそれを行なわせるだけでよいのである。彼らに自分で考えさせよう。自分のことを自分でやるようにさせたほうが、もっとも彼らのためになるのである。

 10種類の樹木を例にとる。(1級章課目の10)この場合は、彼らを屋外へやって10種類の木の葉や小枝を見つけてこさせる。集めてきた木の名前を調べきせる。今度は火の起こし方(2級章課目の6)を例にとる。班員が火の起こし方を覚えるのは、火を実際に起こすこと以外にはない。

 彼らに火を起こし始めるように言って、彼らに実際にさせながらコツを教えるのである、。それから水泳、(特修章、技能章)の場合、水の中に飛び込んで「こういうふうにやるんだよ」と言っても、班員たちに泳ぎ方を教えることはできない。彼らを実際に水の中に入らせて、彼ら自身のペースで練習させることが必要なのである。

 直接的方法を用いることができないときは、実演模倣法(デモンストレーション・イミテーション・メソッド)を用いる。なわ結び、信号法、救急法その他多くのスカウト活動の技能は、この方法で容易に教えることができる。君はただ班員たちに実際にやって見せるだけだ。たとえば、なわ結びの場合は、彼らにロープを与え、君が結ぶのを真似させるのである。


●習うより慣れろ

 ついには班員たちはその技術を覚えるが、しかし彼らの訓練を継続させたいと思うなら、その技術を彼らが常に用いるようにしなければならない。

 君はゲームを利用してなわ結びや信号法、救急法その他多くのスカウト技能や進級課目についての班員の進歩や一般的能力を向上させることができる。

 班で競点をすると、課目を生きたものにする楽しさがそれだけ増える。

 しかしもっともよい練習法は、数多い班のハイクやキャンプに、その接能を実際に応用することである。

 一般的な助言はこれで終わる。
班長のてびきを読んで

 「班の教育」となると、班長のリーダーシップが必要不可欠になってくる。ところが、これが今私たちが抱えている、もっとも切実な問題なのである。私の知っている限りでは「うちの班長はしっかりしているから安心だ・‥」という話はない。

 そして、多くの指導者がこの問題に取り組んでいるにもかかわらず、残念なことに、これを解決する方法というものはいまだに開発されていない。

 しかし私は、スカウトたちは「できない」のではなく「やりたくない」あるいは「やる気が起こらない」のではないかと思うことがしばしばある。彼らはスカウティングをやりたいのか? 今の活動に満足しているのか?はっきり言えば、こんなことをしていて楽しいのか? とさえ思う。そして、それはスカウトに問題があるのではなく、本物の班制度、本物のスカウティングをやっていないのが原因ではないかと診断している。

 では、どこが「本物のスカウティングではない」のか? 考えてみよう。

 まず指導者が活動の中心となっている点。スカウティングは大人の指示にしたがって活動するものではない。班を中心に、自分たちで考えて行動する。「スカウティングは自発活動である」と言われているとおりである。「スカウトたちにはできないから」というのは指導者が中心になっていい理由にはならない。何度も申し上げているように「できなくてもよい」のである。指導者が手出し口出ししてはならない。手取り足取り教えようとする指導者を見かけることもあるが、野外活動やスカウト技能を「できるようにする」のがスカウティングの目的ではない。あくまでも手段であることを理解しなければならない。

 次に隊活動が中心で班活動がなおざりにされている点。これは「班の集会」の章で述べたとおりである。極端なことを言えば、隊集会はやらなくてもいいから班集会を充実させたい。

 最後になったが、いちばん肝心なこと。それはスカウティングの目的を正しく理解していない点。よく「よき社会人を育成する」と言われるが、これは、たいへんあいまいな表現だと思う。いい大学に入って、いい会社に就職して、金持ちになるのも、ある意味では「よき社会人」である。保護者の多くがこのような捉え方をしているように思える。スカウトに対して、レポートや技能が「社会に出たときに(職場で、家庭で、自分のために)役に立つ」というような教え方をしていることが往々にしてある。

 しかし、スカウティングではこのような生き方を否定している。「他の人に幸福を分け与える」とB-Pが「最後のメッセージ」で述べているように「社会のために奉仕できる人間づくり」が目的であり、そのための訓練の手段・方法として班制度や野外活動を用いているのである。そこで養った、ちかいとおきての実践、スカウト精神、グループワーク、体力、忍耐力、器用さ、などといったのものが、社会に奉仕するときに役に立つのである。

 以上述べた問題は、いまさら言うまでもないが、私たち指導者がスカウティングを正しく理解していないことに起因している。この問題を解決すれば、状況はかなり改善され、正しい班活動ができるのではないか。というのが私の持論である。もし私の考え方が間違っているならこ教示をお願いしたい。

 班長にできないからといって指導者が手出ししてはならない。結果ではなく、プロセスに意味があるからだ。指導者が手出しをすると、班長はすぐにやる気を失ってしまう。大人が介入することで班のチームワークが消滅してしまう。よって班活動が成り立たなくなっているのである。

 良かれと思ってやっていることが、スカウトにとっては何のためにもなっていないばかりでなく、マイナスになっていることを肝に銘じなければならない。

 指導者にできることは、スカウトたちを「その気にさせ」、「正しい方法を示す」ことだけだ。これだけしかできないし、それ以上のことをしてはいけない。うまくいかなくても、じっと我慢するのみだ。指導者というのはなんと忍耐力のいる役割であろうか。