ウルフカブス ハンドブック

第皿部 ウルフ・カブ訓育の目的と方法

カブ隊長へのヒント
ウルフ・カブ訓育の目的
カブ隊長の在り方
カブ仲間とは
隊運営の仕方
組織
プログラム
訓育について
約言


●カブ隊長へのヒント

 ここに掲げるヒントの長さに、ふるえあがってはならない。これは、ただ、初心者に対する示唆とか、助言になることを、列挙したにすぎないからである。

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●ウルフ・カブ訓育の目的

 われわれが、ウルフ・カブ訓育というものを採り上げた目的は、カブ隊長や少年たちに、楽しい遊びをさせるというような単純な目的で採り上げたのではなく、実は、大英連邦の未来の公民として、能率的に働くことの出来る人間を、改めて作りなおすことを目的とするのである。

 過去における、この種の教育法というものは、もう今日の要求に即応しないということが立証されている。(すなわち、立派な公民を作るために設けられた納税法も、公民教育の失敗ということによって、切角、納められた税金は、警察とか、刑務所とか、収容施設などの方に支払われている現状である。)

 もし、訓育にして、今日の要求に即応しないとするならぱ、明日の要求に対しては、一層、役に立たないことは、いうまでもない。然るに、われわれが期待しているのは、この明日の───ということである。

 人格というものは、立派な公民を作る上に、極めて重要であって、それは、教科書による教育よりも、大切だということは周知の通りである。にも拘わらず、さてその実施法は、となると、依然として書物にたよる方法に傾くぱかりで、なんらこれという計画は現在でもないのである。

 能率という言葉は、ロバート・メドウス氏(Robert E.Meadows)によって、「1人の人間に要する監督の量によって測られる」と、定義された。勿論、この定義は、徳義的能率という限りにおいては通用するが、このほかに、肉体的能率というものがあり、それが、また、人間の公民としての能率ということの上に、最も大きい力をもっていることを見のがしてはならない。

 肉体的健康、および、その増強、ということは、学問的・科学的または、技術的上達の教育においても、教育の大部分を占めるべきものである。

 われわれは、ストライキとか、工場閉鎖によって毎年、何千時間という時と、何万ポンドという金を無駄にしているのであるが、これは、予防しようと思えぱ出来る健康的不能率や、不健康から生じる何万時間およぴ何百万ポンドという莫大な損失にくらべてみたら、モノのかずではないのである。

 ここにおいてか、われわれのいうカブ訓育なるものは、本書第U部の、冒頭に掲げたニつのネライ、(訳者注、人格と健康)に直面することになる。

 この二つの訓育は、人の一生を通じて一番大事な時期に行れるものである。この時期こそ、肉体的にも精神的にも正しい指導がやり易い一番どうにでもなる時期(訳者記、即ちカブ年令という時期)だからである。

 このようにして、早期に、その基礎を築いておくならぱ、その後の設許というものは、方事好都合にゆくだろうという希望がもてる。特に、その後の設計なるものは、進歩制度というものを形作って継続され、ボーイスカウト訓練の期間を通じて実施されることになるので、彼が思慮分別のつく年令になれぱ、健康体育主義というものは、人格主義と一体となり結びつくようになる。これは、少数の運動マンだけがそうなるというよりも、むしろ、大多数の者がそういう習性をもってくるといえる。(訳者注、この思慮分別のつく年令とは、暗に、年長部、およぴ青年部の年令を示唆していると思われる。)

 この、ウルフ・カブ隊というものは、スカウト運動の年少部として設許された。そして、スカウトになりたいが、まだ年が若すぎる多数の熱心な少年たちの勲望にこたえるために出来たものである。

 然し、年上の少年と同じ作業や、科目を課すものではない。殊に、年上の少年と一緒に作業させることは、年上の者に負けまいと努力する傾向があるので、過労になりがちである。これと同じことは、年上の少年の方からもいえる。、自分たちの作業を「赤ん坊」と一緒にやるのはおもしろくないということから関心を失うようになる。このような色々の理由から、これは二つの部門に分ける方がよい、ということになった。

 故にカプ訓育は、スカウトの訓練とは全く異質のものである。けれども、スカウトこなるための一段階ではある。

 11才や、12才の若さで、しっかりした人格をもっている少年は1人もいない。それ故、カブ隊長は、カブ隊の作業というものは、スカウト隊の作業の前ぶれだということを、よく理解していなけれぱならない。そうでないと、大々的に、カブたちの訓育をあやまることになる。

 これは、して良いのか悪いのか、の判断(選択〉が十分に出来る年齢に達するまで、この訓育を続けなかったら、切角カブで得た良いしつけの大部分を、極めて短期間に失ってしまう子供が出てくる可能性もある。

 正規のウルフ・カブ隊(訳著注、日本的にいえぱ年少隊)。というものは、唯それだけの(年少隊だけの〉組織ではなくて、スカウト・グループ(訳注、日本でいう団)の1部門である。だから、カプ隊長は、スカウターたちや、スカウトたち、およぴローバースカウトたちと、近密な相互関連を保って働かねぱならない。(訳注、日本式にいうならぱ、その団の少年隊、年長隊、青年隊の指導者や、スカウトたちと緊密に協働すること)

 隊長は、新入のどの少年に対しても、またその子の両親に向ってもカブ隊というものは、スカウトになる手前の、「控え室」(ante-room)であるということをはっきりさせ、カブたちには、いつも、「よいスカウトになる」という理想を、もち続けさせるよう、しなけれぱならない。(訳者注。英国のカブは、まだスカウトではない点に注意されたい。)

 グルーブ(訳注、日本でいう団)のアタマとしては、グループ・スカウトマスター(訳注、団長。カナダ本にはグループ・コミッティー。日本の団委員会)があり、その団に属する各部門の全てにわたって監査指導するが、各部門(訳注、例えぱ年少部とか少年部とか)の運営については、夫々の部門の代表者が、その部門の指導者に対する、こまかい責に任ずる、そこで、カブ隊長というものは、カブ隊の管理と運営については、団長(日本は団委員長)に責任をとることになる。そして自分は、その団に属する全ての指導者をもって構成するグループ、カウンシル(訳注、日本の規約でいう団会議)のメンバーの1人になる。この、団会議員の仕事は、団全体としての一般的な政策を打出すにある。

 カブの「さだめ」と「やくそく」が、スカウトの「おきて」、「ちかい」よりも、単純であるのは、あたりまえのことである。それは、その意味を把握実行することが出来ないような、むずかしいデューティ(つとめ)や約束を、カブのような小さい子供に求めるのは無理だということによる。勿諭、カブ隊長は、わかり易く、実行し易いように、カブたちに教え、その隊付牧師とよく打合せて、「やくそく」にある「神へのデュ一ティ」の意味をわからせねばならない。

 また、他の宗教や道徳教育の面でも、これは、良いスカウトになるため、カブから始める必要があると思った事柄については、これも、教えなけれぱならない。(訳者記、宗教については後述の宗教に対する政策の項を参照されたい。412頁)


教え方───

 われわれの訓育のやり方は、外(そと)から教える教授式(instruct)よりか、むしろ、内から引き出す(educate)方法を用いる。すなわち、色々なゲームや作業を提供して行うのであるが、これらは、小さい少年たちをひきつけるから、やっているうちに、子供から道徳的、精神的、そして肉体的のものを引き出すことになるだろ。

 われわれの狙いは、フィッシャー氏(Fisher)の本にあるように、「沢山の知識を教えようとするのではなくて、知識への欲求と、知識を得る能力」とを、励ますにことある。

 いい方をかえると、カブ隊長のすべき仕事は、正しい方向に、子供を熱中させることにある。この原理によって働くならば、自分自身は、相当のトラブルからまぬかれてゴールに到達することができ、隊はキビキビした有能の子供たちからなるスマートな隊となるであろう。

 このことは、モダーンな校長先生が、旧式の校長先生に打ち勝っことを意味している。彼は、子供の、学業よりも能率の方を伸ばし、もの知りにするよりか人格を伸ばすからである。───これぞ、現代の生活に、成功をかち得る方向を示すものである。

 「能率」といっても私は、金儲けがうまいという意味で言っているのではない。自由に、希望に満ちて、幸福に、一生を送るに足りる一般的知能と、能力のことをいっているのである。

 「するな」ということは、悪いことをしなさいと、おだてることである。それよりも、良い精神を注入する方がよい。それは、ちょうど、弾丸に火薬をつめるようなもので、行為に精神をつめるのである。

 道徳の直接教授───例えば教練の如きもの───は、みかけの美しいベニヤ板の板張りは作れるけれども、その下地に、本来の、味付けされた人格がないから、永もちしないのである。

 ロード・モーレイ(Lord Morlay)は、こう言っている。「道徳の直接教授ほど無力なものはなく、これほど、無駄な方法はない、ということは、いとも高価に誕明されているが、これは、賢者のよく知るところであり、愚者には永遠にわからないことである。」と。

 遠き昔、賢人プラトー(P1ato)は、エデュケーションについて、正しい教を示した。(訳注、エデュケーションとは、引き出すことで、日本語は、教育と訳している)。それは、今頃やっと、やりはじめたのだが、プラトーの時代に彼は、どの子供も、天から与えられた良いモノをもっている。教育(エデュケーション)とは、この天与の「本来の長所」を、適切な実習によって、ひき伸ばすことでなくてはならない、と言ったのである。読み方、書き方、算数を、必要とするとは言わなかりたが、自然から授かった本性を拡大せよと言うのであった。

 これは、実行によって人格を伸ばす、ということで、教訓だけによるものではない。

 普適の子供(もし,普通の子供なんていう子供があると仮定すれば)というものは,お行儀よくすわって,鹿爪らしい理論づくめの教授を,受動的に,聞くことを好まないものである。すぐ立ちあがって,活動的に,何かを,実際的にやりたがるものである。この活動的と実際的ということは,教師が,自分の手近かにある道具だと悟って活用さえすれば,直ちに働き出す立派な(テコ)となるものである。

 それ故に,子供の研究,ということが,諸君の,なすべき最初の仕事となる。その子供の,すききらいだの,長所と欠点を,よくつかみ,その上で夫々の子供の訓育の,方向づけをするのである。

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●カブ隊長の在り方

 カブたちを取扱うにあたっての、考えねばならない基本的な点が二つある。その第1の点は,子供たぢの「兄貴」になり得る者だけが,カブ訓育者として成功する見込みがある,ということである「号令をかける士官」であってはうまくない。また「校長先生」であっても失敗の悲運をまぬかれない。(多分,自分では,士官や校長だとは思っていないだろう、それを良いとは考えていないにしても。)

 この事実は,成功したわれわれの,カブ隊長たちによって,日々,充分に証明されつつある。その多くは,無給,婦人のカブ隊長によってである。(訳者言,婦人に兄貴はおかしいが……)

 「兄貴」とは何か。それは,子供たちの中にはいって,子供と一緒の仲間になれる人,という意味である。子供と共に遊んだり,笑ったりして,子供からの信顆をうけ,以って,数えるに必要な地位を占める人のことをいうのである。その地位とは───自分が,模範を示して子供たちを正しい方向にリード(導く)するという地位である。それは,道標の代りである。道標というものは,あまり高すぎて,子供の頭の上の方で方向を指す場合が,しばしば,あるが,要するに道案内をするだけである。

 然し,これは私が,カブ隊長に,「やさしく」なれだの,「あまやかせ」と言っているのだと,誤解したり,そう想像してもらっては困る。それは,大まちがいで,仲間というものが,永続するためには,厳格と卒直(firmnessとstraightness)を必要とするからである。

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●カブ仲間とは(旧版はカブの心理と題してある)

 第2の要点,実はこの方が第1の要点より重要なのだが,8才ないし10才の子供というものは,11才ないし15才の少年と,全然ちがうということである。とはいうものの,10才の少年が,その年に一ぺんに変化するという意味ではない。年令の若い者ほど心身ともに成長の度合が年上の者より速度が早い。この変り方は,普通の子供の場合,こうした変り方に段々,なって来るものである。

少年期の変相
6才〜8才劇的本能と見せかけ
8才〜11才自己主張性と勝負ごと
11才〜15才英雄崇拝と協働体への忠誠

 カブ年令の子供には,次に記すような傾向があると考えられる。嘘つき,わがまま,ぎんこく,.ホラふき,または偽善者だということである。

 けれども、かような属性は,悪意の意図から生まれるものでないことは,すぐわかる。むしろ,これは,この年令の者が,その特殊な心的状態を表現する自然の,やり方なのである。

 年上の少年───スカウト年令の少年───の方は,英雄崇拝心で一ばいで,良きリーダーの下に一群となって働き,他のグループと競争する。義侠的な奉仕の場合,特にそうである。と,いわれる。

 いま丁度,幼児時代のさなぎから生まれたばかりの年少者(即ち,カブ)の場合,彼等は,年上の少年より,もっと個人的である。自分の足で,さわって物を感じるようなものであるから,自己中心になる。これは,自分というものが,何かを,することが出来る者だということを,はじめて発見した時代であり,また同時に,これは自分に出来るかしら,と,不安だったりする時代である。

 この時代は,また,物を作ることを知る時代でもあるが,さて,どんなことでも,一歩それが出来た瞬間,彼は,それを「見せびらかし」たがるものである。

 彼は,まだ,やっと,玩具の時代を出て来たばかりで,すこぶる,make believeメーク・ピリープ(訳者記,この通訳はむずかしい。模倣,仮垂,おとぎ,重患,思わせぶり,見せかけ,芝居等々)の国に住んでいる。

 貰うことばかり考え,与えることをいやがる。正に,人の一生のうち,一番捏(こ)ねやすい時代である。(訳者注,粘土細工にたとえれば−−−)

 以上のように,悪の種子が沢山あるから,この種子が芽を出して,悪の方向に巻きつきたがる蔓(ツル)の一端が,あるにはあるが,それを処理して,正しく,しつけることもまた,すこぶる容易に出来る時代である。

 われわれ多数の者を,悩ます問題は,どうすれば,一番よく,しつけることが出来るか? ということである。

 カブ隊長としては,カブたちが,悪い面をさらけ出した場合,その場で,それを,見出すことが大切である。(訳者注,それに気がつかないようでは駄目だ,ということ。)

 両親としての場合−−−それも特に,自分の子供時代のことを忘れている両親の場合−−−こういうやり方をするのが,一番普通の例である。それは,実こ機敏に,悪の現場を認めたという稀れな場合なのだが,いきなり,かような悪い傾向を抑圧しようとする。けれども,抑圧という方法は,最も悪い方法である。それは,若枝を剪定して,かえって,もっと悪い曲った方向に枝を出させることになる。だから,子供を,もっと上手な嘘つきにしたり,わがままを,かくすようにさせたり,偽著を,もっとうまく潤色させるようにしてしまうからである。

 前記の,三つの年令期における特色を,要約すると次のようになる。

8才まで(Up to.8 years)
劇的時代 (DRAMATIC)
構成への曙光
見せかけ
お伽話
誇張したユーモア
Dawing Constructiveness
Make−believe
Fairy Stories,etc.
Extravagant
Humour
8才−11才 (8 to 11)
個人本位時代 (PERSONAL RIVALRY)
自己中心
構成中
質問欲
新奇な経験に熱中
新しい遊びに夢中
切手収集,切ぬき等
ふざけた喧ましゲーム
おちつかぬ心
おちつかぬ肉体
残忍性
無分別
見せびらかし愛好
勇ましい実話を好む
Individuality
Constructiveness
Inquisitiveness
Eagerness for new experiences
Absorption in new games
Collecting stamps. Scraps,etc.
Romping,rowdy games
Restlessness,mental
Restlessness,physical
Cruelty
Thoughtlessness
Fondness of showing off
Brave deed stories
11才以上 (Over 11)
協働時代 (CO-OPERATION)
構成中
発明欲
チームのゲーム
ルールのあるゲーム
規律を求める
英雄崇拝
ロマンス
冒険心
積極的孝行
感じ易いこと
良心などの曙光
悲哀の感覚
ユーモアの感覚
同情心の感覚
Constructiveness
Inventiveness
Team games
Games with rules
Discipline
Hero-worship
Romance
Adventure
Active virtures
Sensitiveness
Dawing conscience,etc
Sense of Pathos
Sense of humour
Sense of sympathy
訳者記−−−以上の分析表は邦訳したもので明確を期するため原文を付記しておく。

 年少の子供は,ほら吹きになり易い。そのため本心は悪意でないのに,ウソなつくようになる。だが,それは長くない癖だから,悪化しないうちに早目に,なおすがよい。

 嘘をついていると見破ったとき,それを,なおすのはよいが,そのため,ののしるのは,よろしくない。だまされないぞ,と,いうことを示すにとどめたい。ある子供の場合は,けいべつしてやることが功果がある。ひやかしてやることは,大抵のウソつきをなおすのにかなり確実なききめがある。

 再び嘘をついたときには,前についた嘘を忘れずにおぼえていることを示し,おだやかに,ちょっと,からかってやると,大変,功果があるようである。けれども,反対に,前の嘘を,忘れたような顔をして,ひと苦労する方法もある。これは,その子供を信用しているという誠実心によって,その弱点の兆候を征服させる逆手である。

 利己主義の子供に対しては、他人に物を与えるよう,実行させて,教えることが出来る。

 小さい子供は,10分間も、じっとしていることが出来ないのが本性である−−−時として,学校でやるような,何時間も,というようなことは尚更,出来ない。

 これは,子供というものは,心的にも肉体的にも「増大しつつあるカイセン(疥癬)にかかっている」と思わなければならない。

 これを,なおす最長の方法は、主題を変えるにある。すなわち,駆けさせたり,戦争ダンスをやらせたりして変化をつけるのである。

 子供の体育運動を指導する場合,唯,単に,駆けまわらせさえすればそれでよいと思ってはいけない。手をかして授けてやったり,助言してやるのである。

 諸君が,ふとりすぎていないならば,次の運動の,やり方を示してやるとよい。
   走り方  飛越え方  跳び方
   登り方  投げ方   捕球の仕方
(訳者注,旧版本例えば,1923年版には登り方−の代りに,球ころがし、が示してある。)

 これらの連動は,スエーデン式体操よりか肉体的・精神的によいもので、ゲームとか,作業前の準備運動にも用いるし,同時に,臓器や筋肉の発達をよくする自然的手段にもなるのである。

 カブ隊長と,カブとの関係は,ロング氏(W.J.Long)が,その著書「ノーザン・トレイル」(NorthernTrail)に記したように,母娘が,仔狼の面倒をみるのによく似ている。ついでながら,この本にあるジャングルの,狼の仔の,面白い話は,デンにおいてウルフ・カブにお話するよい材料になるので紹介しておこう。

 母狼について,彼は次のように書いている−−−。

 「お天気のよいお昼過ぎとか,長い夏のあけ方に,母狼は,自分たちの食べものを狩りするためこ,仔狼をつれて,小さい旅に出かけるのです。狩というと,皆さんは,大きなトナカイとか,ずるがしこいキツネをとるのだろうと思うでしょうが,そんな大きなものではなくて,ネズミだのハツカネズミぐらいの小さい動物の方が,仔狼の狩りに,手頃だと,母狼は思っているようです。−−−それでも、こいつは,コケモモを,かみあげるように,やさしくはとれないえものだということを,仔狼たちは,すぐ知ります。まったく,おどろくほど早く知るのです。そこで,狩のやり方を変えてみます−−−こんどは,どうどうと,おそいかかるのをやめて,ハリネズミでさえ,気づかないように,そーっと,はっていって,岩かげとか草むらに,しのびこみ,ちょうどよい時がくるまで,かくれています。そして,オオタカが,ライチョウに,おそいかかるような,いきおいで,とびかかるのです。

 バッタをつかまえることが出来ないような狼なんて,ウサギ狩りをする権利があるものか−−−ということが,母狼の考えにあるらしい。それで母狼は,しらずしらず,仔狼をつれ出すことになるようです。お天気のよいお昼過ぎになると,いつでも,きまって,カリボー・パーレンの日のあたる,よくかわいた大平原のどこかに,仔狼をつれだすのです。木の茂みなんか,ひとつもおそれません。そこには,たくさんのえものが,かくれているからです。

 いちどに,何時間もの長いあいだ,にげるバッタを追っかけて狩りします。水気のないコケの上を,あわてて突進したり,仔ネコみたいに前足をのばして,とびたつえものにおそいかかつて,いちげきをくわしたり,口で,あらあらしくかみついたりして,とらえるのです。じぶんたちが,でんぐりがえりをしないように,身をかわし,よろめきながら,のたうったりします。

 それから,もういちど,おどけた身ぶりをして,鼻を,感嘆符の形のようにとんがらがして,べつのバッタを,さがしまわります。

 大仕事でもないのですが,バッタ狩りには,ときどき,おどけた場面があるものです。」

 これを読むと,全く,その通りだと思う。故に,コオロギからトナカイまで,そして,スズメからガチョウに至るまでの,あらゆる狩の仕方を知っている賢い母狼も,多分,そう思うにちがいない。

 然し,あそぴというものは、最も偉大な教師である。−−−このことは,動物においても人間においても真理である。−−−カブにとっては,バッタを追う乱暴なあわて方は,鱒でよくやる牡鹿狩同様に昂奮ものである。やわらかい雪をふんでヤマネコの,ひとはらご(一腹仔)を急襲するのと同じ位の,驚異に充ちた野生的な追撃である。

 その上,彼等は気づかないだろうが,この,お天気のよい午後の,毎度たのしかった1時間というものは,彼等の一生涯の,いつの日に思い出しても,役に立ったなァ−と,感じるにちがいないほど色々なことを,学びつつあったのである。

 われわれのウルフ・カブにおいても,その通りである。われわれは,あそびによって,小さい事柄を教えるが,それは,つもりつもって,将来,大事業に熱情を傾ける日に役立つであろう。

 ウルフ・カブ隊についての大方針を果たすため,そして,それにようて年少者をひきつけたり,悪い点をなおすために,カブたちをもって一つの幸福な一家族とする−−−ただの一族でなく−−−幸福な一家族を作るのである。

 子供たちは騒ぐことがすきであるから,もし,カブ隊長が,そういうプログラムを組む考えがあるなら,騒がしておくし,あそぶときには,しんそこから遊ばせてやる。

 笑いも一つの要素である−−−スカウト訓練の方には,「スカウトの微笑」というものを盛んにするよう,これを必要な付帯条件として唱道して来た。カブの方では,この「微笑」(Smile)を「高笑」(laugh)とすべきである。笑いというものは,若者にとってその,悪性を中和なせ,快活にして開放的なころあいをもった仲間にするカをもつものである。よく笑う子供に嘘つきは少い。

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●隊運営の仕方

 年少の子供の出来ぐあい、並びにそれに関係の深い精神のはたらきというものを考えるとき−−−これは,カブの訓育を成功に導く上での,第1段階として重要なものであるから−−−カブ隊の組織の仕方と,訓育のあり方について私は,二,三の示唆を提言しようと思う。

 先ず最初、やり始めるときは,是非、少人数で発足することで満足されたい。多人数で発足しようとする人が,あまりにも,しばしば,あるけれども,そういうやり方は,あやまりである。

 何よりも先ず、小規模の上に,正しい気風(right tone)を作りあげることを望む。それは恰かも,ひと振りのイースト(酵母)であって,これが,やがて,パンを大きく発酵させるに役立つのである。それでもなおパンが大きくなりすぎないように,私は注意する。私の経験からいうと,18人という数が,個別訓育をなし得る限度であることを発見した。もっと,諸君が実力をもったとしても,1隊は,24人,これが1人の隊長で訓育し得る限界点だといいたい。(訳者注,旧版は,16〜32人を限度とあり。)

 無論,諸君は1人で,124人を教練(ドリル)することは出来るであろう。然しそれは訓育(トレーニング)ではないのであ。

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●組織


シックス・システム(組制度)−(スカウト隊ではパトロールに分つ)

 カブ隊は,どの隊でも,シックス(組……6人組というところからきた名称)に分ける。〔然し,蒋動の単位は,組ではなくて隊(パック)である。〕(この項カナダ版にあり英国版になし)

 ひとつのシックス(組)は,セカンド〔セカンダーとは言わない。副組長のこと〕と,それによって助けられるシクサー(組長)の役につく者からなる6人の子供で組まれる。この組長と副組長は,カブ隊長の直接指導監督のもとにおいてのみ,組をリードしたり,教えたりする実際的の受任を与えられる者である。シクサー(組長)は決して「年の苦い班長」(ジュニア一・パトロール・リーダー)ではない。故に自分の組を受け持ったり,教えたりする能力を,期待されてはならない者である筈。

 多くのカブ隊長は,組長という者は,任命きれる前に,ツー・スター・カブ(二つ星のカブ)になっているべきだし,副組長は,一つ星カブになっていなければならないと考えている。

 もし必要あれば,組長の内の1人を「年長組長(シニア・シクサー)と呼んでもよい。この者は,腕に三本筋をつける。

 カブ隊長は組長会議(シクサース・カウンシル)と,組長指導会(シクサース・インストラクション・ミーティング)とを運営されたい。

 組長会議は,カブ隊長と副長と,組長とで構成し,時としては副組長をも加える。この会議は,定期的に開催するけれども,すこぶる,うちとけた会議であって,隊のプラン(計画)について語りあう機関であるが,隊長はこの機会に,あやまりを正したり,ほめたり,助言したりするのである。

 組長指導会は,組長会議のすぐあと,ひきつづき開くのが普通である。−−−この二つの会合を合わせて1時間の4分の3(45分)で終るのである。指導会の方は,前にした作業を復習したり,新しい作業をする。

 カブたちの大部分の者は,忘れっぽいし,まちがいだらけであるから,良い助手をもちたいと思う隊長は,−−−「助手とは即ち,組長の意味−−−彼等に,ある程度の時間を与えなければならない。(訳注,相当の時間をかけなければ養成出来ない。)


集会について−−−集会は,出来るだけ,しばしば,定日,かつ定刻に開くこと。時刻の励行ということは,子供にとっては,服従のテストというほどでもないが,よいことをみのがさずやって来るという熱心のテストになるであろう。(君(隊長)自身が,時刻を励行することは,子供の場合以上に必要なことである。)

 前もって作っておいた当日行なうプログラムを持っていること。

 さてこの次は,何をしようかしら……というような,とぎれがあってはならない。子供たちは,たまげるどころか,いつも何かを学んでいなければならない存在なのである。

 傍観する者や,順番の来るのを待つ子供がないようにする。カブたちは,みな遊んでいるか,作業をしているかして,いつも忙しく動いていなくてはならぬ。この年令の小さい子供というものは,長時間一つの事に没頭することが出来ないものだ,ということを記憶されたい。故に,度々,変化や,対照(コントラスト)を加えて変更し,君のプログラムが,きわだつようくふうすべきである。

 あそびは,子供の生活に一番重要なものであるから,沢山のゲームを用意しておくこと。

 ささいなことでも,スマートにするよう,強調すること。−−−罰しないで,ほめてやって,励ます−−−例えば,服の着方,靴の手入,特に注意深い物腰とか,早く敬礼する心がまえ,とか。(訳者注,これがスマートネス)

 いかなる軍事教練からも離脱するよう留意されたい。「4列縦隊」は,オ・グラディイ(O'Grady)のゲームをする時以外は,隊集会では禁物である。(訳者注,O'Gradyについては,日本連盟訳の「隊長の手引」の巻末に説明がのっているゲームの名である。)

 円陣は,カブ隊の集合隊形である−−−横隊ではない。カブたちが,「パック!パック!パック」の,かけ声を了解さえすれば,円陣を作ることは容易である。(訳者注,日本では,「輪になろう」という掛け声を用いている。)

 どの集会も常に,グランド・ホウルで始まり,グランド・ホウルで閉会する。次に掲げるプログラムの大体の筋書は,集会を成功させた一つの例である。(訳注,グランド・ホウル Grand Howlとは,大咆吼と訳したことがある。狼の吼える声から来た演出で,カブ専用のセレモニイである。)

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●プログラム

(カナダ版では)(英国版には)
 
5分間
5〃
10〃
15〃
10〃
10〃
 
5〃
 
開会:大咆吼→国旗儀礼→お祈り,
服装などの点検,隊費の集金
何かのセレモニイ
心身活動のゲーム(一つ以上)
オールド・ウルフによる指導
指導科目に基いたゲーム
劇,ジャングル踊り,
オールド・ウルフのスタンツ
静粛なゲーム,歌唱
閉式:伝達事項→お祈り→大咆吼
 
5分間
10〃
 
15〃
 
10〃
10〃
5〃
5〃
 
開始:大咆吼
服装などの点検,寄金集め
心身活動のゲーム。
(例,隊の円陣でするゲームまたはリレーレース)
組長による組作業。
オールド・ウルフの監督指導
静かなゲーム,劇、あるいはジャングル・ダンス
オールド・ウルフによる指導
安静ゲーム
お話
終了:何かのセレモニイ→大咆吼→隊としてのお祈り


セレモニイ−−−カブのセレモニイに,二つの重要なものがある。入隊式(叙任式)と上進式である。これらは,決して,ゆきあたりばったりのやり方で演じてはならない。その大要は本書の第6食および第16食を読めばわかると思う。

 カブ隊長は,自分にもカブにも,なるほどと思うような特別な変化を,それにつけ加えてよいが,前述のやり方の骨子を失わないよう気をつけ,且つ,カブたちが理解出来る範囲内で,セレモニイを取り運ぶよう留意せねばならない。あまり念を入れすぎると儀式ばってしまい,もぢもぢして,おちつかぬようになる。単純にして荘厳,これがカブセレモニイの基調である。


両親と協働−−−君の隊員の両親と,近密に連絡をとることは,成功への大きな力となる。親たちの考えを開いたり,君がとろうとする別のやり方について,その理由を親たちによく説明して,特別な興味をおこさせたりすることは,その例である。少くとも年に一度は,君の方から両親を訪問し,隊の祝典やキャンプに親を招待したり,また,家庭でするカブ作業を親が子供と一時にして子供を励げますようにして貰うのである。


記録−−−どの隊も自隊の登録簿を保管すべきである。−−−それには,各隊員のカブ歴を記入する。

 また,簡明な隊日誌を作っておく。これは,後年,読んでみると面白いだろう。

 それぞれの組は,その組の組手帳を組長がもっていること。それには,組の者の出欠や隊費の納入を書きこむ。そして,オールド・ウルフの内の誰かが,それに「目をとおす」必要があるだろう。


会計−−−カブ隊長は,隊の経理簿が保管されているかどうかを監査せねばならない。子供の隊費がそれに載っているならば,子供は,その帳簿を点検する権利がある。

 誰か,きまった人に,隊の組織として,この係になる者を任命するとよい。この係の者は,団の中の他の部(訳注,少年隊とか青年隊とかの)の会計係と協働関係をもつ。〔カナダ本には−−−隊の会計報告は,定期的に,団垂員会宛にきれなければならない。〕「〔英国本には−−−もし外部から寄付金を貰ったならば,一つの委員会を設けること−−−これは団と関連して設置し−−−その取扱いに任ずる,とあり。〕                     ′

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●訓育について

お話の仕方−−−カブ隊長は,いつなん時でも,お話をして聞かせ,カプたちを,うちょうてんにすることが出来る。そして,お話を通して,教えたいと思う事柄を伝えることが出来る。もし,語り手が,いくぷんでも,話じょうずであれば,それは丸薬にぬった金ぱくというわけで成功うたがいなしである。〔カナダ本−−とはいえ,成功させるためには,話の仕方について重要な点が少々ある。子供の本性に即した常識と知識を用いるということ。〕やさしい言葉と,わざとらしくない話し方,および,劇的な所作をつけることである例えば,おばあさんの高い声,サイの勝ちほこった声,虎のうなり声,蛇ののたうつ有様とか闘士がふりあげるコブシ,などは手を用いてあらわすのである。けれども,あまりにも,やりすぎると,カブたちは,言葉の方を細かないで動作の方に心をうばわれるから,よく注意されたい。

 とりわけ,皆が,最高潮のところを開こうと待ちうけている時,話を途中で中断することは一番いけない。−−−聞き手に対して質問することも,聞き手から質問さすこともよろしくない。−−−最後のところで充ちたりた興奮によって,大きいためいきが出るよう彼等を釣りこむのである。

 折々は,お話を読んで聞かせるのもよいやり方である。もし,これがうまくやれたらカブたちに,良い書物の価値を鑑質させることができる。しかし,読んでやるよりも語ってやる方が,うけがよい。

〔英国本−−米国連盟刊行のH.I.Addis著 Akela's Yarn Book 3/−−−は,よい本である。〕


劇の演技−−−人格を作る教育上,いま一つの有益な,且つ,一般的なやり方は扮装と劇の演技である。

 時としてこれは,お話するのと結びつく点で効果がある。それから生まれる様々な展開の要点は,数限りなくあるので,数えあげることが出来ないほど沢山の効果がある。例えば,自我表現力,心の集中力、音声の発達,想像力,もののあわれ,ユーモア,釣り合い,紀律,史的または道義的な教訓,自我意識の没却,等々がそれである。

 そこで,カブ隊長自身が,演技というものが自分を助けてくれる大きな資源だとわかった瞬間,そして,ドラマチックで,空想を好むカブ年令の者にとっても,自分の努力の半分を,劇のために払っても惜しくないと思うようになった時、隊長は,いま述べた劇の効果が,多方面に及ぶことを認識するであろう。

 文字謎(Charades)や即興劇というものは,もっと高度のくふうをこらした劇とか,下稽古を充分にしたショウと同じような価値をもつものである。

ゲームについて−−−本書の第T部において私は,訓育の各段階につかうゲームの例と仕方を,それぞれ一つ二つ記しておいた。しかし,それは,ゲームの完全なリスト(一覧表)を作ろうと考えて試みたものでは決してない。私は,カブ隊長の創意くふうにまかせるため,実は,残しておいたのだ。そうした方が,成功に至る大きな方法であることを,わかってもらえるにらがいない。

 ゲームというものが,子供の道徳上,肉体上に,深い関係があることを考えるならば,殊更,そういうことになる。よって,そういう原理に立って,次のように分類したのである。

紀律と協働のゲーム
次の如きチームゲーム
ソフトボール、バスケットボール、フットボール、ホッケー
心と労力集中のゲーム
板上歩行、捕球、石はじき、石とぴ、スキッピング(訳者注,縄とぴ)
観察ゲーム
キムスゲーム、指ぬき狩り、追跡、木の葉狩り
構成ゲーム
凧あげ、模型飛行機、6超の模型(Six modeles)
指さき技術のゲーム
結索、紙グライダー、絵の組み合わせ(スクリーンやスクラップブック用)家庭の作業
体カゲーム
よじ登り、三段とび、投球、トンボガエリ、各種リレーレース
視覚ゲーム
遠近判定、柄見本、数の推測 等々

 以上のような目的で,ゲームをするならば,小さい子供にとっては学校でする教育の時間と均しい効果をあげ得ることになる。


パック・ホリデイ(舎営)とカブのキャンプ−−−これは,カブどもを研究するのに一番よい機会である。僅か,二,三日の間に,何か月分かの,普通の集会で学ぶ以上の多くの研究が出来るからである。また,人格,簡潔,健康などの事柄について,どうすれば良い習慣がつくかということを,カブたちに,感得させることが出来るからである。

 しかし忘れてならないことは,キャンプというものは,カブ隊長の仕事の中で,一番,責任がきびしいものだということである。小さい子供を家庭からつれ出すということを軽々しく考えてはならない。従って,キャンプで,子供と一緒に暮らしているあいだじゅう,君は,全責任を負うことになる。

 カブにとって,キャンプは,スカウトのように必修ではないのである。故に,君がキャンプに必要な全ての便宜や,経験を,もっていないならば,全然,キャンプを計画しない方が遙かによいのである。〔パック・ホリデー(舎営)もまた必修でない,といえる。けれども,これは,利点が相当にあり,その或るものについては前述の通りである。−−−この部分カナダ本には無い。)

 どんな場合でも,もっと年上の,しかも充分に責任をもつことの出来る少年−−−が隊について行くよう注意しておく。

 パック・ホリデー(舎営)とキャンプは,あまり長期になりすぎてはならない。長期のキャンプは,責任の立場にたつ人を,おそろしく過労にする。また,長いあいだそれにたずさわっていると、子供たちの緊張がだれることさえある。一週間が最大限で,例えば・金曜日の夜から火曜あるいは水曜の朝に至る週末利用の長さで,もう充分である。更に注意しておきたいことは,カブたちを,あまり家庭より遠いところにつれ出さないこと。近い所でも充分,冒険が出来る。もし,家庭から遠方へ行くならば,病人が出たり,突発事故が起きた際,大変な目にあうであろう。

〔英国本−−パック・ホリデーにおいては,カブたちは建物の中に寝る場合,それはカンバスの下に寝るよりか状況は,やさしいけれども,それでも有資格の指導者が少くとも2人ついて行く。その内の1人は,カブ隊長か地区カブ隊長(訳者記,日本の地区コミッショナーで年少部係)または地区のカブ副長(同上の副地区コミッショナーに相当すると思われる)でなくてはならない。もし.カブたちが,カンバスの下に寝るのであれば,もっと多くの付添者が入用で,どの組のキャンプにも、少ぐとも1人の成人が寝るように望まれる。野営長もその人数に含まれる。どんな場合でも最小限3人の成人が入用の点は,パック・ホリデーの場合と同様で皆有資格であること。その1人は全般の責任に任じ,いま1人は炊事,あとの1人は娯楽の面を分担するのである。

 カブとスカウトが一緒にキャンプすることは是認きれない。そのことのいかんを問わず,疑もなく、悪いことである。

 連盟本部発行の“Pack Holiday and Cub Camping”を買ってこの本を完全に役立たすならば,してよいことと,してはならないことが,わかるであろう。〕

〔カナダ本には−−カブのキャンプを,付添者1人で行なってはならない。もし,万事心配なく準備が充分出来ていれば、1人の担当で出来ないこともないが,そのキャンプの成功とか,愉快味は,減殺される筈である。その上,万が一にも,不幸な事件が起るならば,君の立場は,処置なしになる。従って,カブのキャンプは,少くとも,2人以上の責任者が同行せねばならない。そして,1人ずつの成人が,どの組のキャンプにも付かねばならないのである。無論,理想的に言えば,大人は3人ほしい。1人は全般的責任にあたり,他の1人は炊事係として,もう1人は,カブたちの娯楽の面を担当する。〕

 君自身は、安全とカブの安楽と健康についての責任に任じる者だということを自覚きれたい。そして,君の無経験の結果,カブたちに損害を与えた,ということがないよう,よく銘記されたい。どういう準備をしておくべきかを勉強し,前もって全ての計画を立て,細部にわたって気をくばり,手落ちなく準備されたい。その上,不慮の事故や災容に対しては,人事の限りをつくすのである。

 よいパック・ホリデーまたはキャンプをするならば,その効果は,君の隊に永続するであろう。悪いキャンプをしたならば君に,君の隊に,そして恐らく運動全体に対して,非難の声が続くであろう。

 危険を冒して害をうけるよりも,たとい魅力はキャンプより少く,効果はひまがかかっても,他の可能な方法で子供を訓育する方が,ずっと良いのである。

 最後に,君が相当の経験をつむまで,またその困難さと,責任の重きを了解するまでは,隊のキャンプを試みないよう望む。〔カナダ本−−自分の隊をキャンプにつれて行く前に,君自身が何かの方法,例えば,よく訓練されている隊と一緒にキャンプしてみたりしてその取扱方を会得することである。〕

(訳者記,カナダ本には,パック・ホリデーというものを削っている。)

〔英国本−−君は,自分の隊の子供をつれて行く前に,充分な知識と,実地の経験を修めねばならない。〕

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●約言

構想は、次の各項を通じて出来ている−−−
手技(Handicraft)
 これは応用力(application),構成力(Cdnstructiveness)などを伸ばすため
自然研究(Nature study)
 これは観察力(observation),宗教心(religion),動物愛(kindness to animals)を伸ばすため
ゲーム(games)
 これは笑い(laughter),素直(goodn nature),友誼(Comradeship)を伸ばすため
体育運動(Athletics)
 これは肉体の発達を自分で励ますことに役立たせるため
チームのゲーム(Team games)
 これは,わがままを自制し(unselfishness)紀律を確り(discipline)団結心(esprit de corps)を伸ばすため

 結論として言いたいことは,私が以上の如く示唆するに至った考え方は,わざと細部にわたることを避けて,骨組だけにとどめたいという点である。故にこれは、カブ隊長が,手製の指導指針をきずくことが出来るための単なる筋書きにすぎない。

 ここに掲げた目的ならびに精神というものは,総合的に把握されねばならんという点に,要点がある。私は,カブ隊長たちが,慣例(しきたり)とか,法則とか,要目とかに拘束されたと,自分で感ずるように,考えたくないのである。

 諸君が自分で経験をもち,自分の創造力を働かし,その上,童心に帰って,子供の本来性に対する同情心(理解と愛)をもつことこそ真に最上の案内になると思っている。

 ボーイスカウトの訓練をそのまま,カブの訓育に導入しないということが,一つのポイント(要点)である。

 それは,カブたちに適していないし,また,もっと上級のスカウトの階級に上進しようとする究極の狙いへの野心を,カブから奪う傾向がありそうだからである。

 それ故に,この一冊の事物は,カブ隊長用の書物ではあるが,単にき色々の作業を書きならべて,それらの理由を示唆しただけでなく,それに伴う困難さえも示したものと思って貰いたい。その困動きとは,最初は,連山のように諸君を驚かすだろうが,正しくこれと交渉し,たち向ってみれば,これは,モグラモチの丘にすぎなかったということ,そして,包含されている仕事も,指導する者にとって,誠にすばらしいもので,それは同時に,彼の指導のもとにある年の若い子供たちにとってな有益であるのに等しい。その上,これは,わが大英連邦の,将来の公民にとっても役立つ本だということを発見されるよう望んでやまないのである。

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