HOW TO RUN A PACK

訳本刊行の辞

 本書の原本は英国のギルウェル実修所の著作による叢書の1つである。したがってカビングの原形であるウルフ・カブのパック(隊)の運営を述べた公式の指針である。日本のカビングは現在ウルフ・カブ方式を採っていないから本書は単に参考として、本来のカビングを知る資料にとどめるべきである。しかし、ウルフ・カブ方式をカビングの公分母として原形のままこれを修める日本ギルウェル・カブコースを志す人たちにとっては「ジャングルブック」およぴ「ウルフカブズ・ハンドブック」と相ならんで必読すべき文献である。このようなカビングの源流を窮めたい人々のためにこれを刊行するといってもよいであろう。

 この訳本はボーイスカウト埼玉連盟の千葉和久氏の自発活動に基づいて試みられた訳稿をもととし、日本連盟事務局において更に手を加えてできたものである。ここに各位の労を感謝して刊行の辞とする。

昭和38年8月
ボーイスカウト日本連盟総長 三 島 通 陽

 WEBに掲載するにあたって
・文中の昔ながらの表現については、現代のものに修正した部分があります。
・文中で使われている用語で、現在では使われていないものについては、( )に現代の言葉を示しています。

一般原理

 本書は、初一心者のために書かれたものである。すなわち、ウルフ・カブ・パック(年少隊=カブ隊)を指導するように依頼され、いったいどのようにして、始めたものだろうかと、困惑している人々を対象としている。

 初めの集会から、喜々としたカブたちの顔に接することは、なかなか容易なことではない。特に、カブたちが別に悪意を持っているわけではないが、あなたをかなり正確に評価しようとしているときには、なおさらのことである。あなたがたは、少年たちに与えることのできる、おもしろいタネを持つ必要がある。というのは、少年たちは、かすり傷ひとつできないようなおもしろくない遊びに、費やす暇などないからである。少年たちを自分にひきつけておきたいならば、おもしろいことをやってみせなければならない。自分の熱意で、彼らを鼓舞し、自分の人格によって、彼らを導いて行かなければならない。

 いうまでもないことであるが、実際に少年たちと接する前に、まずしなければならないことは、カビング(=カブ活動)とカビングの目的について、完全に知ることである。あなたが少年たちと接して、健全な雰囲気を作りだしてゆくためには、カビングの精神を、しっかり、自分のものにしておく必要がある。

 まず、その第一段階として、心から勧めたいのは「ウルフカブズ・ハンドブック」を読む、いやむしろ、勉強することである。それによって、カブの立場から、物ごとを見ることができるようになるし、また、この本には、あなたがしなければならないことが網羅されている。だから、誰もがこのハンドブックの助けを必要とし、またこれが役立つのである。

 カビングと、いうものは、低年令の少年たちに、スカウティングに志す用意をさせることである。このことは、少年にほんのちょっぴりスカウティングをやらせて、スカウトの複製をつくる意味ではない・・・いや、まるっきり違う。われわれは、少年を生き生きとし、敏捷で自分の周囲のあらゆることに関心をもつように訓練していく。また、よいスカウティングにはぜひ必要な、チーム精神の初歩である、オールドウルフ(=隊長以外の指導者)に従う気持を伸ばしていくのである。

 「幸福」は、スカウティングを成功させるうえで鍵となることばで、カブ隊が幸福であることがわれわれの第一の目標でなければならない。子どもというものは、元来、幸福であるようにできているのだから、これを維持することは、さして困難なことではない。幸福というものは、他の徳目よりも多くの役割を果たすものであるから、たとえ、われわれの人生の歩みがどんなものであろうとも、非常に必要とされる要素なのである。カブ隊を幸福にしたいと願うならば、まずわれわれ自身が、幸福でなければならない。少年たちは、笑うことが大好きで、一緒に大いに笑ったり、ゲームの精神にひたったり、彼らの溢れるばかりの生命力を試したり感じとろうとしたがるものである。

 この幸福と非常に密接な関係にあるのが「親切」である。あるいは「友愛」と呼ぶこともできるだろう。ここに、再びわれわれの仕事のよい足場を見出すのである。というのは、少年たちは、常に誰かと、友だちになろうとしている。うまく少年に近づいてみると、おそらく、彼は親切な面を示すだろう。しかし、実際のところ、少年たちは、また、非常に残酷にもなる。もし、そのまま放っておいたら、何らかの点で風がわりな者や、自力で物事をやりおおせない者に対して、時として憎らしいほどのふるまいをするのである。しかし、親切のお手本をみせられたり、必要な場合には、ずばり、説教されると、残酷な面は消え去って、本源的な親切心が出てくるものである。

 少年は、「弱い者いじめ」と呼ばれることを恥じる。自分だけに、「『ジョニー君』は、他の人ほど、じょうぶでないから、みんなほど仕事ができないんだ。だから、ジョニー君より強いみんなは、ジョニー君を助けなければいけないんだよ」などといわれると、その少年は、それに応え、よろこんでその者を、助けようとするものである。
 私はかって、ある少年が、誠実さと親切心とを顔いっぱいにして、次のようにいっているのを聞いたことがある。「あの子をからかっちゃいけないよ。だって、あの子は、生まれつき頭がわるくて、いろいろなことがうまくできないんだからね!」この言葉は、相手をほめたものではないけれども、心からそう感じて述べた論理的なことばである。いうまでもなく、こそこそ話に関しては、少年は最もうまい。懸命なアーケイラ(=隊長)は、こういうことに対するこらしめは、できるだけ少年たちにまかせておく。少年たちは、そういう罪に対して、適当な処罰をするだけの巧妙な能力をもち合わせているからである。友人からの冷笑は、おとなのどんな「お説教」よりも、強く身にしみるのである。

 したがって、われわれのねらいは、少年たちの親切心を伸ばすこと、喜んで仕事をするようにしむけること、いつでも手助けするように指導すること、そして、他人の欠点を許すだけの寛容な性質を育てあげることでなければならない。スカウティングでは、われわれは、少年たちの人格をその状況で最上のものに伸ばしてやるのであるが、それを、カビングから始めようというのである。われわれが、よい人格をつくる土台を築くことができれば、それこそ、すばらしい仕事をしていることになる。創始者であるロード・べ−デン−パウエル・オプ・ギルウェルは、この必要性をよく見抜いたので、彼のカビングとスカウティングにおける全構想は、この目的に合わせ、少年たちの人格を向上させ、健全な人生観をもった善良で有能な公民をつくりあげることなのである。以上のことは、「ウルフカブズ・ハンドブック」を一読されれば、ただちにわかることである。この本にもられた内容・・・「さだめ」、「やくそく」、合格しなければならないテスト、もちろん、楽しく遊べるゲームも・・・は、子どもの視野を広めるようにくまれている。すなわち、少年に、利他心を教え、他人のことに思いをいたすことを教え、自分で自分の幸福を築きあげる助けとなち、また、思考をし、できるだけ人間らしく一生を送るように、少年を訓育する。

紀律

 カブ隊を首尾よく運営してゆくために、正しい紀律が不可欠であることは、今さら言う必要もないだろう。紀律がなければ、カブ隊はばらばらになってしまい、少年たちはたいくつし、仕事ははかどらず、みんなはみじめな気持になってしまう。紀律といっても、もちろん、大声で号令をかけることではない。真の紀律とは、内部から生まれてくるもので、目にはみえないものなのである。それは号笛を吹いたり、大声をはりあげてみても得ることはできないし、おどしたり罰したりしても、得られるものではない。それは、少年たちが何を望んでいるかを知り、また、少年たちが、そのことを知ることによって初めて、得られるものである。しょっぱなに、物事を鎮めてしまえば もう何の心配もいらない。冗談や笑いのうらには、ピリっとしたものがあることを、少年たちに示すのである。というのは、自分たちをまとめることができないような人を、絶対に尊敬しないからである。われわれは、自分の学校時代をふりかえってみて、おそらく無力に思われた、年寄りの誰かれのことを、思い出してみればよい。彼らからは、何1つ学べなかった。そういう人は、通常、われわれといっしょに笑おうともしなかった人であり、冗談ひとついえず、いつも、「○○○するな!」ばかりを、連発して、われわれを受身にさせる人であった。
 少年というものは、冗談を愛し、おもしろいことを求めるものである。したがって、よく笑えば笑うほどよいわけであるが、しかし、それは決して即座にうまくなれるわけではない。

 子どもたちが、手におえないものだという場合、その理由の1つは、彼らに仕事をじゅうぶん、与えていないことがあげられる。少年たちには、何か仕事をさせなければならない・・・古いことわざに、「悪魔は怠け者につけこむ」というのがある。これは、おそらくわれわれには、古くさいことばに聞こえるだろうが、今日においてもこのことばは、絶対に真理である。たえず、少年たちを忙しい状態にしておけば、彼らを御することは簡単なことである。もし、あなたが、彼らに、のべつに何かの仕事をさせることができれば、彼らを制御するには、ほとんど困難を感じないだろう。ただし、これは、あなたが与えるものに、彼らが興味をもっている場合だけである。

 また、少年たちを御しにくい理由の1つに、彼らがもう、カブ隊員としては、成長しすぎていることがあげられる。11才になってしまうと、もっと年上の子どもと遊びたくなる。このことを例証するよい例があった。
 若くて有能なアーケイラが、その隊員のカブについて、何の知識もなしにうまくいっているカブ隊の指導を引き縫いだ。
 彼女はどんなに成功を願っていたことだろう! 熱意をもって毎日曜の夕方会合を始めるが、なんとみじめな気持で、夜遅く家へ帰ったことだろう! カブたちは、彼女をはやしたてた。彼女はそれを毛嫌いした。要するに、彼女はカブたちを制御することができなかったのである。これは、自分たちで、勝手に「ふざけあう」ために、どんなゲームからもはずれてしまう1人2人のカブがその原因だった。
 彼らは、片隅に古いすが積みあげてある部屋で、とびはねたり、もっと悪いときには、低い壇の下にもぐりこんで、そこから何やら叫んだりするのである。この若いアーケイラの言ったことは何の効果もなく、まもなくこのカブ隊の秩序は乱れてしまった。
 アーケイラは自分が悪いと考えて、地区コミッショナーに、自分を誰かと入れかえてもらいたいと、懸命に頼んだ。しかし、地区コミッショナーは彼女をよく知っていたし、彼女を隊長に任命したのは彼だった。
 彼は、自分の人選に誤りはないと確信していた。そこで、まず自ら、隊長役をやって、彼女のどこが悪いのかを見せようと思って、会合を催してみた。ところが、地区コミッショナーといえども、ぜんぜんうまくゆかなかった! それで、彼はそのいたずらっ子たちのあとから、いっしょに壇にもぐりこんだ。
 ・・・このアーケイラは今日に至るまで、このやさしい、いくぶんふとった地区コミッショナーのことを心にとどめて、教訓としているのである。

 この少年たちは、結局、年令が高くなりすぎていたにすぎなかった。それが原因だったのであり、また、アーケイラも少しおとなしすぎたということになる。その結果とられた処置は、このいたずら少年たちを、彼らがじゅうぶん腕をふるえる少年隊(ボーイスカウト隊=)へ編入したことだった。あとに残った隊(この隊は、以前より年少の少年で構成され。アーケイラもより腎明になって)は、まもなく一流の隊となり、現在まで盛んに活動を続けている。

 オールドウルフがよい手本を示すことによって、カブ隊の紀律をたぶんに維持することができる(訳者註:オールドウルフとは、カブより年上の者で隊長の助手。バールーもバーギアラーも含む)。少年たちは、どんなことも見逃さない。そこで、アーケイラとその助力者は、少年たちに服従してもらいたいならば、自分がまず、あらゆる規則を守らなければならない。たとえば、アーケイラが、ゲームの内容を説明しようとして、静粛にするよう要求したら、助力者もおしゃべりを控えなければならないし、また、助力者が話をしているときには、アーケイラも同様な気持になっていなければならないのである。

 いうまでもなく、オールドウルフは、少年たちの前で、ほかの者とけんかをしたり、他人の指図に疑問をさしはさんだりしてはいけないし、少年たちに向って、他人の批判をしてもいけない。オールドウルフたちは、しっかり一体とならなければならない。また、カブたちの面前で、他人のことばに、反ばくするようなことがあってもならない。そんなことをしようものなら、必ず多かれ少なかれ、カブたちにその指導ぶりに対する不信の念を、ひき起すことになるだろう。アーケイラは少なくとも、カブ隊の夜の集会には、少年たちの模範でなければならない。したがって、彼らがあなたを偶像視するような場合は、たとえ、彼らが粘土でできていようとも、足もとをみせてはならないのである。

 紀律を維持する大きな助けが、ゲームによって得られる。ほとんどすべてのゲームは、カブたちに、精神と肉体の両面にわたるある種の規制を要求する。カブが十分な努力を払えば、このような娯楽からも、大きな利益を受けることができる。たとえば、チームのゲーム、これは、細心の注意が払われれば、非常に投立つ。すなわち、きちんと始め、きちんと終るようにするのである。こういう些細なことがらその1つひとつが、カブたちをとらえる助けとなるし、それが成功のなかばをしめるといってよい。少年というものは、たえず成長してゆき、エネルギーの塊りみたいなものである。このことは、しばしば、よい面よりもやっかいなことを、ひき起こすことになる。賢明なアーケイラは、このエネルギーのはけ口を、たくさん彼らに与えてやる。だから、変化と活動にとんだプログラムを組んで、彼らのありあまるエネルギーを発散させる機会を、与えるように気を配ってほしい。

 もちろん、少年たちは、オールドウルフたちを好きでなければならないし、あるいは尊敬しなければならない。カブ年令では、好きであることと、尊敬することは同じことかもしれないが。そこで、カブとともに笑い、カブとともにめんどうが起こる暇のないほど、楽しみ合うことの必要性をここで強調せざるを得ないのである。少年たちを笑わせ、あなたとともに楽しみ合うようにしてみなさい。彼らはあなたが指導するどんなことにも、ついてくるだろう。
「カブは、オールドウルフに従う。カブは自分に負けない。(訳者註:わがままをしない)」という、カブ隊のさだめは、たしかによい紀律をつくりあげるための、すばらしい土台となるだろう。 しかし、このさだめを教える前に、まず、カブ隊を制御できなければならないことはいうまでもない。そうでなかったら、少年たちは、一向にそんな話に耳をかそうとしないだろう。彼らに説明を聞かせるためには、彼らの注意力をひきつけることができなければならない。第1回目の会合で、少年たちが、すぐこの「さだめ」を、すなおに受け入れて、それに則って行動するものと期待するのは無理である。・・・まず第一に、あなたは彼らをあやつることができなければならない。したがって、私は紀律に関するかぎり、少なくともアーケイラの立場からいえば、たとえカブにさだめを教え、かつその意味をわからせる楔会があったとしても、それが第一にすべき重要なこととは考えないのである。まず、オールドウルフに服従する必要を少年に印象づけるすばらしい機会をみつけることである。

 以上のことを要約してみよう。・・・アーケイラとして、カブ隊の運営に困難を感じたならば、「うまくいかない原因はいったい何だろう?」と、自問自答してみる。
  • 少年たちが、大きくなりすぎているからではないだろうか。
  • 興味をそそるに足りるものを、与えていないからではないだろうか。
  • あり余る精力を吐き出す機会が不足するため、圧迫されているのではないだろうか。
  • 自分が彼らに、あまりに命令しすぎるためだろうか。それとも、命令が要領を得ないためだろうか。
  • オールドウルフたちは、一丸となって、仕事をしているだろうか。
  • 自分は少年たちを生意気にさせてはいないだろうか。自分でもできないような脅かしをかけているのではないだろうか。
  • 自分はかんしゃくを起したりしてはいないだろうか(このことは、アーケイラにとっては、最もしてはいけないことであり、少年にとっては、第一にしないように学ばなければならないことである)。
 最後に一言。カブに「君はだめな子だ」と。決していってはならない。

カブ隊の大きさと助力者

 新しいアーケイラにとっては、少人数から始めることが大切である。ことに、彼女が少年たちを扱った経験が十分にない場合には、なおさらである。2〜3週間の間は、人数を12人以下に抑えるのが最上である。この人数だと、少年たちをまとめて扱うためにも、また少年の1人1人を個人的に知るためにもよい。この少人数でうまくすべり出して、大ぜいの者が入隊を許されるようになったときには、健全な雰囲気と高い水準で、カブ隊が運営されているようにしておかなければならない。

 8才未満の者は、入隊を認められない(どんなに熱心に懇願されても、入隊を許すことは違法である)。彼らは、「やくそく」や「さだめ」のもつ意味をじゅうぶん理解するにはまだ年がいっていない。したがって8才になるまで待たすことがいちばんよい。また、一方、11才の子どもを入れてもいけない! これについての危険性は、すでに指摘した通りである。彼らはもう、カビングの年令を過ぎているのであって、スカウティングこそ、彼らにふさわしいものである。カブ隊を始めるに最もふさわしい年令層は、8才〜9才、そして、最近誕生日をすませたばかりというなら、1人2人の10才になる少年、こういったところである。

 新しいカブ隊は、それがどんなに少人数のものでも、アーケイラと同様、助手が必要になる。最初から健全に始めることが、実に大切なことなのである。少年たちは、第1回の会合を純粋に楽しまなければならない。「ああ、おもしろかった」が、そのときの感想でなければならない。それができたら、次の土曜日には、ピクニックにでも、1つ2つのゲームをするためにでも、少年たちを連れ出すことができるだろう。少年というものはすぐに忘れてしまう。9才の少年には1週間というものが、とても長いものなのである。もちろん、イモを持っていってたき火で焼いたりしようものなら、彼らの喜びは、最高になる。

 だから、少人数から始めなさい。年令の低い者から始めなさい。そうすれば、最初から健全に運営することができる。

 アーケイラは、少なくても、1人の責任をもてる助手を持たなければならない。この助手には、通常バールーとかバーギアラーまたは、「ジャングルブック」に出てくる名まえをつける。もし、アーケイラが女性であるならば、男性の助手をもつことを勧めたい(その逆の場合も同様である)。というのは、カブのプログラムには、実にいろいろなことがあって、時には、実際にやってみせる必要のあるものもあり、男の人にやってもらった方が、うまくゆくことも多いからである。かえるとびとでんぐりがえりはその例である。

 よく少年隊のスカウトが、肋手となる。これは、よい方法である。ボーイスカウトが、定期的に、カブ隊の会合に顔を出すことができないとしても、彼を説得して、カブ隊にとって重要な役目をするカブの先生(カブインストラクター)として活動させることはできるだろう。彼は、救急法や結索法、前述したような活発な遊戯などの進級課目を教える責任をもつことができる。

 実際の指導ぶりはとにかくとして、少年をカブのインストラクターとする価値は、彼もやはり少年だから、大人よりも、カブの気持に近いという点にある。彼は、少年たちがのろのろしていれば、せき立ててゲームの列に並ばせるだろうし、どうしようもなくなるまえに、ちらかしを注意してくいとめるだろう。集会のあとで、そのデン(訳者註:集会場)がきちんとかたづいているかどうかに気をつける仕事に責任を持たせることもできる。彼はいろいろなごとに投立つ。彼が健全な少年であれば、自分がかけがえのない人間になっていることを感じるだろう。

 どんなカブ隊にも、少なくても、2人のオールドウルフがいることが理想だろう。アーケイラのほかに、バールーとカブインストラクターをおくことである。この場合には、オールドウルフは、2人とも女性であっても差しつかえない。

 助手を「扱う」(もしそう呼ぶとしての話であるが)には、アーケイラのコツと創意とが必要である。来る集会も来る集会も、仕事を与えないでただ出席させたのでは、助手はたいくつしてしまう。事実、たいくつするのがあたりまえである。アーケイラとその助手との間のもめごとは、通常、プログラムについて彼らの意見を聞かなかったり、カブ隊の運営に関して、彼らの助言を求めようともしないということから起こるのである。

 助手は、重要な投割をもっていることを自覚すべきである。したがって、彼らは、責任感をもつと同時に、自分たちの意見を発言してよい・・・もちろん、常にアーケイラに従っての話である。

 前もって立案されていなければならないプログラムは、オールドウルフたちの助力によって、編集されるべきである。ゲームについても、進歩課目についても、また夜話についても、助手たちにまかす部分を考えておくことである。助手が何を得意とするかをよく見極め、それを彼の専門の仕事としてやる。工作かもしれないし、自然研究や音楽かもしれない。それが何であるにせよ、その課目を彼にまかせる。そうすれば、彼はカブ隊の仕事に尽くすことができる。彼の考えを求め、できる限り協調する。そしてあなたが、カブの1人1人を知ると同様に、あなたの助手についてよく知ることである。

 時として、カブ隊長のなかには、もし助手に、ゲームをやらせたり、進歩課目の動きを伴うものをやらせたりすると、自分の座を失うのではないかとおそれる者がいる。そんなことは、もちろんお話にならないことである。アーケイラは、常にアーケイラである。この地位が、彼女を第一人者とする。もし助手がゲームをやったために、アーケイラとしての尊敬を払われなくなったとするならば、彼女は、もともと、何もできない無価値な人間だったといってよかろう。カブ隊がほんとうによく運営されているかどうかは、アーケイラが、よんどころない事情のために欠席しても、とどこおりなく隊が運営されて行くかどうかでわかる。

 紀律維持のため、オールドウルフたちは、一本になって、ことにあたらなければならないことは、先に述べた通りである。カブたちの前では、常にお互いを支持し、仲間同志助け合わなければならない。アーケイラは、助手に隊をまかせたときには、決して干渉してはならない。しかし、もし何かいっておいた方がいいときには、後刻、個人的に言ってやる。なぜ失敗したか、そしてどうすればもっともよかったかを指摘してやるのである。

 このように助手を有効に使いなさい。彼らとともに、プログラムをつくり、彼らにカブ隊のなかで何らかの責任を与え、ときどき全面的に集会を彼らにまかせてみることである。

家庭訪問

 多くの新任のアーケイラにとって、親を訪問することは、最も骨の折れる、しかし最も尊い仕事である。「全く気楽に」自分の身分をあかして未知の人に接し、ともに談笑するわけにはいかないからである。しかし、これは、カブ隊をよくするためには、ぜひともやらなければならないことである。そうするのだと決心することである。やってみれば、案外、短時日に、うまくその目的を遂げられるので驚くことだろう。「カビングについて両親へのことば」というパンフレットがある。これは、きっと、あなたがたの役に立つことだろう。

 隣り同志とまでいかなくても、カブたちはかなり近所に住んでいるもので。あなたは1日のうちに、数人の母親に、「面談する」こともできるわけである。あなたの如才ない機智を働かしてやってみることである。青コハク色から黒褐色に至るまでの、さまざまの色のお茶も、飲めるようにしておきなさい。全般的に母親というものは、よろこんで自分の子どもについて話すものであるから、会話をかわすことはさして心配しなくてよいのに気がつくだろう。ときどき、「ええ、そうですとも」とか、「いいえ、そうじゃございません」といったり、あるいは相手の話にうなずいたり、笑ったりしながら、その子どもについて、多くのことを学ぶことができる。彼らの家庭は、おそらくその雰囲気ばかりか、家具の状態にいたるまで、異なっているだろう。それによって、なぜ、ある少年は、他人と協調することが容易なのか理解できる。また、ある少年は、なぜあなたの助力をそんなに必要とするか、あるいは、あなたの少しばかりの親切や信頼が、彼らの心にどうして長い間残っているのかを理解することもできるだろう。

 少年たちについて。いろいろなことを見い出すこととは別に、あなたは、母親にカビングとは何をするものかを語ることができる。カブたちはおそらく、あなたのいったことを、彼らなりに解釈して帰る。ある母親は、子どもが、investと聞くべきをinfestと聞いて来たので、実に困惑してしまって、こんなふうに尋ねた。「ビリーが荒されたといっていますが、どういうことなのでしょうか。別に、苦しんでもおりませんが・・・」(訳者註:invest<叙任される>をinfest<荒らされる>と、子どもが聞きちがえたための誤り)

 母親たちは、ひとたび理解し得たことについては、何ごとによらず助力を惜しまないものである。だから、彼らをできるだけ利用する。パーティを催したときに、お母さんがたにケーキをつくってもらうこともできる。彼女らはめんどうもいとわず、変化に富んだものをつくることは、まったく驚嘆にあたいする。彼らは予想以上にうまくやってのけるし、助力を頼まれることが好きなのである。

 最初の訪問には、制服について話すとよい・・・どんなに制服が必要であるか、その代金の支払いについて、彼女らに何を期待するか、そして、もし隊に貧困者が多ければ、1週間ごとの分割払いの制度をつくることもできるということを。カブが清潔にスマートになったかどうか、また彼らが歯を磨いたかどうかをみるために。どんな点検をしているかを説明してもよい。母親たちを、彼女らなりの目的で、こういったことについて動かすことができれば、それは、あなたの目的にとっても、大きな助けとなる。

 とにかく、両親たちと知り合いになったことは。新たに多くの友人を得たことであり。また、この最初の努力が、どんなに価値あるものであるかを悟るだろう。