日本ボーイスカウト茨城県連盟
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資料センター

ボーイスカウト十話(9)

 

ハイキングの妙味

 

三島  通陽

 

 

 ハイキングという言葉は知っていても、この語源を知っているものはまずない。

 ハイクとは、スコットランドの古語で、仲良く歩くという意味で、もう死語になっていたものを、パウエル卿が、スカウトの「訓練の旅」に使って、それが世界に流れたのである。仲のいい友と協力する旅ほど愉快なものはない。昔の巡礼が、一人で歩いても背中に同行二人と書いたのも意味がある。

 およそ旅ほど、よい修養の道場はない。自然に抱かれ、世態人情を知り、おのれを発見する。それでスカウトのハイキングにも種々多様のやり方があるが、人造りへの一つ道なのである。しかし、これはわが国では、古来行われてきたことである。雲水、托鉢(たくはつ)、行脚、巡礼、お遍路、武者修行など、みな一つの修養のためのハイキングであった。宗教家の中には、実に偉大なハイカーがたくさんあった。弘法大師、西行法師なぞ、頭のさがる人々である。

 しかるに、今のわが国のハイキングは、あまりにバカンスのためのみと考えられ、自然をこわし、自己を汚している者が多すぎる。学校の修学旅行までが、そうである。修学旅行はよき生活指導の場なのに、指導者が悪いので、高校生が酒に酔って乱暴をしたり、中学生を寝かさず夜中にさわがせ、翌日はフラフラになってけがをするなど言語道断である。

 わが国の昔の「行脚の心」は決してそんなものではなかった。ここに俳聖芭蕉の「行脚の掟」の中から二三紹介すると「一宿なすとも、故なきに再宿すべからず(これは旅には変化が必要との意)。樹下石上に臥すとも、あたためたるむしろと思うべし」「腰に寸鉄たりとも帯するべからず、すべてのものの命をとるとなかれ」「衣類器財相応にすべし、すぎたるはよらず、足らざるも然らず、ほどあるべし」「主あるものは、一枝一草たりとも取るべからず、山川江沢にも主あり、つとめよや」「夕を思い旦(あした)を思うべし(これは日々のプランをよくたてろ、ゆきあたりばったりはいかんの意)」等々(細野浩三の芭蕉研究による)。いまのスカウトのハイキングの心とピッタリなのに驚かされる。

 近ごろは、日本のボーイスカウトも、世界ジャンボリーに、青少年の大集団を派遣できるようになったが、これも一つの大きなハイクで、その心は少しも変わらない。青少年のころ、海外に出て、他国の風物人情にふれ、他国の青少年と交歓し、生活をともにすることは、自国をふりかえり、自己を反省氏、一つの人生観を得られるもので、これには、その指導者にも大切な責務がある。

 いま各県に活躍している指導者はほとんど、青少年のころ、この海外派遣に出たものが、一生のやみつきになったものである。

 海外派遣から帰って、この運動を続けぬものを「食い逃げ」といって、みなから軽視されるが、この食い逃げ組も、何年か、また何十年かたってこの運動に帰ってきて、熱心な奉仕をやり出すのもまた不思議である。

 先年フィリピンにおける世界ジャンボリーには、白山丸をチャーターして500余人を、一昨年のギリシャのには、飛行機をチャーターして、135人の青少年を派遣(団長はともに久留島秀三郎)したが、この選考には、全国の候補者を集めてキャンプをやり一昼夜個人ハイクをやらせて採点選択し、それから出発までは、各県にいる者に通信指導し、出発から帰着までは、団長以下幹部は、ほとんど寝ないで指導世話をする。病人を出さぬ根本は「寝ること、食うこと、出す(排泄)こと」で、これは多くても少なくてもいけない。500人からの子供を、海外につれ歩くのは、決してなまやさしいことではない。指導者らは骨をけずり、肉をそぐ心で指導し、みなやせて帰ってくるが、逆に子供たちは心身が成長して帰る。それから爾後(じご)指導である。こんなおおきなハイクの心も指導も、小さいハイクの指導の心も同じである。修養としてのハイキングの妙味は、実に深く広いものを感じられる。

 

(スカウティング誌 '81.1より転載)