●目次
●随想(1)
ローバーリングは電源である
隊長がエライか? 地区委員がエライか?
初夏随想・指導者のタイプ
忘れられない話(その1)
忘れられない話(その2)
●スカウティングの基本
●ちかい・おきて
◆バッジシステムの魅力
進歩制度はこの旅の一里塚である。どれ程の旅が出来たか、それを自身で量り知る里程表である。時として階段である。山寺への坂道に立っている十丁とか八丁とか記してあるあの建石である。
班別は旅の道づれであり、進級は旅そのものである。人生が旅である以上、進級制度は必修科目である。Hikingの形がそのことを具象している。進級しない者は旅をしない者で、旅をしない者はスカウティングではない。
まだ見ぬ山河を胸に描き、希望を抱いて颯爽と旅立つところにスカウティングは始まる。
旅にはお土産がほしい。技能章はお土産であろう。自分の好きなものを得ることが出来る。
子供達は競争でそれを得るであろう。これは、自分の力の代償として獲得するのである。それはあけて悔しい玉手箱ではなくて、開けて自分の生活を助ける玉手箱である。
選択科目であり、適正適職のよすがになる。新教育による学校教育法第36条第2項において、新制中学校の教育はハッキリと職業指導をその性格の一つにあげている。しかしスカウトの職業指導のやり方の方が一日の長がある。その仕組みにおいて授け方において魅力がある。この線に沿うならば、世にいう所の科学教育も、新しい進展をすることを確信する。科学教育振興のための協議会が何百回となく過去に催され、学者や教育家達が甲論乙駁、名論を戦わしたのであるが、今もって具体的な方案は一として出来上がっていない。協議会の速記録がプリントされ、その記録が埃に埋もれて堆積されてるだけで、ペーパープランに終わっている。誰一人としてバッジシステムに思い及ばなかったとは何とした無能揃いであったことよ。バッジの魅力───それに気づかなかったのだ。
Scoutingは実に傑出した新教育法である。そして、そのスタンダードは実に班制にあることを認識せねばならぬ。近時学校教育にもグループシステムが強調され、一種の班制が作られるに到ったが、同一年令児を以て組織した班制というものには、今一つ欠けている機能がある。それはドン栗のセイクラベということである。兄と弟という関係がないということである。結局学習のための方便としてのグループにすぎない。スカウトの班はスカウティングのための方便ではない。班制即ちScoutingなのだ。このことを初心の指導者はよく知ってほしい。だから班制が形だけにとどまっているとしたら、そのスカウティングには根は生えぬ。従って成長しない。指導者が鞭うってタタキまわらねば車は動かない。徒に苦労するだけでオシマイだ。車は割れてこわれるからである。といって指導者が自分で車をひいたとしたら車は廻るかも知れんが、それは、猿のひいた車でしかない“Monkey Scout”だ。
子供のものでなくなって、陣頭指揮型である。
(昭和25年1月20日 記)
◆技能章について
スカウト教育の三大制度の中の技能章制度がまだ実現されなかったことは、我が国BSの一つの大きな空白であったのだが、いよいよ1926年度実現のメドがついたので、遠からず全国のスカウトたちはこの新しいプログラムに歓声あげて突入することであろう。そこで技能章教育の性格、その目的は何であるかということについて指導者はハッキリした理解をもたねばならなくなった。今まで講習会の講義で述べられたことは、実際に技能教育をやっての上から来る講義というよりも、書物などから、或いは教育論の上から来るいわば抽象的な概論的な講義であったことを、私自身の反省から告白できる。といって、他の人々の講義もそうだ───とけなすつもりは毛頭ない。これは日本BSの発達の段階として無理でないことを是認されねばならない。
今度、いよいよ実施するにあたって、私はもっと具体的に掘り下げて、その本旨を把握されねばならぬ───と思う。私は約2カ月の余を技能章に没頭して来た。そして、その間色々の問題にぶっつかった。何れそれらの私のなしたプロジェクトはまとめてみたいと思うが、まだそこまで出来ていない。ここにその一部を書かせて貰う。
「技能章の性格」───という意味で、最も古く研究されたのは、故中野忠八先生で「少年団研究」の第二巻第六号(大正14年6月号)に「徽章制度に就いての考察」というのが、私の注目をひく。その論文の中の主要な点を引用する。
4 スカウトの訓練はスカウト集会時だけを以て完全を期するのではない。即ちこの制度は集合時以外の少年の時間をスカウトの中に掴まえる処の作用をなすのである。
5 指導者は適当なる助言は必要であるが無暗に奨励すべきではない。スカウトの閑時を利用せしむるものたることを忘れてはならぬ。又直ちに職業教育と解してはならぬ。スカウト自身の自己発見たる一事を銘記せねばならぬ。併し、そのことに熟練の度を進めたるときは、必要に際し職業となし得る便宜あるは云うまでもないことである。
6 学校の成績が良くない少年が、特殊の技能に於いて天才的に秀でたることがある。学校の課目は人間の全能力に触れていないから、学校の課目に触れざる処に如何なる天才的能力が隠れているかも知れない。この隠れたる能力は、この制度によって啓発せられ、天分を発揮し、その個人の為にも人類の為にも幸福に寄与する事が少なくないのである。学校の成績が劣るがために自ら軽んじ、進取の志を挫かれる可憐な少年も、この制度によって勇気を与えられ、時としては自己の能力を知る事によって、不良なりし少年も学課にまで好影響を及ぼす事さえある。
これに対し、職業指導の面に活用せよという論文が、米本卯吉氏、津戸徳治氏などによって同誌に出ているのは興味深い。
私は今これらを詳しく述べる余裕がない。けれども新制中学の教科は学校教育令に明示されているように、職業指導であることを見るならば、人格完成という本筋の教育目的と、この職業指導との不可分性を無視することは出来ない。又、同じプロジェクトにせよ、これをBSとしてやるのと、4Hとしてやるのと、これまたネライが異なることを最近4Hの人々とのディスカッションで私は知った。 何れ、時期を見て、私はまとまった研究を出したいと思い、只今資料を集めている。
(昭和26年5月30日 記)
◆技能章におもう
私の住む狩野村にも、那須第13隊が結成されて、スカウトの香りが村中に漂い始めました。宇都宮市にも、今度第1隊が出来て、同市としては始めてのことで張り切っているようです。とりわけ那須第13隊は、昔あった、那須野ボーイスカウトが再建され、昔の団旗が伝統旗と銘打たれて、新隊長に渡されたという点で、列席者達を感激させました。
今の中学生、高校生たちは、昔の学生と外見も心情も大変ちがっていて、私にはどうも親しさがピンと来ないのですが、スカウト服の少年達は、その点、今も昔の少年と一向かわりなく、にこにこして明朗なのに2度びっくりしました。“自分はスカウトだ”という意識が、否スカウト教育の力が、現代の少年を、そのように育てているのだと、私は思いました。大変うれしいのです。
私はかって、隊長をしていた10余年以前と同じ気持ちで、今の新しいスカウトと同席して、語り歌うことが出来ました。これは近来の一大発見です。国敗れ、人心一変するも、スカウトスピリットは昔と変わらぬ、そして、ひとたびこれに触れれば、いつの時代の少年をも、薫化せしめ、この道をたのしませることが出来るのだ、と。私のスカウト道を信奉する念は、いっそう強まったのです。
ここに1人の少年がいる。その少年は学校では劣等生である。いつも先生から、叱られ、親は、その少年に期待をかけない。同級生も彼を尊敬しないのみならず、馬鹿扱いする。彼はみんなが、そう評価するのだから、まちがいなくオレは劣等生で、馬鹿なのだろう、と思う。相手にされないし、あそんでもくれない。すべて悲しく、さびしいが、もう泣きなどしない。あきらめた。彼は鶏に餌をやるときだけが楽しみだ。鶏だけが彼の来るのを期待し、よろこんで迎える。飛びついて来るから、彼が叱ると、彼のような劣等人間の命令でも聞いてくれる。こうして彼は学校から帰ると、1人とことこと歩いて鶏小屋へいそぐ。
鶏の中にも、彼と同じような劣等生がいることがすぐにわかった。その鶏を彼は抱いてやった。涙がわいてその鶏の上にこぼれた。彼は、その一羽の劣等生を可愛がった。そうするうちに、彼は鶏飼育の名人になった。けれども誰も彼が、鶏を飼う天分をもって生まれたとは思わない。彼も初めはそう思わなかった。“人はみな誰でも何か一つは人にすぐれた天分をもつものである。”ということを、新聞で、誰かが開いた座談会の記事を彼は読んだ。それで彼は、鶏を飼うことが、ひょっとすると自分の天分ではなかろうか、と考え出した。学校の科目の中に養鶏というのがもしあったら、オレは優等生になっていると思うようになった。彼は自己を発見した。その天分を伸ばしたいと思った。けれども、学校の先生は、彼を相手にしてくれなかった。
スカウト教育に入らない少年の中には、こういう少年が、沢山いるのではあるまいか? 教育の機会均等などと、立派なことを口にしながら、教育家と称する人達は、限られた時間割で限られたページの本から、限られた者に、限られた教育をしつつあるのだ。
スカウトの技能章制度の立案をなしながら、私は考えさされた。養鶏章をとるべく、この少年が一心不乱に、プロジェクトしたならば、彼はこの一つを通してでも、人格造立を果たすことが出来るにちがいない。劣等感よ! うせてしまえ!!
技能章こそは、教育の機会均等のために、万人が一人残らず、自己の天分を自覚して、勇み立ってこれを伸ばす鍵となり、自己を信じて疑わず、自己のペースをよく守り、相対の世界にひきずられてくよくよすることなく、自己の技能をもって、よく他人のために奉仕する心を生ぜしめる、尊い発心をよび起こす鍵となることを意味すると私は思う。
それにもし、技能章は職業訓練のためだ、などと思うような人あらば、この人、けだしともに語るに足らぬ。教育とは、それほど打算的で、狭い小さい浅いものかね、といいたくなる。
(昭和26年10月1日 記)
◆自発活動ということ
私は最近自発活動ということをひとしお思いつづけている。スカウティングは自発活動に始まり、その不断の持続を以て一生を貫くのだということをハッキリ体得した。もし、自発活動によって入隊したのではなく、また、自発活動なくして班や隊が動いているのであるならば、それは、スカウトではなくて、少年団、または、コドモ会だと思う。“Scouting for Boys ”の巻頭にイギリスのチーフ・スカウトであるロウォーラン氏の序文の中に次のようなことが記されている。ベーデン・パウエルが“Scouting for Boys ”を書いた意図は、既設のBoy's Brigade やY.M.C.A.の訓練を補足する考えで書いたのであった。然るにこの本を手にした少年達は勝手に班を作ったり隊を作り、隊長を探してきてBoy Scout を作ってしまった。女の子でガール・ガイドを生んだのも、弟分のコドモたちが、ウルフカブを生んだのも、年長の少年がローバーリングを始めたのもすべてこの調子である。───と。即ち、スカウト運動はベーデン・パウエルが作ったのではなく、少年それ自身が生んだのだ、と、いうわけである。私のいい方でいうならば、少年どもの自発活動が、作りあげたということになる。こんな珍しい教育は恐らく他にあるまいと思う。
「私は、名誉にかけて次の三条の実行をちかいます。」───と、いう言葉は、実に、自発活動のスタートである。「私は」という一人称の単数に注意されたい。「我々は」といわず「私は」である。他の青少年団体は大多数が「我々は」という表現をとるのにスカウトは「私は」とハッキリ発言するのだ。人から、大人から、国家から、政府から命令されたり押しつけられたり、強いられたりして「ちかい」を立てているのではない。「私は」とハッキリいう以上、スカウトの班や隊は厳密に団体ではない。従ってスカウト訓練は、団体訓練ではない。それは、個別訓練が基礎である。それ故、個人別プログラムは、班や隊のプログラムより先行すべきである。少年一人一人皆、顔がちがうように性質も体質も、個性も、家庭も環境も、将来の志望も皆違っている。これを十把ひとからげに一斉訓練するようなやり方をするならば、自発活動は殺されてしまう。班や隊のプログラムは、各個のプログラムの最小公倍数、あるいは最大公約数のものであるべきで、それを因数分解するならば、8人それぞれのプログラムが因子となって出てこなければウソである。個別のプログラムも立てさせないで、徒に班のプログラムがどうの、隊のプログラムだ、と、アクセクすることは本末を転倒している。
「我々は」でなく「私は」である点を充分考えてほしい。
スカウト教育は個別教育であることは前述したが、個というものは個体のみでは生きてゆけないし、生き甲斐が出ない。訓練の方法としては切磋琢磨───磨きあい───の方法が効果大である。これがグループ・システムの起因である。人生の年令が加わるほど細流から大河、大海に出てゆく。大きな社会、広い世界に出てゆく。そこで、もまれて、人となる。と同時に、社会または集団の中で、自分がどういう生き方、働き方、をするかテストされる。(否、テストしてみる───自発的に。)そこに自分の分担がある筈。その責任を全うすることによって、協働(Co-Operation)出来る。これが、公民たるゆえんである。
スカウト教育の目的は、B-Pのいうように、能率の高い公民を作るにある。公民教育であるが故に、協同体における協働の訓練を必至とする。たまたま、少年の本能として群居本能と名づける児群の生活がある。これを活用して教育の組立に役立たせる。これ、即ち班制度である。班制は協働訓練(チーム・ワーク)の単位である。隊は、もうひとまわり大きい協働体である。さらに隊の4つ5つをもって小地区とし、小地区の4、5をもって地区とし、数地区で県連となる。と、いうように、この協働体は、どこまでも班制を起点として遠心的に広がり国際協働に至る。
こういう形を、従来の日本人の概念では「団体」あるいは「団体訓練」とよぶが、私は決して「団体」と思わない。私は「組織体」または「有機体」と呼ぶ。
「団体」とは、観光団体のごとく、個人の希望を一時すてて便乗するものである。観光が終われば解散する。「団体とは離合集散体である」と私は極言したい。「一時的便乗体である。」他人の作ったプログラムに便乗して運ばれるだけだ。コドモ会がその一例である。きまったメンバーがあるようで実はない。出席不定、風の如く集まり、音もなく去る。メンバーとして分担もなければ責任もない。一体、参加しているのか傍観しているのか、ハッキリしていない。
スカウティングには、一人の傍観者もあってはならない。「全員参加」を必須とする。ゲームの時も、班の営火劇でも全員参加を立前としている。一人残らず分担(part)をもつ。各人のpartの協働によってparticipation (参加)が成立する。それは、組織体、あるいは、有機体の原則である。一つの器官(例えば胃とか肺とか)でも欠席したなら生物(有機体)は生命を失うだろう。班とは生物である。定刻に一人でも遅刻または欠席すれば班の機能は滅殺する。否!、班は成立しない。ここに公民教育訓練の厳しさがあるのだ。「団体」は無機物である。
B-Pは“Scouting for Boys ”に───The main object of the patrol system is to give real responsibility to as many boys as possible with a view to developing their characters. 「班制の主たる目的は、出来るだけ沢山の少年たちに人格を発達させるため、本当の責任を与えるにある。」と記している。
責任を与えるとは、分担、役割(part)を与えることである。そのpartが協働して「全」となる。Each for all(全のための個)であるし、逆にAll for each(個のための全)でもある。
「個」と「全」との相関関係である。即ち、スカウト各個人によって班は構成されて「班格───班の人格」が出来て発展するが、逆にその「班格」によってスカウト各個の人格も造立され発展されるのである。有機体とは、こういうものである。
諸君!! 陶器と磁器とは一見、同じようで見わけがつかないものである。陶器は陶土で、磁器は石英粗面岩で作る、と一応常識的知識でいい得るが、さて、これはどっちか? と、きかれるとハッキリ答えられない。ボーイスカウトと、少年団も、これと同じ。古い人たちは、今でも、ボーイスカウトは少年団であり、少年団は即ちボーイスカウトだと平気でいうている。私は有名な、ある陶工の大家から、次のような名言をきいた。───「陶器と磁器との区別は、本当にむつかしいです。陶器は有機物で生きているが、磁器は無機物で死んでいます。いわゆる何百年もたった古い名器(茶碗の如き)は、陶器ですから、生きていて、形も変われば色も変わりつつあります。だから貴重なものです。東照宮の古杉の並木と同じです。これは、陶器ですが(と、一つの作品を手にして)生きていますから刻々に、形も色も変わりつつあるのです。」と。私はその瞬間、ボーイスカウトは陶器で少年団は磁器だ!! と思った。実によく似ている。班制もあれば班長もある。ネッカチーフをかければ見わけがつかぬ。
陶器を作らないで磁器を作っている人はないですか?
その陶工さらに言葉を加えて曰く「磁器は、多量製産が出来ますから商売にはなります。陶器の中にも硬質陶器があってこれなら多量製造が出来ますが、内容としては有機物ではありませんよ。」と。
自発活動の強い人間でなければ、物の役に立たないし、人格、健康、技能、奉仕も自主的に出来ず、結局、奴隷になるほかない。
自発活動についてもっと考えたい。
(昭和30年5月8日 記)
◆自己研修とチームワーク
指導者道の講義で、つねに引用されることは、故佐野常羽先生が、実修所でお話になった実践躬行、精求教理、道心堅固という三つのことである。また三島総長がお話になった運動への忠誠ということである。これらは、誠に指導者道を照らし出された光明であって、このタイマツがなかったら、我々は暗い道をふみ損じたかもしれない。時としては非常に自分を奮起させる力ともなったことは事実である。
ところが、その受け取り方が、極めて大事だということに、最近私は気がついたのである。と、いうわけは、これらの光明は、指導者個々の自己研修を励ます面々に多分に服庸される傾向が強いのではあるまいか…? それも誠に結構であります。仏教の教えの中にも驕慢と弊(卑下すること)と惰怠(サボること)は正法を修する者にとっては禁物であると戒めている。天狗になったり、おれには出来んと捨てたり、怠けたりすることは、スカウティングにおいても、正しいスカウティングに伸びゆくことを妨げるものである。このようにして、以上の教えは、自己研修を励ます上に、またとない力となり、カガミとなることはいうをまたない。
けれども自己研修を積み重ねたり、深く掘りさげたりするだけで、that's allであるならば、これはまだスカウティングの5合目あたりを登った位のものではないか、と、私は思うようになった。そのわけは、自己研修が最終点でなく、それを足場としてのチームワークが終点であり、それが頂上でありそのもりあがりが、今まで絶頂だと考えていた頂上を、更に更に高め築いてゆくと、思うからである。
この絶頂が高まってゆくにつれて、おのれの自己研修はさらに勇気づけられて伸びるだろう。
もしチームワークがなかったら、いい加減のところで自己研修は停止するか、自己満足するか「我流」になるか「私立スカウティング」化して、その人は活きても、死んでしまっても、一つも惜しくない存在に終わってしまうだろう。
このことは「班別制度」の出来た根本原理に結びつくと思う。班員の中で、とても熱心で勉強家(スカウティングでの)で14才にして富士スカウトになるほどの、自己研修家が出た、と、例にしてみても、その少年が班のチームワークに何らプラスになっていないならば、それは学校の優等生と同じようなもので、一つも公民性が出来ていないことになる。
ぬけがけの功名手柄を争ったり、一番槍をめざすみたいに、それは個人プレーでしかない。これらは過去の日本でこそ賞めたたえられたが、民主主義の今日では人間として一番いやしい人物といえよう。もし我々のいう「先駆者」「パイオニア」という言葉を一番槍みたいな功名争いに解釈したら、それはとんでもないマチガイである。
「班」とはスクリーンみたいなものである。自己研修をした自分が、どんな形で、そのスクリーンにうつるかを示すカガミである。即ち自分の在り方を反省するチャンスである。さらに言えば、自分の役割、分担と、それに伴う責任、そして自己のペース(本領)や特質が、班というチーム(小社会)にいかにその在るべきところに在らしめえたか、或いは、在らしめられたか、を検討する場───それが班である。
これを総称して、チームワークという。在らしめさせる側のさせ方をもふくんでいる。
こういう修練は、日本の過去の教育にはなかったと思う。
あったのは、宇治川先陣争い式の、英雄思想の教育であった。
今日、非常に自己研修の面で、アタマのさがるような傑出したリーダーを私は沢山知っている。けれどもその何パーセントかは、少年時代にスカウティングをやっていなかった。そのためなのか、班別制度の在り方、チームワークの修練にかけている人がある。それが年をとるに従って先輩扱いをうけてくると、自己研修の面での、永年の積み重ねが高まるにつれて、他の一方のチームワークへの不馴れさが暴露してくる。そこで、考えさせられることは、いかに班制の運営が大切か───と、いうことである。従って少年の時代から、正真正銘の班活動をやらせよ───と、いうことである。形だけの班なら造作なくすぐ出来る。3分間とはかからんだろう。けれども本当の班は、中々そうはゆかない。
スカウターは、すべて無給で余暇を奉仕するのが建前であるから、自己研修ということは容易ではない。時間的に恵まれ、立地的に恵まれている者と、そうでない者とでは、大差がつくだろう。そうなると、自己研修を自慢したりハナにかけたりすることは、誠に一方的なヒトリヨガリで、正に児戯にひとしい。と、言わざるを得ない。しかも前述するように、それが終点ではないのだ!
いい方はよくないかも知らないが、───自己研修の面では2番手であっても、チームワークの面で、すぐれている人の方が指導者道では、一枚上ではなかろうか───。そのリーダーなら、少年たちに、正真正銘の班別制度をリードしてゆけることうけあいだ。と、いいたい。名曲「スカウティング」の楽曲は、いかに名人でも一人では奏しきることは出来ない。
(昭和34年12月10日 記)
◆班活動について
近来各地からの色々の報告や資料を見る機会に恵まれ、大変勉強になっている。私はそれらを通じて、BS運動の動きをじっと見ているのですが、職業の余暇をさいて、この運動のために情熱を捧げられている何千人かの人たちに深厚なる敬意を払うのであります。それと同時に、みんなが実に貴重なる時間をさいて建設されているのだから、すべての努力が正しく顕現され、そして、その結果が正当にあらわれて帰って来なければならない。これがマイナスになったり、ダブった徒労に終わってはつまらぬ。また力を入れねばならぬ点に力が抜けていて、入れなくてもよい所によけいな力が入れられているような場合もあろう。そうしたことは、のちに、我々お互いの省察、反省または評価、ときに討議によって見出され、指摘されて是正され、妥当化されて“あるべきところに”“あらしめられる”のである。それが一つの新しい経験を形成する。実に貴重な経験である。
こうした意味から、今日は一つ“班活動とは何ぞや”ということを考えて見たい。これがハッキリしていないと、今云ったようによけいな所に力を入れすぎて、大切な他の一面を見のがすことになる。
普通皆さんによって考えられている“班活動”という言葉は班会をしたり、班訓練したり、ハイキングしたりキャンプしたり、色々の奉仕をしたりするいわゆるプログラム面での活動をのみ指しているようである。だからハイキングもやらない、班会もやらない場合、班活動はゼロなり───という評価になる。例えばコミッショナーの人が、ある隊の監査に行く、そして評価をする。そこの隊委員や隊長に対して自分の所見を告げて助言するような場合、班が週に1回班会をもち、週1回の班訓練をやっており、月1回位、班ハイクをしたり班奉仕の作業をしていたりするならば、まずその班の班活動は可である、或いは優であるという評価になり勝ちである。───班活動は活発である。クラブハウスを使用し、全く自発的に行われている。満足すべき状況にある───というような講評として表現され勝ちである。
私はそれでよいのか?───といいたい。
ある程度プログラム面では立派に針は動いている。その時計は決してとまっていない。動いてさえいれば時を刻み進展するだろう。それを私は否定するのではない。けれども、それに対する他の一面が大切だということを見逃してはならない。それは一体何か?
私はこれを“班の機能”という本来の作用に照らして検討すべきだと考える。たといプログラムは進行していても、それが班制度のもつ基礎的、本来性から来る“班の機能”によって自発的、自主的に発動して、その力がプログラムという水車を廻したのか、それとも自分のやむにやまれぬ本然の作用ではなく、誰か別の人(例えば隊長、隊委員または県連役員…)が廻してくれた水車(プログラム)の上に、班がフラフラと乗せられたり、乗っかったりしているのを、判定者は判定を誤って、これを正しい“活発なる班活動である。満足すべき状況にある───”と評価したとするならば、このScoutingたるや一場の喜劇でしかない。
私はこういったような、何だかコソバユイScoutingが、ある地方では流行しているのではないか?───と空想(空想ですよハッキリ)することもある。
これに反して、班のプログラムは今一つうまく進展しない。集会の度数も月一回か二回、それも出席は53%位で欠席が多い。けれども出席した少数の者は熱心である。であるからその班活動は可である───と云えるかどうか? 私はこの場合も不可だと思う。それは───傍観者が一人でもあったなら、それはScoutingの本来性から云って、班の機能を欠いていると診断するからである。
結論的に申せば“班の機能は、果たして正当に発揮されているかどうか?”───ということによって判定されるべきであってプログラム面のあらわれだけでは判定尚早なりと見るのである。
私はこの判定尚早がBS運動全体を至極安易な傾向に甘やかしているのではないか? と実は怖れている。これはお互いに、よほど戒心する必要があると思う。万一そのように甘やかされた班活動が批判されずに進展したとしたら、われわれのScoutingは“行事”Scoutingに堕し、健全にして正当なる班機能から生まれ出されるScoutingでなくなって、班別制度という他の団体に持ち合わせのないこの特異性が、形あって魂なきものになってしまうと私は考える。そのときは、もう、それはScoutingとは云えない。
私は今、何よりも、この擬態的班別制度を撲滅せねばならないと思う。
(昭和26年1月17日 記)
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