●目次
●随想(1)
ローバーリングは電源である
隊長がエライか? 地区委員がエライか?
初夏随想・指導者のタイプ
忘れられない話(その1)
忘れられない話(その2)
●スカウティングの基本
●ちかい・おきて
◆自発活動(その1) 人に対する忠節をつくすのか?
歎異抄(たんにしょう)という親鸞(しんらん)上人(しょうにん)の書きのこされた本の中に「親鸞は弟子を一人も持たない」という言葉がある。これは師弟だとか、教え子だとかいう特殊関係がそこに生ずるとき、法(この場合は仏法)に従わないで「人」「仏語ではニンと読む)に従うようになる。これは恐ろしいことで、師の方は人情にひかれて妄執にとらわれ、弟子の方は法を忘れて人(ニン)にすがりつき、結局師弟もろとも溺死するということを戒められたサトリをひらくということは、弟子自身の自発活動に基づくものであり、その自発活動を師匠という圧力でゆがめないよう、その者の本来のペースのままで育ててやりたいという深い愛情に基づくものだろうと私は考える。弟子が師にすがりつこうとするのを、払いのけるその心は無情か、非情か、一応不人情のようであるが、そうしなければ菩薩道の修行がやってゆけない切々たる苦衷を「弟子一人も持たない」といいきったものと思われる。親鸞は、自発活動を、かくのごとく厳粛に扱っていたと思う。
児童憲章(そんなものがあったことを忘れている人も多かろうが)の中に「児童は総て人として尊ばれねばならない」と規定されている。一体、児童の何を尊ぶべきなのか? 「人格をだ!!」と、誰かが叫ぶ。「自発活動をだ!!」と、私は叫びたい。結局同じことになりはするが、あとのいい方の方が、より具体的だと思っている。子供を私有物だと考える母、これは母性愛のゆきすぎだと批判される。子供は国有物である、と、何年か前の全体主義的国家主義者は叫んだ。児童憲章は、それを拭い去ろうとしているのだが、さて現実はどうであろう?
スカウティングの一つの要素に「スカウティングに対しての忠節心」あるいは、「道に対する忠節心」「この運動への忠節心」ということが要望されている。世界大戦後のスカウト国際会議のテーマにさえなった。この言葉の意味、その解釈ならびに忠誠心のあり方については決して一様でなく、色々の考え方があると私は思う。しかし、何れにせよ、道とか運動とか、スカウティングへの忠誠心であって、「人」に対する忠誠心とは異なる点を注目したい。「Aさんが理事長をしているあいだは、僕はひっこんで第一線に出ませんよ。」とか「あんな奴がコミッショナーだなんて笑わせる、うちの隊は、自分とこだけしっかりやっとればそれでええ。当分地区の集会には欠席ですわ。」と、いうような声をよく耳にする。これは皆、「人」に対する忠誠をやっているわけで余りにも、「人」にこだわりすぎている。日本のスカウティング、40年の歴史をもちながら伸び育たない原因の一つである。「法」(または「道」)と、「人」と、そのどちらに君は忠誠を尽くそうとしているのか?
話を元に戻す。しかし、弟子のがわからは、どこまでも師と仰ぐべきである。「たとい師の法然上人にだまされて一生を台なしにしても、私は一つも後悔しない」と、云った親鸞上人のあの信じきった師への尊敬は絶対である。であるからこそ、師になってからの親鸞には非情にならざるを得ないことになる。「人」への忠誠心と「法」或いは「道」、我々の場合は「スカウティング」への忠誠心との岐れ目である。君は、どの道を選ぶか? 君の自発的活動にまかせるほかはない。それが、君のスカウティングなのだ!!
(昭和30年6月18日 記)
◆自発活動(その2) 日本人に欠けているもの
朝から晩まで、何事も自発活動、自発活動---と思いながら一日中何かをやっていると、とても愉快になる。生活の自主性がハッキリ出てくる。多分これは健康にも良いだろうと思う。こういうあいだに、スカウティングが積み重ねられてゆきつつあるように思われる。なんといっても自分のエンヂンがかかっているのだもの。
さりとて、自発活動なら、どんなことをしてもよい---とはいえない。本能のままに、コントロールなしに、衝動にかられて狂犬の如く盲動してもよいのだ、とは、いえない。他人に迷惑や損害を与えても一向にかまわん、という一方的な自発活動では目茶々々である。スカウティングは自発活動をモトとするが故に、その自発活動の在り方、と、いうことが極めて大切である。その在り方を自得するために、観察力、推理力、の錬磨をB-Pは、まっ先にあげている。これがスカウティングの基本になっている。いやいや、それよりもっと基本のもの---三つの「ちかい」と十二の「おきて」---。これぞ自発活動の在り方を示した道標である。我々の自発活動は、この基本線に沿うて発動されねばならぬ。
次に我々の自発活動は、何に向かって投入されるべきか? 私利、私欲のためや売名のためでないのは云うまでもないのであるが、これをもっとハッキリさせたい。我々の(私の)自発活動は「組織体」に投入されねばならん、と私は思う。いいかえれば、せっかく、投入した自分の自発活動が、「組織体」に何程かの貢献をプラスするのでなかったら、その労作はもったいないことだが点にならなくて「残塁」に終わってしまう。全く惜しい。そんな下手なゲームはやりたくない。「組織体」に投入するためには、自分の「分担」または「役割」がハッキリしていなければならない。自分ご自身においては勿論のこと組織体のメンバー全員にもハッキリしていなければならない。これは必須条件である。同様に、自分以外のメンバーの、それぞれの分担、役割についても私は充分よく知っていなければならない。そうでないと協働(CO-operation)がとれないのみか、自発活動の鉢合わせや、対立や、行きすぎや、縄張り争いや、功名争いが起きる。その結果、組織体は崩壊する。現在、日本に、こういう下手くそなゲームが毎日くりかえされている。政争、組合争、団体の内紛、等々。それは、当世の成年層の人々が少年時代に「組織体」訓育を経験しなかったセイである。班制教育というものは、この訓育の実践と練習のために存在するのだ。組織共同体に対する各自の自発活動の投入と、「分担」「役割」を通じての協働を、少年時代から身につけさせるためB-Pが考えた方策である。それは成人の暁、能率高い公民になるべき狙いに叶う方策なのである。我々は、日本人一般が、一番欠けている組織体生活というものを、根本から築き上げて、次代の国民を仕立てるという大仕事に従事しているのである。而してその試練の第一歩は「班制」いかんにかかっている。
もっと、もっと深く、組織体というものを考えよう。君の班は果たして組織体になっているかどうか? 君の隊は? 君の地区は? 県連は? 日本のScoutingは往々にして「組織体」でなく「個人商店」になりがちである。これは、株式組織に切り替える以前の創業時代そのままの状態にとどまった形といえる。「個人商店」のままでは発展のしようがない。たとえ強力無比な一個人が、一生をかけて経営したところで、個人の力だけではたかが知れている。それは他の人の自発活動を育ててやらない、という大きな教育上の欠点を内包している。故に二重三重のマイナスとなる。これは経営面だけにとどまらない。
プログラムというものも、組織体になりきった暁でないと本当のものは生まれない。個人商店のプログラムでは、思いつきや、ハッタリや、宣伝の域を脱しきれまい。個人商店は、人間を利用価値の面だけで扱う。利用価値のあるあいだはコキ使い、利用価値がなくなればヘイリ(弊履)の如く打ち棄ててしまう。人を育てるとか、長所を伸ばすとかいうような教育活動はソロバンにないのである。だから、本当のプログラムはないのだ。あるのは行事( Event)ばかり。それも、いかにして自己の名声を持続するか、を重点とした独善的企画にすぎない。
次代の日本人は、もはや、そういう旧態依然たる企画と、ボスの手を離れた仕組みの中で育てられなければならない。そうでないと、子供たちの折角もり上がった自発活動の伸びる道がない。彼等は、失望のあまり退隊してしまう。星の夜、胸一ぱいの希望と夢を抱いて、三つのちかいをした、あの、神秘な幽玄な、入隊式の日のことは、裏切られたことになる。一体全体、どこに病因があるのか? 下手くそなゲームぶり! 残塁につぐ残塁。すべては在り方の研究不足。
(昭和30年7月30日 記)
◆継続と成功
私の今いる町の隊も今秋4周年を迎える。今年、8周年になったという隊からは案内状を頂いた。或隊は5年、というように、いわゆる「星霜祭」が行われることは誠に喜ばしい。それは、継続し得た喜びである。生命体としての喜びである。そこで、私は、継続ということをテーマとして考えてみた。
英語の Successという言葉には「成功」という訳があるが、Successionという言葉では「継続」という訳がある。それで私は以前から「継続は成功の基」と思い、「成功は継続から」とのみこんでいた。どうもこの二語は一つのものからきているように思われてしかたがない。
今年5月、私は、B-P著「Wolf cubs Hand-book 」の第3部「ウルフ・カブ訓練の目的と方法」という部分を、読みなおし、自分の理解をメモしてみるという勉強を試みた。そのとき、カビングにあっては特に「継続する」或いは「続けさせる」ことが訓育の中軸であると、B-Pが指摘していることに私は注目した。
B-Pはいう。カブ訓育は、さしあたり人格と健康の2点から公民として能率的な次代人を作ることを目的とする。この年令の者は正しい指導を受け入れ得る時代であるから基礎を打ち込むべき時代である。しかし、カビングは書物で教えるのでなく、実行を通して導くという方法をとるが故に、これを達成させるには長期の継続(または持続)を必要とする。良い習慣をつけることは人格をも健康をもよくする。例えば、毎朝毎晩、歯を磨く。これが習慣化し、生活化するには長い期間の持続を待って始めてでき上がる。けれども、この持続というものは、カブにとっては、まだ、自発活動に発していない、そうでなくても、カブ年令の者はあきっぽく、すぐ忘れる。それを何とかして、自発活動ができる年令の時まで持続させるということに、カブ訓育の責任がある。その責任は、躾け方の如何によるほかない。それには、
(a)興味を失わさない工夫
(b)励ます工夫
(c)進歩したことを自認させる工夫
(d)まだあとがあるぞと奮発させる工夫
(e)自分に或るすぐれた特技のあることを自識させる工夫
---が必要なこと。これが結局、組(班)制度、進級、技能制度となると思う。そして、CS、BS、SS、RSへと上進する一連のプログラムとなる次第。
以上は、私の注釈を多分につけ加えた一文であるが、さて、かように考えてみると、年功章を沢山つけているスカウトという者は、大いに誉めてあげてよいと思う。これに反して、休隊、離隊した者は、継続の失格者であって不成功者である。その原因は、本人の側に勿論大部分あるとは思うが、指導者の側にも相当あるのではあるまいか? 即ち、上述の工夫が足りなかったり、私の持論である「個人プログラム」を無視して、班や隊のプログラムで押しまくったため、「ついて行けない」結果におとしいれたのかも知れない。進学の問題、家庭の事情など、多くの原因はあろうけれども、その大部分は個別的扱い方によって九死に一生を得られる指導の仕方があるのではあるまいか?
かように考えてゆくとき、継続ということは大きな問題で、それ自らがスカウティングだといえる。Once a scout always a scout. という名言は、継続ということを内包している。 alwaysという一語が意味深長である。
さて、いかに隊が8周年または5周年を迎えたにしろ、隊の年数と同数の年功章をつけているスカウトの数が、何人いるのか? ということが次の問題になってくる。いわゆる歩どまりの問題である。第2には、隊員の進歩状況である。隊の年令と、進級(進歩)との歩合表を私は持ち合わせていないのでどんな比率になっているのか、よく、わからない。要するに、隊の年令のみを祝い喜ぶだけで、隊員の継続、進歩の方を第2に考える。という考え方には賛成できない。ここに仮に創立10周年の隊があったとする。隊員数は僅か8人しかなく、2級スカウトが1人、あと皆初級というが如くであるならば、祝辞を呈するにちゅうちょせざるを得ない。結局継続ということは根本的に重要であるのだが、継続の内容如何、主体如何、ということに問題がある。
運営面では10年継続したが教育面では、それにマッチした継続がないのであれば、甚だしきアンバランスで「一体あなたの隊は、何のために存在しているのですか?」と質問したくなる。昔、少年団といっていた頃には、団旗だけ残っていて、指導者も隊員も、跡かたなく消失したのが相当あった。一夜にできた銀世界は翌日とけてぬかるむ。
続けることにスカウティングはある。続けないところに成功はない。まぐれあたりに、場あたりに、一見、成功したかにみえるものがあるけれども、それは本当の成功ではない。継続しつつあるその瞬間に成功は組み立てられつつある。と思うと、あせったり、ごまかしたりする必要は毛頭ないようである。
(昭和30年10月29日 記)
◆智 仁 勇
私は、9月20日、高山医院を退院した。実は、8月30日、右眼に眼底出血をし、おどろいて9月6日入院したのであった。これは、高山先生独特の手術を受けるためだった。私は8年前那須にいる時、左眼の眼底出血をし、その結果、現在全然光を通さない盲目となっているので、今また右眼を失明するならば、視覚の全部を失うかも知れないという、あんたんたる恐怖におそわれたのであった。そこで、心ひそかに再びスカウトユニフォームを着ることが出来ない、いわゆる『再起不能』という覚悟をしていたのだ。
私が退院する日高山先生の東京第155団は、年少隊の審査が行われ、ひき続き前に出来ている少年隊と年少隊との顔合わせ会を兼ねて、団番号の伝達式が高山医院の近くのお寺で行われる---ということであった。
その日の朝、高山先生のお陰で失明をまぬがれた私が、宅からスカウト服をとり寄せてそれを身につけ先生の手をかたく握って感謝のごあいさつをした。そして、差し支えなければ、今日のスカウト集会に出て、スカウト諸君にお祝いを申し上げたいのだが、と云った。団委員長である高山先生、ならびに少年隊長であるご子息の雅臣さんも喜んでご承諾して下さったので、私は出席することが出来た。もっとも年少隊の審査の方は、東京都連山手地区の公務であるので、私人として出席した私は、ご遠慮して列席しなかった。
後半の伝達式のあとの来賓のあいさつの時、近所に住まわれる有名な茶人(お名前は知らない)が、大変立派な激励の辞を述べられた。その要旨は---私は、本日初めてスカウトを見るのでスカウトのことは何も知らない。けれども、諸君の動きを見て、仲々智力のある子供だと思い、また世の人々のために尽くす精神らしいので、これは仁をあらわし、そして皆さんリリしい姿で、勇を感じた。すなわち、ボーイスカウトは、智、仁、勇という3つの徳を磨くものだと思う。これは元来支那の教えである。私の茶号が三徳庵といいますのもこれによる。ボーイスカウトは支那から入ったものではなかろうが、これとまったく同じもののように思う。---という一節があった。
この84才の老茶人は、後から聞くと、お茶だけではなしに、あらゆる芸能に通じ、天皇のご前で手品をしたこともあるそうである。私が、高山先生とスカウト諸君に、後で中華民国のスカウトは、標語として『智、仁、勇』を用いているというお話をした。すると高山先生は、「達人の眼に狂いはないですね…。」と云われた。
私は、それが終わると、制服を着たまま退院するため、迎えに来た家人と、一路車で帰宅したのであったが、この9月20日という日は、私の人生における第何回目かのスタートである。
(昭和34年10月1日 記)
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