日本ボーイスカウト茨城県連盟
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IB TOWN (リーダーズクラブ)
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Waiting Bar “SCOUTIN”  アーカイブ1

 

 IB TOWNのとあるイタリアンレストラン「"SCOUTIN"(スカウティン)」のウェイティングバーで繰り広げられるスカウターの会話を常連客の紳士と一緒に聞き耳を立ててみましょう。

  お釈迦様と悪口男

 

 あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。

「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。 いまいましい」

男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。

 ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。

そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦さまをののしってやることにしました。

「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。

 その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」

そして、その日が来ました。

 男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。

お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。

弟子たちはくやしい気持ちで、

「あんなひどいことを言わせておいて いいのですか?」

とお釈迦さまにたずねました。それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。

 男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。

 その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男にたずねました。

「もし他人に贈り物をしようとして、 その相手が受け取らなかった時、 その贈り物は一体誰のものだろうか」

こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。

「そりゃ、言うまでもない。 相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。 わかりきったことを聞くな」

男はそう答えてからすぐに、

「あっ」

と気づきました。

お釈迦さまは静かにこう続けられました。

「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。 でも、私はその ののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」

 

 人の口は恐ろしく無責任なものです。ウワサとか陰口というものは、事実と違って、ずいぶんとでたらめなことがよくあります。ウワサや陰口だけではありません。図太い神経の持ち主で、目の前にいる相手に向かって、直接ひどいことを言う人もいます。

「それ、私の上司です」

と苦笑いしたくなる人もいるかもしれません。

自分を非難されるようなことを言われたら、たいていの人が、ダメージを受けます。傷ついて落ち込んでしまったり、腹が立ってイライラしたりすることも、あるでしょう。

でも、お釈迦さまは、違いました。人前で恥をかかされることを言われても、ちっとも動じません。その場を立ち去ることもせず、じっと相手の話を聞いているのに、口応えもしません。それでいて、まったく傷ついたり怒ったりしないのです。

 お釈迦さまは、相手の言葉を耳に入れても、心までは入れず、鏡のように跳ね返しました。ですから、まったくダメージを受けないのです。言葉は時として、人の心を傷つけることのできるナイフになります。

しかし、心がナイフより固くて強ければ、痛くもかゆくもないのです。

ひどいことを言う相手を責めても、仕方ありません。

それより、自分の心を強くする方が、簡単で効果的です。

(出典「いいね!いいね!」10月18日)

 

 

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  堪忍の袋を常に首へかけ 破れたら縫え 破れたら縫え

 

この道歌は、

「気の短い人は堪忍袋がいつも切れるような、悔しいことや腹立たしいことが多いと思いますが、

ここは一つ辛抱して破裂させたらいけないよ」
という意味だそうです。

 落語の「天災」という噺に出て来るらしいです。(聞いてみたいなぁ)

 

「堪忍袋の緒が切れる」・・・・

私は、B型で、とにかく短気でこらえ性がないので、

突然、脈絡もなく(いや、ちゃんと切れるパターンは決まっていますが)

 「ブッチン!!」

と身体の中から大きな音がするのです。
最近こそは少なくなりましたが、以前は、よく切れてしまいました。

まずいな〜、心静かにスカウティングをしたいな〜、とは思っているんですが、
それでも、まぁー切れるものは、切れるんですから(笑)。

 

「堪忍」というから、「我慢」することかと思いきや、

この言葉の本当の意味は、
「堪えて忍んで、そして心を乱されないこと」なのだそうです。

平静。平常心。心頭滅却すれば・・・・なのです。

 

んー、まだまだ、そうなるには時間がかかりそうですし、

そんな心がもてるかどうか、分かりません。

 

この言葉は、まだ、若かりし頃に師匠であるY隊長が教えてくれました。
師匠もB型。一見、怒りそうにありませんが、切れるときは早い!!
そんな彼に、おばあちゃんがこの言葉で諭したのだそうです。

 

彼が、この道歌をどうして好きで心にしまっているのかというと、

 「破れたら縫い」

のところなのだそうです。
 『あ、「破れたら」! そうなんだ、破れてもいいんだ!』

という、人間味というか、ゆるさというか、こうでなくてはならない!!という、

まるで、「ボーイスカウトにありがちの「悪い」押しつけがないところなんだそうです。

 

だけど、大切なことは、その後の「気づき」と「実践躬行」なのです。

縫う! ひたすらに、縫う! 縫う! 縫う!

破れる・・・・

また、縫う! 縫う! 縫う!

・・・いつまでも繰り返し(笑)

 

彼、曰く

「破れることを恐れることはない、破れたらまた縫えば良い。

 破れる尾がなくなるまで!」

 

 

 

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  スカウト隊長へ

 

スカウト隊長

<エドガー. アルバート ゲスト>

 

 君に給与はなく

 君は無報酬で働く

 共に山野を踏み歩く少年らには

 君に謝礼を払う力はない

 

 だが

 黄金をあえぎ求める者よりも

 はるかに豊かなものを

 君は受けとるだろう

 

 なぜなら

 君の奉仕は

 さまざまに語り伝えられるからだ

 君はそれを育ちゆくスカウトの顔に

 そしてまた

 幾多の男々しき

 歓喜の中によみとるだろう

 

 さらに

 遠き将来にわたり人々の奉仕のなかに

 誉め称えるのを見るだろう

 

 友情あつきスカウトたちとともに

 よろこび働く労苦の五年

 インディアンの叫びをあげ

 フクロウ鳴きしつつ

 路をたどった五年

 

 そして

 燃えさかるキャンプファィァーの五年

 それは楽しみのためだけでなく

 やがて少年たちがつくる

 次の世代のために

 

 彼らは

 君に贈る黄金はもたずとも

 やがて

 年とともに君が教えたとおりの

 すばらしい働きで

 君に答えよう

 

 彼らは

 深い満足感と

 素直な誇りとを

 君に贈るだろう

 

 そして

 君の胸は

 栄えゆく邦をみて

 深い喜びに

 満ちあふれよう

 

 

 

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  ためらわず、てらわず黙々として  (県連15周年記念誌より)

 

茨城県教育庁社会教育課長(副連盟長)  成瀬 孟男

 

 ボーイスカウト茨城連盟が結成15周年を迎えられたことに心から敬意を表し、およろこび申し上げます。

 隊員のみなさんが生き生きと眼を輝かせながら、ボーイスカウト運動に参加しておられる姿をしばしばお見うけしますが、隊員であることに誇りと自信をもっておられるようすがありありとうかがわれて、すべてのこどもたちがみなさんのようであったら、どんなに頼もしいだろうなどと思うことがたびたびあります。

 おとなでさえも、日常の生活を通して自分で自分の行動を規律正しくして、みずからを鍛え、常に社会のために奉仕するという態度をもち続けることは、なかなかむずかしいのですが、みなさんがまだ若いうちに、自分の考えでボーイスカウトに加わり、整然とした組織の中で厳正な規律を守りながら、自分をたくましく築き上げるための意志と実行力を身につけようという気持ちは、実に貴重なものです。

 私どもがよく見かけるみなさんの運動のひとこま、それは毎年各地でみられる交通整理や清掃奉仕などの姿です。私も今春は「紙くずをなくそう」のスローガンのもとに県をあげての行事としての「偕楽園をきれいにする大会」に参加し、昨年は「若い根っこの会」の会員諸君と公園をきれいにする活動に参加しましたが、大衆のいる中でこの種の活動をするのには、大きな勇気がいることをつくづく感じさせられました。毎年見るみなさんの姿は、ためらわず、てらわず、黙々として、大きな目標に向かつて事を遂行してゆく立派な態度でありました。

 年々積み重ねられたこうしたみなさんの努力が実って「若い根っこの会j の諸君を勇気づけ、県民を動かし、今春の観梅デーには公園に集まった大衆の心を動かし、すばらしい結果を生むに至ったものといえるでしょう。

 このことはみなさんの運動のほんの一端にすぎないと患いますが、このひとことを見ても、みなさんの運動がみなさん自身にいかにプラスになり、また社会のためにもいかに役立つものであるかは明らかなことです。さらに、みなさんの運動が国際親善の上にも大きな意義をもっていることは、ことあるごとに新聞、テレビ等で私たちが知らされているところであります。

 みなさんは学友が自由に過しているその余暇を利用して、ボーイスカウト運動を続けることを誓ったのです。

 「神と国とに誠を尽くし、おきてを守ります。いつも他の人々をたすけます。からだを強くし、心をすこやかに徳を養います。」このようなすばらしい誓いがまたとあるでしょうか。また、 12のおきてのような立派なおきてがまたとあるでしょうか。この「ちかい」を守れるのがみなさんなのです。世界のどこの国のこどもたちにも負けないようにがんばってください。県内には1, 400 人の仲間がいます。15年の歴史もあるのです。共々に手をとり合って、活動は楽しく、自分にはきびしく取組んでいただきたいものです。

 県民はみなさんの運動を高く評価しております。私どもはみなさんの運動がいくぶんでもやりやすくなるように及ぼずながらご協力をいたすつもりであります。どうぞ誇りと自信をもって終生ちかいを忘れずに自分を磨き、みなさんの住むまちを、郷土茨城を、日本を、そして世界を理想の郷にするために励んでください。

 

 

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  ボーイス力ウト運動のねらうものは何か  (県連15周年記念誌より)

 

県コミッショナー(先達)  打越 直

 

 緒言、最近の青少年の非行については各方面とも頭を悩やませている大きな問題である。水戸市や目立市では青少年センターを設けて健全育成に乗り出しており、県委員会では中学生に一泊二日程度の宿泊による生活指導を計画しており、又今日の新聞を見ると、 7 月27 日の県会総務委員会でも青少年の対策のーっとして「青少年の村建設地を筑波山系一帯の国有林に決める」と報告している。

 

 ボーイスカウトでは発足当初より訓育の場を野外に求める場合が多い。以下記述する内容はスカウト運動に従事している方々には釈迦に説教のきらいもありますが、十五年誌をお読みの方の中にはボーイスカウトについて認識をお持ちの方々ばかりではないように思われますので、今後スカウト運動に協力いただく上からも一応知っていただくことがあながち無駄ではないと思い、書くこといたしました。スカウト関係者は自己反省の資料に一読いただければ幸いに存じます。

 

◆目的

 この運動の創始者ベーデン・パウエル卿は此の運動の目的についてこういっております。家庭にあってはよい家庭人であり、職域にあってはよい職域人であり、国にあってはよい国民であり、社会にあってはよい社会人である。ここまでは今の学校教育でもできましょう。だがボーイスカウトではその上に、国際社会においてはよい国際人であり、世界的にはよい世界人であり、特に国際的、世界的公民ということを強調しております。

 1924年デンマークの第3 回国際会議の時にユニヴアーサル的である宣言決議がなされています。

 スカウトの心のおきどころと方向を示した12のおきての流れをみましでも此の運動の目的とする所がどこにあるのか判然することと思う。

 

◆おきて

  1. スカウトは誠実である。
  2.  スカウ卜は忠節をつくす。
  3.  スカウトは人の力になる。
  4.  スカウトは友誼に厚い。
  5.  スカウトは礼儀正しい。
  6.  スカウトは親切である。
  7.  スカウトは従順である。
  8.  スカウトは快活である。
  9.  スカウトは質素である。
  10.  スカウトは勇敢である。
  11. スカウトは純潔である。
  12.  スカウトはつつしみ深い。

要するに12の条件をそなえ持ったところの公民ということになります。

 

◆方法

第1、 自発活動の尊重。

 ボーイスカウトは団体訓練の代表のように考えられているが、本すじは組織体訓練をいたしている団体である。両者は同じように見えるが内容的には大いに異なっています。団体訓練では個人の人格が減却され、独裁者の命令や号令のままに動く性格の団体、所謂他律的で団体が解散した後に残るものは自制力や自主性のない判断力に乏しし、人間だけとなる。戦後のわが国民に見られた所である。

第2、 個別訓練の重視。

 それぞれの持つ特性を充分生かす即ち個々適応の教育を重視する。学校教育のような多人数を一人の教師のする方法はとらない。

第3、 班制教育の重視。

 個々の指導をするため班別の制度を採用していることは、ボーイスカウト教育法の特色である。千差万別の機能が個々の使命を忠実に実行することにより組織体が成立する人体や天体のように。従って班員個々の傍観は許されない。班生活と班活動とは少年個々が公民として協動社会にいかにあるべきかを実修するチャンスである。団体訓練にも斑はあるが、便宜上のグループであって機能を持っていない。只班長の号令のまま動くだけにすぎない。了度機関車に引かれる貨車のようなものである。

第4、 進歩制度の重視。

 自発活動を持続発展させる巧妙な方策である。進級制と技能章制があって、進級制は仮入隊から初級、2 級、 1 級と進み、更に菊スカウト、隼スカウト、富士スカウトの課程がある。

 技能章制は選択課目であって、木工、竹細工、水泳、消防、野営、炊事のような技術中心のものや、電気、無線通信のような科学技術的なもの、天文、測量、絵画、音楽、写真、園芸等々生活技術にわたるものについて一定の課題が前もって出してあり、自分で選択し勉強してテストを受け、パスすればそれぞれの技能章がもらえる仕組みになってしいる。

 創始者の意図は技能を働かせることによって他の人々を助け、自己の特技を生かして他に奉仕する能力をもった公民の養成をねらったものである。

第5、 ゲームの重視。

 こと更外国語を用いたのには意味がある。ゲームという言葉には「狩J とか「宝物」という意味もあるので、ゲームは単なるあそびではない。その裏には計画や、ねらいを持っている。そして何かの収穫を期待しているわけである。創始者は子供の遊戯本能と競走本能を見のがさない。スカウト訓練とその生活指導のすべてを、巧みにゲーム化したわけである。「行なうことによって学ぶ」 ということばは戦後日本の教育でもさかんに叫けばれましたが。50年も前に創始者はこの言葉を記し、スカウト教育法を世に出したのである。

ルールに従って反則しないという公民訓練の重要な面はゲームによって大いに養われた。

第6、 野外生活の重視。

 此の教育では野外を教育の場とすることが多い。教育は本人の好む場でというわけで大自然の山野に本性を充分発揮させることによって、よき教育が生まれるものだ。スカウト訓練の基本である観察力や推理力を養うのに最も適している。野外生活から受ける効果は数限りなくある。従って野営は最もスカウトにとって重大な訓練のーつとなっている。

 創始者であるべーデン・パウエル卿はスカウト教育では次の4 ツのことを常に頭の中に入れておかねばなら

ないといっている。その一つは人格(あるいは性格)。その二つは健康。その三つは手技(または技術)。その四つは奉仕であります。

 

 指導者が少年を指導するに当って常に頭におくことは、人格の形成に役立つかどうか、健康の増進になるかどうか、技能の習熟に役立つかどうか、他の人々へ奉仕のためにするのかどうかである。

 

 

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