ようこそ、ボーイスカウトの世界へ。
皆さんは、どのようなご縁で、このボーイスカウトの世界の扉をたたかれたのでしょうか?
すでにこのホームページを見ているのですから、いずれにしても皆さんは「幸運」? にも、すでにボーイスカウトの世界に足を踏み入れてシマッタ!わけです。
え、「不幸にも・・」ですか?
まぁそれもいいじゃありませんか(笑)。幸か不幸かは、指導者としてどのようにスカウティングと関わっていったかによって変わっていきます。このボーイスカウトの世界は、ハス(蓮)田に首までつかって抜け出せなくなるか、無事に切り抜けて社会復帰するかのいずれかに分かれます。ほどほどっていうのがなかなか難しいようなのです。でも、突っ込んで関われば関わるほど楽しくなって抜け出せなくなっていく魔法のような魅力も持ち合わせいるのです。
でもちょっと待ってください。皆さんの関わっているスカウティングってホンモノのスカウティングなのでしょうか? こう書くと多くの方がビックリします。「え、ホンモノじゃないスカウティングなんてあるんですか?」って。
スカウティングには、各団隊で行っているスカウティング、地区でやっているスカウティング、指導者研修で教えられたスカウティング・・・・いろいろあります。
中には「スカウティングとは!」とまことしやかに語る人もこの世界にはたくさんいます(まさに私のように!)。そのそれぞれが,同じようでも違ったことを言っています。これらはすべてスカウティングであることに違いはありません。
すなわちこの運動にかかわっている人がやっている活動は全てがスカウティングなんです。このようにスカウティングそのものはそんなにせせこましいものではありません。となると、ホンモノだニセモノだって言うこと自体おかしいですよね。でも、そういわれると気になります「ホンモノのスカウティング」は、いったい何なのかなって!
そう、スカウティングは、創始者べーデン-パウエル(B-P)の教育・・・いや育成理念に基づいた青少年のための運動です。「ホンモノのスカウティング」はこのB-Pの下にあります。それは、団、地区、県連、日連などでやっているスカウティングではありません。これらは、この派生形いや発展形かなぁ? なんです。
ちょっと難しいでしょうか…。
それじゃ、ちょっとイメージしてみましょう。
東京ドームの様な大きな野球場全体がスカウティングだと思ってください。野球場全体が今のスカウティングであるとしたら、その原点はおそらくホームベースです。これが当初B-Pが描いていたスカウティングでしょう。それがこの100年であんなに大きくなりました。でも、外野の端っこにいたらホームベースはよく見えません。それでもそこでスカウティングというプレイができているわけです。それは、各国のスカウト組織が決められた指導者訓練をして、指導者を通して「スカウト運動の基本」を守っている、つまり共通理解の上でスカウティングが行われているからです。
しかし、この運動に関わっている多くの人は、このホームベースがそこにあることは知っていても、このホームベースそのものについては詳しくは知らないのですね。この意味を知らないと野球はできません。スカウティングも同じです。B-Pの考えを知らないと本当のスカウティングはできないのではないでしょうか。
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スカウティングのはじまりと指導者
このスカウティングは、そもそもが、スカウティング・フォア・ボーイズというB-Pが書いた本を読んだ子供たちが
「おぉ、こいつはおもしろい!」
と目を輝かせたところから始まりました。
そこには、彼らの知らない世界が広がっていて、それがめっちゃくちゃ好奇心をくすぐり、しかもすぐにでも実行できそうな身近なヒントがたくさん書かれていたのです。
それに触発されて彼らが自発的にスカウティングを始めても何の不思議もありません。実際、スカウティング・フォア・ボーイズの発売後すぐに英国のあちこちでスカウトの班が自発的に結成されたのですからね。
このように「スカウティング」は、オトナが作って始めたものではないのです。彼ら、子どもたちが仲間を集めて自ら始めたものです。子ども達が求めたものだから今も続いているのです。
そして班がいくつかできると、どうしても競い合って腕試しをしたくなります。そう、ゲームです。これがまた子供達にとっては楽しいんですよね。本能的なものですからね。ただ、班同士で話し合ってそんな場をいちいち設けるのはたいへんですし、同じ条件で競い合いたいですから、「隊」を作ろうという流れになります。
しかし隊を作るためには、どうしてもオトナの「隊長」が必要となります。そこで彼らは、近所にいる「これは!」というオッちゃんに隊長になってもらったところから、オトナがスカウティングに関与するようになったわけです。このように オトナはスカウトの求めによってこの運動に関わったのです。ここが大切なんですね。
それじゃぁ、近所のオッちゃんだったら、誰でもよかったのか・・・っていうと、そうではなかったハズです。
彼らが望んでいたのは、彼らがやりたいことや班の在り方を理解してくれて、支援してくれることはもちろん、豊富で確かな人生や野外での経験によって、ヤーンの中で示唆と方向性を示してくれる人です。そして、それをより楽しいアクティビティとして提案し、彼らの夢と冒険心を膨らませて、実際にやらせてくれて、達成感を満たしてくれる人でなければならなかったはずです。そんな眼鏡に適う人を求めたわけです。
そりゃそうですよね。もし、厳格すぎて融通のきかないガチガチの人を隊長にしちゃったら、スカウティングは彼らが求めたものではない「つまらない」ものになってしまいますからね。B-Pもその著書「隊長の手引き」でこう言っています。
「よく思うことだが、少年たちを魅きつけて、よい影響下におこうとしている人と、魚を釣ろうとしている釣り人は良く似ている。
もし、釣り人が自分の好きな食べ物を餌をとしてつけたなら、魚たくさん釣ることはできないだろう。だから、魚の好む餌をつけることである。
少年たちにも同じことが言える。もし、あなたが少年たちを向上させようと考えて説教をするなら、彼らの心を捉えることはできないだろう。
少年たちにとって魅力的で興味のあることをすることこそ、少年たちを惹きつける唯一の方法である。」
(京都連盟発行「たどってみようB-Pの足跡」P.13 より)
と。
そうなんです。この組織において、成人に求められているのは、まず「スカウトを惹きつける」ことなんです。
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「スカウトを惹きつける」こと
スカウトたちにとって魅力的で興味のあることって何なんでしょう。
それをすることがスカウティングたちを惹きつける唯一の方法なのであれば、私たち指導者は、それを知るところから始めなければなりません。
魅力的で興味のあることとは大きい括りで言えば、彼らの好奇心を刺激するモノ&コトです。彼らの行動を促す最大のものは「必要性(ニーズ;needs)」ではないのです。ニーズでは彼らは動きません。その行動を誘発するものは「Wants(ウォンツ)」です。そう、彼らの行動を誘発するのはウォンツなんです。
「好奇心→ウォンツ」
これは人の心の動きです。心の中に芽生えた「おや?」を、アクションの「どれどれ・なになに」へと推移させるステップですね。そして次にようやく「やってみたい」という『ニーズ』が出てきます。これは行動を起こすための理由を自分自身に納得させる段階なんです。「おや?」や「どれどれ・なになに」の段階では、まだ心の中では「行動をしたいんだけれども、それをやってもいいのかなぁ」という自制がはたらいています。それを「ボクはこんな理由があるからそれをしなけりゃならないんだ。やっちゃうもんね!」「だって、やりたいんだもん!」と必要性を打ち出して正当化するわけです。この必要性が「ニーズ」なんです。
このように、ニーズは好奇心とウォンツによって生み出されます。指導者はスカウトをうまくくすぐり好奇心を芽生えさせウォンツを発生させることによって、意図する方向にスカウトのニーズを出現させていくわけです。そうです。誘導=マインドコントロールです(こう書くとアブナイ世界になっちゃいますが)。スカウティングの活動はこれなんですよ。
このように出現した「ニーズ」 であれば、それはスカウトたちにとってすぐにやりたいこと、彼らを惹きつけるモノであることは間違いありません。言い換えれば、それができる指導者そのものが、スカウトにとって「魅力的で興味のある」モノになるわけなんですね。こんな隊長の周りにいるスカウトたちは、キラキラの瞳を輝かせて隊長の一挙一動を逃さず見ているでしょうし、いろいろな興味の扉を示してくれることを常に期待していることでしょう。
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スカウティングはスカウトのもの
このようにオトナのスカウティングへの関わりは、スカウトたちの求めに応じたものなのです。でも日本のスカウティングを見て見ると、ほとんどが「オトナ(指導者)主導で行われていないでしょうか?
この本来のスカウティングってものを目の当たりに見たのは、県連の派遣でオーストラリアに行って、地元のスカウトの隊と交流したときでした。
その交流会ではゲームをやって、その後の進級式に参席したんですが、それら全てスカウトが企画し、運営しているのです。もちろん背後では指導者との打ち合わせや指導はあったでしょうが、前面に出ているのは全てスカウトでした。中でも、リーダーシップを取っているスカウティングは自信と誇りに溢れていました。
指導者は何をしていたかというと、ゲームで汚れた床を拭いたり、隅のほうでニコニコと見ていたりと、日本の指導者からすると「おいおい、それでいいのかよ!?」と心配になるくらいでした。
この場面は、日本の、しかも茨城のスカウティングしか知らない私達にとっては、目から鱗で、大いなるカルチャーショックだったわけです。
B-Pはこう言っています
「隊長はただボーイマン(Boy-Man)になることができればいい
ボーイマン(Boy-Man)とは、少年の心を持ったオトナのことです。
これはB-Pの「隊長の手引」の一番最初に書かれている言葉です。イチバン最初ですよ!! 隊長は、これを実践すればいいのです。
私たち指導者は、スカウト達の中にスカウティングの実を実らせたいわけですが、なかなか思うような実が育てられません。それは私たち指導者が手を出してはならない領域で、やってはならない指導をしているからです。だから実が結ばないのです。
子供達は、本来、自らの力で育ち実を結ぶことができる能力をもって生まれてきています。しかし現代のオトナたちは、それを温室という過保護と過干渉と過供給によって、しっかりとした根も張れず、ひ弱で環境の変化に対応できない茎と、太陽の光もろくに利用できなく、ある方向しか向けない葉っぱの子供を育ててしまっているわけです。ボーイスカウトにもこれが見え隠れしてきました。
これらが、スカウトの数の大幅減少につながっているのでしょう・・・。
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スカウティングのねらい
社会には、この人はというリーダーは必要です。
私たちボーイスカウトは、地域や社会の中のリーダー(指導者)になれる人物を育成できる運動です。
輩出するのが目的ではありませんが、ボーイスカウトの教育の方向と方法が結果としてリーダーの器になる人物を育てることができるのです。それが、スカウティングの「実」です。
では、今の方法でそれを実らせることが出はないのであれば、変えなければなりません。できるようにしなければなりません。
そのためには、私たち現場の指導者の一人ひとりがこのボーイスカウト運動の本来の在り方を理解し体得して、「ボーイスカウトの指導者とは」をきちんと考えて、そのあるべき姿を自ら見つけて、それを確認することから始めましょう。
そして、それに向かって自分自身で自分を高めていくという意識と姿勢を持ちましょう。
まず、それに取りかかりましょう。「実践躬行」です。それに取り組むことが大切なんですね。まずは自分を「チェンジ」です。そこからはじめましょう。
現代のように情報が溢れている社会においては、多種多様な情報を見極めて、確実で必要な情報を的確に掴み、それを活用していくことが求められます。
特に社会で何らかのリーダーの任に就く人、そしてマイスターは、その活用能力を身に付けていることが必要となります。
判断をするには知識も大切ですが、実際に行った体験による知恵やノウハウも大切です。ですから「ごっこ」ではなく「ホンモノ」の体験が必要なのです。それがあって初めて数ある玉石混淆の情報を判断し、その中から必要な「玉」の情報を見つけることができるわけです。
そして、今度はそれを極めていけばいいわけです。ここにも佐野常羽氏の清規三事「実践躬行、精究教理、道心堅固」が出てきます。
私たち指導者は、スカウトたちが自分自身を成長させて行くことができるように、その進むべき道を指し示して、かつ導くことがその役目です。
だからその名も「指導者」なのです。
教えるのではありません。指導者自らの姿を以て、それを見て感じてもらって導くのです。
アドバイスはしたとしても、それを考えて判断して実行するのはスカウト自身であることはいうまでもありません。
そう、スカウティングは「自らの成長に責任を持つ」ことができるようになることをスカウト時代から彼ら自身に求め、それを習慣として身につけて社会に出ていくことをその目的のひとつとして挙げているのです。
自らの誠実かつ積極的な関わりで自らの成長を促していくのです。
この成長プロセスを支援することがスカウティングであり、私たち指導者の在り方なのです。
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