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昔の隊集会の終わりには、毎回隊長がいろいろなお話をしてくれました。それは短い話でしたが、心に残っています。まるで、1枚の絵のように。そんなお話を紹介します。

紹介したい良いお話がありましたらご紹介ください。>>>こちらから ●

 

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  パトロールシステム

 

 スカウティングは、「パトロール・システム」によって展開されます。

 パトロール・システムって、深く考えたことありますか。一人一人の顔が違うように、性格も能力も違います。その、それぞれ違う能力を、グループの中で最大限に発揮し合い、お互いがお互いをささえ合い、助け合ってパトロールのチームワークを最高に作り上げていくことです。

 

 お経の中に「青色の花には青い光があり、黄色の花には黄色い光があり、赤色の花には赤い光があり、白色の花には白い光がある」と書かれています。つまり、それぞれの持ち味のありったけを発揮して、お互いを照らし合い、他のものを引き立てている世界「相照」の世界こそ「仏の世界」だと述べられています。「仏と国とに誠を尽くす」という、スカウトの「ちかい」を実践してゆく方法こそ「パトロール・システム」だと言えると思います。

 

 私たちは、遠い遠い昔から、次々と受け継がれてきた「いのち」を、親を通して恵まれました。また、世界中のたくさんの人やいろいろな物の支えによって、今、生きて、いや「生かされ」ています。お互いにお互いの「いのち」を支え合って生きているのです。

 人のいのちも、物のいのちも大切に、感謝の心を忘れず、その中で、自分にできる事、自分の一番得意とする事をのばし、奉仕していくこと、それが21世紀の「地球」というパトロールの中でのスカウトだと思うのです。

【12NJ宗教部「感話・夜話のヒント集」より】

 

 

  正しく合掌しよう

 

 仏教でも、キリスト教でも、そのほかのどのような宗教でも、それぞれ合掌とか礼拝という作法があります。

 それは、自分自身の姿勢や動作の上で、その形にととのえて作法することによって、自然にその心がととのえられるからです。

 「敬いの心ができたら、自然に頭が下がるでしょう」といいうのも道理ですが、身体と心が一体である私たちにとっては「手をあわせて頭をさげることによって、自然に敬いの心がわいてくる」という事もまた事実なのであります。

 「掌を合わせると真心が目を覚ます」と言われます。背筋を真っ直ぐにして、きちっと合掌すると、心が真っ直ぐに、御仏様や神様の方に向かいます。静かに礼拝すると、その心は敬う神仏に対する敬虔な敬いの心に染まってゆくのです。さらに、聖歌を歌い、聖句を朗読し、たとえば「南無阿弥陀仏」あるいは「南無観世音菩薩」と御仏の名を称えると自然にその心に、御仏様が宿ってくださるのです。

 そうして、その御仏様に導かれて、私たちは、人間として、スカウトとして、今日の一日を、あるいは、その一生涯を生きさせていただくのです。

 さあ、背筋を真っ直ぐにして、正しく合掌いたしましょう。

【12NJ宗教部「感話・夜話のヒント集」より】

 

 

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  スカウトは親切である

 

 「おきて」の一つに「親切」があります。親切であるということは、掘り下げて考え、別の言葉に置き換えてみると「奉仕」と言うことです。

 人にあいさつをするとき、優しい言葉で人に接し、優しいおだやかな表情「顔」で接すると、相手の人は気持ちの良いものです。言葉や表情の表し方ひとつで、人の心をやわらげることができます。親切の第一歩といえましょう。

 優しい言葉や優しい心が、目や手足の行動に表れて、スカウトの奉仕活動となって、人々にほのかな喜びを覚えさせるものです。

 親切な言葉と行動が、人を敬い、ひいては仏様を敬う・・・。合掌・礼拝の姿となっていくものです。

 親切ということは、思いやりの心からでてくる行動といえましょう。曹洞宗の開祖・道元禅師は「愛語は、愛心より生じ、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく回転の力あることを学すべし」と言っておられます。ここでの愛語とは、優しい言葉ということです。慈心を種子とすとは、慈しみの心、すなわち慈悲深い心をもとにしているという心です。この愛語は人の心の考え方を方向転換させて、喜びと感謝の心に変える働きがあるということを学びなさい。という禅師様の教えでありましょう。

 私どもスカウトは、いつでも・どこでも・だれにでも優しい笑顔と明るい表情で、人に接したいものです。

【12NJ宗教部「感話・夜話のヒント集」より】

 

 

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  スカウトは友情にあつい

 

 満員電車の中に、一人のおばあさんが乗っていました。すると女子高校生がすうっと立って「どうぞ」と言って関を譲りました。その様子を見て、お釈迦様がお説きになった「無財の七施」を思い出しました。

 

 無財の七施とは、財なき者にもなし得る、七種の布施行のことです。一らは身施(しんせ)、肉体による奉仕であり、二にし心施(しんせ)、他人や他の存在に対する思いやりの心です。三には眼施(げんせ)、やさしいまなざしであり、そこに居るすべての人の心が和やかになることです。四には和顔悦色施(わげんえつじきせ)、おだやかな笑顔を絶やさないことです。五には言辞施(ごんじせ)、思いやりのこもった暖かい言葉をかけることです。六には床座施(しょうざせ)、自分の席をゆずることです。七には房舎施(ぼうしゃせ)、我が家を一夜の宿に貸すことです。以上が七施で、さきほどの女子高生の行為は、六の床座施にあたります。

 この無財の七施は、日常生活の中で、だれでもできる行為です。一人一人が心がけて、一つでも二つでも実行できれば、優柔が生まれて来て、家庭も社会もなごやかになり、平和な社会、幸福な人生が訪れることでしょう。

 この七施を実践することは、スカウトとしてもっとも大切な奉仕精神を養い、厚い友情を育て、人格形成の一助になるのではないかと思うのです。

【12NJ宗教部「感話・夜話のヒント集」より】

 

 

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  スカウトは快活である

 

 私がボーイスカウトを始めた頃、ボーイスカウトのことを早く知りたいと懸命にスカウティング・フォア・ボーイズやその他ベーデン-パウエルの書かれた本を、むさぼるように読んだ者ですが、この「快活」については、スカウトは、どんな困難にぶつかっても、口笛を吹いて、そのことに立ち向かうのだというベーデン-パウエルの言葉が、強烈に私の頭の中に染み込んでいるような気がします。

 「スカウトは快活である」との実行は、「快活」だけでは実行できないと思います。「おきて」の根本は「誠実」ですが、その他に「友情」も「礼儀」も「親切」も、いや、「おきて」のすべてが実行されて「快活」というスカウトらしさが生まれてくるのだと思います。

 どうも近頃、スカウトたちは「おきて」の実行を忘れているのではないかと思います。号笛の音を聞くことが少なくなったような気がします。以前は、号笛の合図で、機敏に走って集合したものです。敬礼も、いつか知らぬ間に、やることが少なくなって、スカウティング全体が快活さを失った感があります。

 目立たないようなスカウティングの基本を継承することによって、スカウティングが生き返るのではないでしょうか。

 集会に集まったとき、敬礼をして、あさのあいさつをする。他団のスカウトと会ったら敬礼を交わす。それこそスカウトらしい仕草だと思うのですが。

【12NJ宗教部「感話・夜話のヒント集」より】

 

 

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  スカウトは勇敢である

 

 昨年の正月、日本海で、ロシアのタンカーによる重油流出、汚染という事故が発生し、地元の人々の除去作業ではとても手が足りず、広くボランティアの応援が呼びかけれられました。

 また、阪神・淡路大震災の時も、多くのスカウトや指導者がボランティアとして救援に駆けつけ奉仕しました。災害で被害を受けた方達に、救援物資や義捐金を贈ることも必要でありますが、共に汗を流して救援活動をするボランティアも必要です。

 ボランティアという英語は、篤志家、有志、義勇兵、志願兵などと訳されています。この言葉のもとは、VOLOというラテン語で、他から強制されるのではなく、自分の意志で何かを行うという意味です。ですから、「自発活動」が前提条件です。強制や利害関係でやむなく行うのはボランティア活動とは言えません。

 「おきて」の七は、「勇敢」です。辞書を引くと「勇ましく思い切って行うこと」と出ています。奉仕活動をするには、自発的な強い意志と、まとまった時間が割けること、活動に耐えうる体力、役に立つ技能をもっていること、それにある程度の金銭が必要です。いざとなったら、勇ましく、思い切って自ら申し出で、すぐに行動し、「他の人々をたすける」ボランティアになれるよう、日頃からスカウト活動で十分な訓練をしておくことが望まれます。、

 スカウトは、どんな困難なことがあっても、くじけず、勇敢に乗り越えていってほしいと思います。

【12NJ宗教部「感話・夜話のヒント集」より】

 

 

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  まこひらきて見きわめよ

 

 B-Pは、スカウト活動の中で、大切なことをいくつも言われていますが、その一つに「観察」をあげています。ボーイスカウトの連盟歌にも「まなこひらきて、みきわめよ・・・」とありますね。

 私たちは、ふだん、周りのものを自分の「好き」「嫌い」という「ものさし」で見ていることが多いようです。ことに友達関係では、そういうことが多いと思います。「あの人は良い人だ」という時、どこかで「自分に都合のよい人」という気持ちが、「悪い人」と思うとき、「自分にとって都合の悪い人」という気持ちが、どこかで働いていることはないでしょうか。

 小学校の夏休みにやった「理科」の観察では、私たちにもっともっと広い目で、もっともっと素直な思い出「もの」を見てごらんと教えてくれました。「あ、こんなものもあった。こんな面もあるんだ」と知らされ、知らされることに結って、身近に感じられ、親しみも増してくるのです。

 仏様は「諦(あきらめ)」つまり「明らかな眼」で物事をみなさいと教えてくださいます。「まなこひらきて、見きわめ・・」たちき、周りの人達の、今まで気づかなかった面も知ることができ、「誰だって、良く知れば、必ず良い所があるんだ」とわかり、もっともっとお互いに手を握り合えるのではないでしょうか。

【12NJ宗教部「感話・夜話のヒント集」より】

 

 

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  キャンプ ありがとう

 

 テントをはり カマドをつくり ごはんを炊き

 そして ハイキングにも出かけた ね

 楽しかったり つらかったりした キャンプも あしたで終わる

 

 ふだん ごくあたりまえと思っていることが

 実は いろんな たくさんな

 周りの人たちの「おかげ」があったからなのだ と

 知らされたんじゃないですか

 

 一人一人 カオが違うように ひとりひとりココロも違い

 ひとりひとり 得意なこともちがいますよ ね

 そんな中間が集まって それぞれ得意なことを出し合って

 ひとつに まとまること

 それが

 スカウトの「パトロール・システム」って言うことなんです よ

 

 そんな 人が ものがあって「私」が支えられている

 だから 私もまわりの人たちのために

 自分のできることをして ささえてあげなくちゃ・・・・

 そういう「勉強」をするのが スカウト活動なんです ね

 

 ふだん 家では できないこと

 考えることもなく 過ぎてしまうこと

 そんな

 ごく小さなこと

 でも すごく大切なことを 教えてくれた

 キャンプありがとう!

【相馬順敬】

 

 

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  「ぞうさん」の贈り物

 

 まど・みちおさんに会った。童謡「ぞうさん」の作詞家で知られる。

 

   ぞうさん ぞうさん

   おはなが ながいのね

   そうよ

   かあさんも ながいのよ

 

 大人も子供も知らない人はないだろう。象の子供と母親の仲良しこよしの歌だと思っていた。

 「そうではないのです。象の子が、鼻が長いとけなされている歌なのです。」

 それでも、象の子は、しょげたりしない。むしろ、ほめられたかのように、一番好きな母さんも長いと、いばって答える。

 「それは、象が「象」に生まれたことは、すばらしいとおもっているからです。」

 

 象に限らない。ウサギもイワシもスズメも草や木も、地球に住む生き物たちすべてが、自分であることを喜んでいる。人間だってその中の一員である。これが、まどさんの「ぞうさん」哲学なのだ。

 アイデンティティーとか「自分探し」といって、自分の存在証明に躍起になることもない。「あるがまま」でいいのだ、と言っているように思える。

 

 人間も他の生き物も、それぞれに違いがあるからこそ意味がある。その違いを活かして助け合うことが、最前のみち。みんながみんな、心ゆくまでに存在していい。「共生」の考え方だ。

 まどさんは、相手の傷や痛みを自分で引き受けてしまう。そんな詩を読むと、何か途方もなく大切な事をなおざりにしたままでいることに気づかせてくれる。

 

 八十八歳。戦前、台湾にいた十九歳から童謡や詩を書く。その数は千を超える。今も書き続ける。

 まどさんは、繰り返し蚊の詩を書く。

 刺しに来る蚊。思わずたたいてしまうのだが、刺される側のまどさんは、血をすわなければ生きていけない蚊の身の上にまで心を痛める。

 

   きえいりそうに よってくる

   きんいろの こえを

   大げさに たたいたあとになって

   ふと おもうことだってある

   むかしむかしの

   りょうかんさんだったらばなぁ・・・・と

 

 たたいてしまった自分に傷つき、蚊のことが気に掛かってしまうのだ。

 子供がしゃべった言葉を詩にした作品で、まどさんの印象に残ったのは、教室でトイレに行きたいが紙がなく地団駄を踏んでいる。それを見た他の子供が一緒に足を踏みならしたというものだった。

 童謡「サッちゃん」の作詞家で、まどさんの評伝を書いた阪田寛夫さんは「私たちが普段見過ごしている小さな、それ故に大事な事を教えてくれます。今でも、新しい発見に向けて、散歩しています。」

 ほかの誰でもない自分が、ほかのどこでもない「ここ」にいる。そのことこそが、すばらしいのだと「ぼくが、ここに」という詩でまどさんは歌う。

 

 

【H10.6.1 朝日新聞社説より】

 

 

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  「きよしこのよる」が生まれた日

 

 これは、オーストリアのオーベルドルフという村で、1818年に起こりました。

 

 クリスマスが間近に迫ったある日の午後、村の学校の校長先生グルーバーさんは、教会のオルガン奏者でもありましたから、大事なクリスマス礼拝のため、練習をしておこうと教会のオルガンのペダルを踏みました。でも、さっぱり音が出ません。調べてみると、ねずみが空気ぶくろに穴をあげたことがわかりました。すぐに修理などとてもできません。

 

 たいへんなことになりました・・・。

 そこへ、牧師のヨセフ・モーア先生がやってきました。

 「グルーバー先生。オルガンがだめなら、ギターがあります。これは私がつくった詩ですが、先生、ギターで歌えるように、曲をつけてください」

 

 その詩は、前日、モーア牧師が、あかちやんの生まれた山小屋の家族を見舞ったあと、雪あかりの中を下山したとき、あまりの静けさと、滑らかな美しさに深く感動して描いたものでした。詩を読んでいくうちに、グルーバーさんの心に、熱いものがこみあげてきました。

 

 ♪ きよしこの夜 星はひかり

 ♪ 救いのみ子は まぶねの中に

 ♪ ねむりたもう いとやすく

 

 こうして、「きよしこの夜」の名曲は生まれたのでした。

 凍りついた雪を踏みしめ、教会に集った村の人たちは、生まれてはじめて、オルガンなしの礼拝を経験しました。ところが、ギターとともに聖歌隊が歌うこの賛美歌の、シンプルな美しさに深く感動しました。

 

 こうして、ジレルタルの谷間に流れた「きよしこの夜」の歌は、歌いつがれて、そして私たちのもとにも届けられたのです。

【出典不明、調査中】

 

 

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  「ジョージ・ワシントン」~1732年~1799年 アメリカ初代大統領~

 

 その日は、寒く、北風が吹きすさんでいました。本部を出たワシントンは外套をまとい、襟を立て、肌を刺すような風から顔を覆うために帽子を深くかぶりました。全身をすっかり覆っていたので、彼が軍隊の司令官だとは、誰も気がつかなかったことでしょう!

 

 ワシントンが道を歩いて行くと、兵士達が要塞の防壁工事をしている所に差しかかりました。そこで立ち止まって、数人の兵士達が丸太で塀を作るのを見ていました。兵士達は重い丸太を積みあげるために奮闘していました。そのかたわらで、上官づらをした伍長が命令を与えています。「持ち上げろ! さあ、全員一緒に!」と大声で叫ぶと、兵士達は一斉に力をふり絞って押しましたが、その丸太は重すぎて、山と積まれた丸太の一番上に届きそうに思えた時に、すべって転がり落ちてしまうのでした。伍長はもう一度叫びました。「さあ持ち上げろ! どうしたんだ? 持ち上げろ、と言っているだろう!」

 

 兵士達はもう一度、懸命に持ちあげようとしましたが、もう少しで上に届きそうになったところで、丸太はすべり、またしても転がり落ちてしまったのでした。

 

 「力をこめて持ちあげろ!」と伍長が叫びました。「さあ、全員一斉に上げるんだ!」 また懸命にやってみました。そして、三度目に丸太が転がり落ちそうになった時、ワシントンは大急ぎで駆け寄り、全身の力をふりしぼって丸太を押しました。すると、丸太は胸壁の一番上にうまく転がり込んで収まったのです。汗びっしょりの兵士達が、あえぎながらもしきりに礼を言い始めると、ワシントンは伍長の方を向いて言いました。

 

 「君の部下達がこの重い丸太を持ち上げるのを、なぜ手伝わないのか?」 ワシントンが尋ねると「何だと?」と伍長は言い返しました。「私は伍長だぞ。おまえにはわからんのか?」 「無論わかっている!」 そう答えると、ワシントンは、外套をパッと開き、その軍服を見せたのでした。「私はただの司令官にすぎない! 今度、丸太が重くて君の部下達に持ちあげられないようなら、私を呼んでくれたまえ!」

【長八州翁「道心門」より】

 

 

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  アイウエ王の話

 

 昔々、あるところにイウエオー国という国がありました。

 

その国の王様の名前はアイウエ王(あいうえおー)と言いました。そのアイウエ王の家来にキクケ侯(カキクケコー)という侯爵とシスセ僧(サシスセソー)というお坊さんがいました。

 

 この2人はチツテ塔(タチツテトー)という塔の中で悪巧みをしていました。それは、ニヌネ野(ナニヌネノ)という野原に、ヒフヘ砲という大砲を作って、王様をやっつけてしまおぅ!! と言うものでした。その悪巧みを書いたミムメモというメモを大砲屋さんに渡すように家来に命令しました。

 

 しかし、その家来はどんくさくて、アイウエ王側の家来に捕まってしまい、「イユエヨ!」と問いつめられて、リルレ牢という暗い牢屋に閉じこめられてしまいました。

 

 アイウエ王国は、再び平和がおとずれました。そして、やがてアイウエ王は年をとってしまったので、息子のワイウエ王という王子に王位を譲りました。そして、みんな平和に仲良く暮らしました。

 

※ 黒板等がある場合は、赤字の文字をあらかじめ書いておいて、スカウトに1文字ずつ言わせながら、話を進めていくといいかも。

【伝承】

 

 

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  世界を変えよ!

 

今朝、ラジオからとても心暖まる話が流れていました。

 それは、1913年、フランス南部のプロバンス地方で「ウォーキング・ツアー」に出かけた20歳くらいの若者の話でした。「ウォーキング・ツアー」とは、バックパックと寝袋を携帯して、人の少ない森などをハイキングすることです。おもに裏道や山道を通り、簡素なキャンプ場、ユースホステル、農家などに泊めてもらいます。

 当時のプロバンス地方はひどい田舎で、農作物の育たない荒れ地でした。森林伐採や、集約農業のやりすぎで、ほとんど木のない不毛の地と化してしまったからなのです。

 肥えた農地にするには、土地を保護する役目をする樹木もなければなりません。樹木は土壌の水分を保ち、直射日光をさえぎって、地面が乾燥してしまうのを防ぐからです。また土地の侵食、土砂の流出も防いでいるのです。木々のない地域では、雨で土壌が流されてしまい、それによって洪水が起こって、1930年代の大恐慌中に「黄塵地帯」と呼ばれたアメリカ南西部のように、不毛の地となってしまう所もあるのです。

 このフランス南部のプロバンス地方は、土地がすっかりやせてしまい、ほとんど木のない状態でした。そして土を保っておく木がないために、土壌は雨に流されていました。その地域全体が渇ききった不毛の地と化しており、農業も殆どすたれ、野生動物さえ姿を消してしまっていました。動物にも住むために安全な場所、安心できる緊みなどが必要ですが、木がなければ、雑草や低木も育たず、生きていくために必要な食べ物もなかったからです。水も必要ですが、その地域には木がなく、土地は水分を保つことができないので、ほんの僅かな流れしかありませんでした。

 というわけで、若者が旅していたこの土地は、非常にやせていて、農業もほとんど行なわれていない荒れた不毛の地だったのです。村は活気がなく、すたれ、荒れ果てていました。大部分の村人は村を捨て、他の土地へと引っ越していってしまいました。

 ある夜、この若者は羊飼いの小屋に泊めてもらいました。その羊飼いは白髪まじりで50代半ばでしたが、なかなか壮健でした。小屋は小さいながらも、きれいに片づいていて、簡素な家具が置いてありました。親切な羊飼いは、若者を暖かくもてなし、若者は何日かそこに泊まらせてもらいました。夜になると、羊飼いは、ランプの光をたよりに何時間もかけて、本の実をより分けていたので、若者は好奇心をそそられたました。カシ、ハシバミ、クリなどの実を、テーブルの上で非常に慎重かつ真剣に選り分け、質の良くないものは捨てていました。ついにその夜の仕事が終わると、羊飼いは選んだ木の実をナップサックに入れたのだのでした。

 次の日、羊の群れを連れて外に出た羊飼いは、行く先々で 昨夜の木の実を植えていくのでした。羊が草を食べている間、羊飼いは杖を取り、羊の様子に気をくばりながら、その辺りをまっすぐ歩いていきました。何歩か歩いては、杖で地面をぐっと押して、深さ数センチの穴をあけて、それから木の実をその穴に落として足で土をかぶせるのでしだ。羊飼いはまた何歩か歩くと、乾いた地に杖で六をあけ、木の実を落とすのです。こうして羊飼いは日中ずっと、羊に草を食べさせながら、プロパンス地方を何キロも歩き回りました。毎日違う場所に行き、殆ど木がない場所に、カシ、ハシバミ、クリなどの実を植えていったのでした。不思議に思った若者は羊飼に尋ねました。

 「一体何をしているんですか?」

 「木を植えているんだよ。」

そこで、若者は思わずこう言いました。

 「でも、どうしてですか? この実が育って木になり、あなたがそこから利益を得るのは、まだ遠い先の話ですよ! 木が大きくなるまで、生きていないかもしれないし!」

 「その通り。だが、いつか木は大きくなって誰かの役に立ち、この地域が前のような美しい所になる助けになるだろう。わしはそれを見ることができんかもしれんが、わしの子供達が見ることだろう。」

 若者は、実際にその成果を見たり、利益を得たりすることはないかもしれないのに、これからの世代のために住み良い土地を作ろうとする、その長期的な展望と無私の姿に感動したのでした! 羊飼いは、木が育って土地を守ることを願いながら、将来のために木の実を植えていたのです。

 20年経ち、その若者は40代になった。再びプロパンス地方に行った彼は、そこでの光景に思わず目を見張ったのです!  谷間全体が、様々な種類の木が繁る美しい森で覆われていたのでした! もちろんまだ若木で、6 , 7メートルしかありませんでしたが、木には違いありませんでした。

 その谷全体に生命がみなぎっていました! 青々とした草、潅木、そして動物達もいました。土地は潤い、農夫達も畑で働いていました。20年前の不毛で荒れ果てた状態と比べれば、地域全体が生き返ったかのようでした。

 「あの羊飼いはどうなったんだろう。」と、彼は思いました。驚いたことに、羊飼いはまだ生きていたのです! 20歳の若者にとって、50代の人はとても年老いて見え、もう先は長くないように思えるものですが、その羊飼いは75歳くらいで、かくしゃくとしていました。相変わらず、あの小さな小屋で、毎晩、木の実をより分けていたのでした。そして、この40代の訪問者は、最近フランス政府の視察団がパリからこの新しい森を見に来たことを耳にしました。彼らにとって、ここはまるで奇跡の森だったのです。そして視察団は、この谷間と地方全体が美しい若木や草に覆われたのは、この一人の羊飼いが、何年にも渡って、来る日も来る日も羊を見ながら、休むことなく、カシ、ハシバミ、クリなどの実を植えていた結果だということを知ったのでした! 彼らは非常に感銘を受け、またその羊飼いに深く感謝したので、たった一人でこの地域全体に緑をもたらした功績を称えて、羊飼いに特別年金を与える事をフランス下院議会で決定したのだでした!

 一人の人のひたむきさによって、この地域全体がよみがえりました。再び美しい場所となり、経済が復興し、野生動物や、農業、水、土壌も復活したのです! 人口まで増えました。何もかも、木が育ったおかげなのでした。

 だから、世界の現状にがっかりすることがあっても、決してあきらめてはいけないのです! 大きな国々の政府や軍隊や戦争によって、歴史の流れや世界の状況が変わっているのを見て、がっかりすることもあるだでしょう。「ああ、私などつまらぬ存在ではないか? 何ができるというのか? お先真っ暗で、できる事など何もないみたいだ! たった一人で世界を良くするためにできることなんて何もない。だから努力しても、何になるだろう? 何をやっても無駄だ。」そして、世界がどうなろうと構うものかと、あきらめてしまいたくなる! 時に、こんな世界は破滅して当然のように思われるからです。

 しかし、この素朴な羊飼いが何十年にも亘る努力によって証明したように、たった一人でも世界を変えることができるのです!  世界全体を変えることはできないかもしれませんが、自分がいる部分は変えることができるのです。この一人の羊飼いは来る日も来る日も、何年も何年も、忠実で犠性的な働きをしたことで、南フランスの全地域を完全に変え、よみがえらせたのです!

 もし一つの人生を変えたなら、世界の一部を変えたことになります。これは、世界全休も変わる望みがあることを証明しているのです! 一つの人生を変えられるなら、もっと変える事ができ、多くの,人生が変わり、地域全体がよみがえり、ついには世界を変えることができるという可能性を示しているのです。それも、誰か一人の人が始める事で。

 それはあなたかもしれない!

 

【出典不明】

 

 

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  愛語が人生を創る

 

 

マザーテレサは、

我々の心の思考や発する言葉が、いつかついには、

その人の運命までを決定づける、と言われたそうです。

 

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

                      (マザーテレサ)

 

その人の心の中(思考)は見えなくとも、

その人が発する言葉は、その人の中身をよく表わしてしまうと思います。

 

 

曹洞宗の開祖である道元禅師は、

愛を込めた言葉、「愛語」を発することで、

その人の人生が変わると教えられています。

 

 

徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし。

怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること「愛語」を根本とするなり。

知るべし、「愛語」は愛心より起こり、愛心は慈心を種子とせり。

「愛語」よく廻天の力あることを学すべきなり。

ただ能を賞するのみにあらず。

                      (道元禅師「正法眼蔵」より)

 

 

 

「愛語」とは、相手のことを大切に思って愛する心をおこし、優しい言葉をかけることです。

 

それの正反対に、よく毒のある言葉を吐く人がいますね。

その毒を相手に吐いたつもりが、自分に降りかかっていることに気付いていない、可哀想な人です。近づかない方がよいと思います。

 

 

「徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし」

 

人柄が素敵な人は、心から誉めてその真似をするようにしましょう。

逆に、性格の悪いひどい人がいたら、その人を嫌ったり、恨んだりするのではなく、

「可哀想な人だな・・・」と憐れんで、近づかないでおきましょう。

 

 

「怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること「愛語」を根本とするなり」

 

敵やライバルに打ち勝とうとするときも、喧嘩した友達を仲良くさせようとするときも、いつでも「愛語」が基本となります。

たとえ嫌な相手、苦手な相手からでも、面と向かって優しい言葉をかけられれば、自然と顔に喜びがあふれ、心が楽しくなるものです。

 

 

「「愛語」よく廻天の力あることを学すべきなり。 ただ能を賞するのみにあらず」

 

愛の込められた言葉というのは、この世界やその人の人生をも変える大きな力があるということを、私たちはよく学ばなければいけません。

また、人間をただ「才能」や「資質」のみから評価するのではなく、「愛語」を話す愛ある心をもっているかどうかを見ないといけません。

 

如何でしょうか?

言葉の大切さ、人生までも変え得るという言葉の偉大な力を、あらためて考えてみたいものですね。

そういえば自分は今日はどんな言葉を使ったかしら・・・?

 

【「一隅を照らす寺子屋」より】

 

 

 

 

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