日本ボーイスカウト茨城県連盟
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目次

おはなし

  「ジョージ・ワシントン」~1732年~1799年 アメリカ初代大統領~

 

 その日は、寒く、北風が吹きすさんでいました。本部を出たワシントンは外套をまとい、襟を立て、肌を刺すような風から顔を覆うために帽子を深くかぶりました。全身をすっかり覆っていたので、彼が軍隊の司令官だとは、誰も気がつかなかったことでしょう!

 

 ワシントンが道を歩いて行くと、兵士達が要塞の防壁工事をしている所に差しかかりました。そこで立ち止まって、数人の兵士達が丸太で塀を作るのを見ていました。兵士達は重い丸太を積みあげるために奮闘していました。そのかたわらで、上官づらをした伍長が命令を与えています。「持ち上げろ! さあ、全員一緒に!」と大声で叫ぶと、兵士達は一斉に力をふり絞って押しましたが、その丸太は重すぎて、山と積まれた丸太の一番上に届きそうに思えた時に、すべって転がり落ちてしまうのでした。伍長はもう一度叫びました。「さあ持ち上げろ! どうしたんだ? 持ち上げろ、と言っているだろう!」

 

 兵士達はもう一度、懸命に持ちあげようとしましたが、もう少しで上に届きそうになったところで、丸太はすべり、またしても転がり落ちてしまったのでした。

 「力をこめて持ちあげろ!」と伍長が叫びました。「さあ、全員一斉に上げるんだ!」 また懸命にやってみました。そして、三度目に丸太が転がり落ちそうになった時、ワシントンは大急ぎで駆け寄り、全身の力をふりしぼって丸太を押しました。すると、丸太は胸壁の一番上にうまく転がり込んで収まったのです。汗びっしょりの兵士達が、あえぎながらもしきりに礼を言い始めると、ワシントンは伍長の方を向いて言いました。

 

 「君の部下達がこの重い丸太を持ち上げるのを、なぜ手伝わないのか?」 ワシントンが尋ねると「何だと?」と伍長は言い返しました。「私は伍長だぞ。おまえにはわからんのか?」 「無論わかっている!」 そう答えると、ワシントンは、外套をパッと開き、その軍服を見せたのでした。「私はただの司令官にすぎない! 今度、丸太が重くて君の部下達に持ちあげられないようなら、私を呼んでくれたまえ!」

 

 

 

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  おかげさま と いただきます

 

 ふだん、便利なものに囲まれて暮らしていると、忘れていることが多いのですが、自然の中に立つと、自然は私たちにいろいろ大切な事を教えてくれますよ。そうは思っていない人が大半だと思うけれど、私たちは、いつも、自分の都合で、まわりを見たり考えたりしています。今朝のような時には、雨はあまりほしくはありません。すっきりとした青空の下で、快適なキャンプをしたいと思うでしょう?

 でも、まわりの山を見てみましょう。たくさんの木が茂っています。その木々は、この雨に美しく濡れ、とても生き生きと見えませんか? 私たちにとってじゃまな雨も、木や草にとっては、なくてはならない「ごちそう」かもしれません。

 

 日本の言葉に「かげ」という言葉があります。「かげ」とは、光のあたらないところ、つまり、よく見えないところのことを言います。

 私たちは、ふだん、よく見えるところはよくわかりますが、見えないところについては、考えることもなく過ごしてしまいます。でも、じつは、その見過ごしてしまっている事の中に、とても大切なものが隠れていることが多いのです。

 

 昔のことわざら「風か吹くと桶屋がもうかる」というものがあります。説明しますと、昔は今のように道が整備されていなかったし、季節風も強かったので、風が吹くと土埃が舞い上がるのは珍しくありませんでした。それが目にはいる事も多く、こすると目を痛めます。お医者さんも少なく、それが原因で目の病気になり、失明する人も出たわけです。社会保障などは望めませんでしたので、失明した人の中には「ゴゼ」と言って、三味線を弾きながら「門付(かどづけ)」といって、いくらかのお金をもらって、それで生活する人もありました。その三味線をつくるのには、ネコの皮が必要でした。そのためネコが殺されるようになり、ネコを天敵とするネズミが増えました。ネズミはなんでもかじります。そんな事で桶も被害を受け、桶屋さんの仕事が増えて、もうかった・・・・という話です。

 大分コジツケがありますが、このコトワザは、「世の中、全く関係ないような事が、意外にところでつながっているんだよ」という意味を示すものなのです。

 

 天気が悪くガッカリしているスカウトもいると思いますが、天気が悪ければ悪かっただけ、道路事情が悪ければ悪かっただけ、「どうしたら、もっと皆が少しでも来て良かったと思えるようなジャンボリーになるだろう」と、車の運行計画を夜遅くまで考えてくれたスタッフ、朝早く入場してくるスカウトのために、誘導整理の仕事で誰も通らない道にずっと立ってくれたスタッフ・支援の自衛隊の方々・地元の人たちと、数え切れないほどの人々の力があるのですが、多くの人には、その姿はほとんど知られません。

 

 そのように、ほとんど見えない「かげ」の存在こそ本当は大切なのだという事を、大切なものには「お」をつけ、さらに「様」をつけたのが、「おかげさま」という言葉なのです。

 さて、そろそろ朝ご飯の時間です。みんな、ご飯をいただくとき「いただきます」と言いますね。え!?言わない人もいるって? スカウトだったら、みんな残らず「いただきます」と言ってから、ご飯を食べるようにしたいものです。

 

 どんな宗教でも「いのち」の大切さを教えます。その中でも特に仏教では「いのち」について、それは、人間だけじゃないんですよ。鳥や獣、草や木、更に虫たちだって、同じ大切な「いのち」があるんですよと教えます。

 私たちが食事をする時、それは、私が今日一日、元気に生活するために、お米や、お魚や、お野菜・・・と、たくさんの「命」をいただいて、私の「いのち」とさせてもらうのだと考えて、目の前に並んだ、たくさんの「いのち」を感謝して「いただく」という心を表す、それが「いただきます」という言葉なのです。

 

 だから、心を込めて、はっきりと「いただきます」が言えるスカウトになろうではありませんか。

 さあ、今朝は、どんなごちそうですか? 作ってくれた炊事当番と、それにもまして私たちに捧げてくれた、たくさんの「いのち」に向かって、心から言いましょうね。「いただきます」と。

 

 【12NJ FMクマゲラステーション「ラジオ・スカウツオゥン」

8月3日 宗教部・相馬順敬さんのことばより】

 

 

 

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  なまこひらきて見きわめよ

 

  B-Pは、スカウト活動の中で、大切なことをいくつも言われていますが、その一つに「観察」をあげています。ボーイスカウトの連盟歌にも「まなこひらきて、みきわめよ・・・」とありますね。

 

 私たちは、ふだん、周りのものを自分の「好き」「嫌い」という「ものさし」で見ていることが多いようです。ことに友達関係では、そういうことが多いと思います。「あの人は良い人だ」という時、どこかで「自分に都合のよい人」という気持ちが、「悪い人」と思うとき、「自分にとって都合の悪い人」という気持ちが、どこかで働いていることはないでしょうか。

 

 小学校の夏休みにやった「理科」の観察では、私たちにもっともっと広い目で、もっともっと素直な思い出「もの」を見てごらんと教えてくれました。「あ、こんなものもあった。こんな面もあるんだ」と知らされ、知らされることに結って、身近に感じられ、親しみも増してくるのです。

 

 仏様は「諦(あきらめ)」つまり「明らかな眼」で物事をみなさいと教えてくださいます。「まなこひらきて、見きわめ・・」たとき、周りの人達の、今まで気づかなかった面も知ることができ、「誰だって、良く知れば、必ず良い所があるんだ」とわかり、もっともっとお互いに手を握り合えるのではないでしょうか。

 

 

 

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  「大丈夫」という字をよくみてください。

 

「大丈夫」という字をよくみてください。

 

「大」「丈」「夫」それぞれ「人」という字が入っています。

 

あなたに何かあったとき、周りの人は必ずあなたを支えてくれます。

どんなときもあなたの味方は三人いるんです。

 

 

「始まる」って文字を見てください。

 

「女」が「土台」って書くんです。

女性が笑顔でいることから始まります。

 

だから「嬉しい」って「女」が「喜」って書くんです。

女性が笑顔でいるところに嬉しいことはやってきます。

 

 

「決断」とは

 

「決めて」「断つこと」

何かを決めるときには。ひとつ何かを断ち切る。

すると新しいものが手に入ります。

 

 

「大切」って「切る」って字が入っています。

執着を「切ったとき」に、「大きなもの」が手に入るんです。

 

 

「癌」という字は「三つの口の山の病」と書きます。

それは、「食べすぎ、飲みすぎ。吸いすぎ」です。

 

 

「光る言葉」と書いて、「褒める」。

褒めてあげると、相手は最高も笑顔で輝きます。

 

 

「吐く」という字は、「口」に

「±(プラスマイナス)」って書きます。

 

もしもマイナスの言葉を控えたら…..?

・・・「叶い」ます。

 

 

「命」= 「人」+「-」+「叩く」

「人は一度叩かれる」と書いて「命」

誰だって、一度は人生で本当に辛いことがある。

そこを乗り越えるために生まれてきた。

そして心臓は

「ドックン、ドックン」と

「人」を「一生」「叩いて」くれています。

 

                         ~ひすいこたろう~