日本ボーイスカウト茨城県連盟
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阿見第1団 編

 いつの時代もみんなのよいお手本となって班を引っ張っていく班長はいる。しかし、長年語り継がれるような班長は少ないであろう。

 時代に流されることなく、今に脈々と伝わる班長を紹介していきたい。

 

 

スワロー班 班長 イッツマン (1970年頃)

 

 班には、班独自の伝統がある。それはいつから出来たかはほとんどが定かではない。

 発団直から3年、当隊には5つの班があった。イーグル班、タイガー班、コンドル班、バッファロー班、そしてスワロー班。それぞれが、独自の特性を持っている。

 コンドル班は優等生タイプであり、隊の牽引役のような役割を担っている。リーダーの信頼も厚い。

 イーグル班は、何事にもそつがない。しかし、必ずしも優秀班を取れるわけではない。参謀役であり、隊の調整役の要素がある。

 タイガー班は、何事にも力技。兎に角、行動が直進的。もとろん小ワザなどできない。しかし、突然誰もが考えつかないことを行い、皆に賞賛される。マルチヒッターというよりホームランバッターである。

 バッファロー班は、戸にも角にも、可もなく不可もない。みんなの足を引っ張ることもないが、何か特別なものを持っているわけではない。ただ、コンドル班とは仲がよい。

 スワロー班は、エンターティナーである。全力でキャンプを楽しむ。特にキャンプファーヤーにおいて絶対的な存在感を持っている。キャンプファイヤーにおいてみんなを楽しませることが出来ないということは、班の存在自体を否定するに等しい。

 

 先ず、紹介したいのが初代スワロー班 班長 飯塚稔ことイッツマンである。

 イッツマンを一言で言うと「炎の班長」である。

 ある年代の大学ローバーには「鬼のキャンプテン」という名の方が知られているだろう。

 

 イッツマンは負けず嫌いなこところがある。しかし、全てにおいてではなく、自分に自信がある、みんなで頑張って作り上げた、といった時に発揮される。

 

 キャンプ中、珍しくファンプファイヤー以外でスワロー班が健闘していた。いつもファンプファイヤーだけのスワロー班ではないところを見せようと、キャンプのために班集会を何度となく重ねてきた。

 しかし、結果は・・・。優秀班は取ることができなかった。

 鬼のような形相になったイッツマン。班内にも非常にバツの悪い雰囲気が漂っていた。

 その日は、そのまま就寝となった。

 

  「全員、テントの外に整列!」

夜中、突然イッツマンの号令がなり響いた。

 

 驚いた、班員たちは着の身着のままでテントの前に集合し、整列して班長を待っていた。

 『どうしよう。イッツマン相当怒っていたから今から説教が始まるのかな。』

  『今から、ハイキングするなんて言い出すぞ』

  『眠い・・・けど、寝たら怒られる。』

 班員それぞれが言葉にできない恐怖を持ちながら、イッツマンがテントから出てくるのを“気をつけ”をして待っていた。

 

 しかし、いつになってもテントから出てこない。おかしい。

 いや、イッツマンのことだからテントから覗いていてきちんと整列しているかどうか確認しているのだ。

 けど、5分たっても出てこない。変だ。

  「おい、誰かテントの中覗いて来いよ。」

  「・・・・。」誰も行きたくない。

仕方なく、次長がテントを覗いてみた。

 

  「班長、全員テントの前に整列しましたけど・・・。」

  「え、何・・・こんな真夜中に何やっているだ。」

  「は、班長がテントの外に整列って・・・。」

  「そんなこと言うわけないだろう。寝ろよ。」

  (えぇ?・・・、もしかして寝ぼけていたの)

 

 今までの緊張がほぐれ、がっくりする班員たち。

 かなり、イライラしたが誰もイッツマンに言える人はいなかった。

 

 後日、イッツマン本人に聞いた話では、その時のことははっきりと覚えていたらしく、優秀班を取れなかったことが相当悔しかったそうなのである。

 夢に出てきたかどうかは定かではないが、そんなような夢を見たような気がするということなのである。

 

 班長たるもの年に1度は悔しくて夢に出てくるくらい一生懸命行ってみてもいいのではないか。暑苦しい班長と思われるかもしれないが、そのくらいの方がカッコよいことも知って欲しい。

 

 

タイガー班 班長 ぶっさん (1990年頃)

 

 「なんで”ぶっさん”なの」

 よく聞かれることである。しかし、カブスカウトの頃から“ぶっさん”なのである。今でも“ぶっさん”であり、本名で言われると一瞬誰かわからない。

 ぶっさんの家族にも“ぶっさん”で通じる。しかし、なぜ“ぶっさん”と言われているかは知らないらしい。

 私は、なぜ“ぶっさん”と言われるようになったかを知っている。けど、教えない。

 そこには、ぶっさんとの小さな約束だからである。

 

 ぶっさんの特技、それは「寝る」。

 いつでもどこでも寝られるという人はいるだろう。しかし、ぶっさんは違う。いつでもどこでもどんな環境、そして、どんな状況でも時間に正確に寝られるのである。

 

●ぶっさんの寝相1 夜間ハイキングにて

  夜中、坂道の中腹で足踏みしながら寝る。

  本人曰く、かなり前から寝ていたらしい。

 

●ぶっさんの寝相2 100キロハイキングにて

  ルート確認のほんの2分弱。立ち膝を付きながら夢を見る。

  誰も寝る瞬間がわからない。

 

●ぶっさんの寝相3 キャンプにて

  着替えの途中で力尽きて寝る。

  Tシャツを胸まで上げるのが限界だったのであろう。

  腹を見せ、両腕を胸まであげたところでご就寝。

 

●ぶっさんの寝相4 体育館にて

  カブラリーの準備のため体育館で作業。

  作業中にもかかわらずぴったり深夜12時とともにご就寝

  周りがどんな状況であっても朝まで爆睡。

  その後、シンデレラボーイと言われるようになる。

 

●ぶっさんの寝相5 テントにて

  テントでの就寝前の仲間との無駄話は楽しい。

  ぴったり深夜12時とともにぶっさんご就寝。

  気がつくと独り言になる。

 

 

誰も信じてくれないが全て事実である。

しかし、実は班長ぶっさんは非常に熱い男なのである。

 

それは、また後日。

 

タイガー班 班長 もっちゃん。 (2000年頃)

 

 班長には色々な要素が必要だ。特に必要なのは班員から信頼されなくてはいけない。それは、どんなものであってもよい。

 

 もっちゃんが班長になるなんて新入時に誰が想像しただろうか。ボーイ隊最初の活動にはお母さんの足にしがみつき絶対に離れようとはしなかったもっちゃん。

 中学2年時には隊で一番体格が大きくなっていた。

 そんな、彼の特技は「食う」。

 

 兎に角、食べる。もっちゃん加入後のタイガー班において配給でのお残しはなし。

 底なしの胃袋とはこのことかというくらい食べる。

 その食べっぷりは、まさに爽快。こんなに美味しそうにご飯を食べる人はいるのだろうかというくらい気持ちのいい食べ方をする。

 

 食べるのが好きなのであろう。料理に関する知識もすごい。

 しかし、自分では作らない。なぜか人に作らせる。それを美味しそうに食べる。

 ただし、もっちゃんの指示とおりに作ると美味しい。

 

 そんなもっちゃんが班長に推薦された。理由は、

  「食べっぷりがいい」

ただ、これだけである。しかし、みんなの信頼は非常に高かった。

 

 班長は、どんな人でもいい。もちろんスカウト技能や野外技術、いろいろや知識に優れた人のほうが班員にいろいろと伝えられる。しかし、班員の信頼がなくてはその知識や経験も無駄になってしまう。

 どんな形でもいい。班員から信頼されたスカウトが班長になったほうがいい。

そのほうが班は活発になる。

 そして、たのしい。

 

イーグル班 班長 ノリヒコ (1995年頃)

 

 リーダーや先輩から見ても男気があって憧れるスカウトがいる。

 

 ノリヒコはカブスカウト時からちょっといたずら好きで、責任感が強いスカウトであった。

 なぜかリーダーからも保護者からも、そしてスカウトからも信頼される人物であった。

 

 決して頭脳明晰というわけではない。運動は得意ではあったが、飛び抜けてすごいわけはない。しかし、なぜか、彼の周りには人が集まる。

 そんなノリヒコの得意技、それが現状復帰。

 なんのことかわからないだろう。キャンプの撤収後、キャンプサイトを元の状態にすることである。

 これが、異常なくらいうまいのである。正直、かなり目を凝らしてサイトを確認しないとどこに何があったのかわからない。

 もちろん、水穴もどんなに確認してもよくわからないのである。

 

 あの観察力はすごい。

 もちろん、最初の状態でないことはわかる。しかし、森全体を見渡して、その場所だけが異質な状態にならないようにしているのだ。

 

 そう彼は、非常に観察力が優れた人物だったのだ。

 それは、人間関係にも発揮していた。

 周りを見渡せる視野を持っていた。だから、人の話を上手に聞くことができたのであろう。

 上手な人間関係を作り出すことができたのだ。

 だから、人の悪口は言ったことを聞いたことがない。

 いや、言う必要がないのだ。

 だって、その人の面白いところや優れたところを見抜く能力を持っているのだから。

 

ライオン班 班長 寺田 (1985年頃)

 

 昔の先輩は、怖い人がたくさんいた。私が新入の時は班長に1年間でトータル2時間以上話した記憶がない。班長に話しかけられる言葉は「はい」「すみません」「ありがとうございます」の3つぐらいしかなかった。

 これは、強制ではない。雰囲気的にこの言葉しか口からで出なかったのだ。

 

 私の新入時の実質な班長が寺田さんであった。

 通称「穴掘り寺田」

 

 班長不在が多かったライオン班において、ライオン班OBとして班をまとめていた。

 そんな寺田班長の特技が「穴掘り」。

 特に「水穴」に関してはまさに絶品であった。

 

 何がすごいかというと、短時間で綺麗で丈夫な壺型の「水穴」を掘るのだ。

 もちろん、入口は非常に小さい。しかし中は広い。

 それをスコップ1本で作り上げるのだ。

 

 しかし、それは単に技術的なことである。

 この寺田班長がすごいのが、そのプロセスにある。

 先ず、テントサイトを決めたら通常、何を行うだろう。

 普通は、寝床であるテントから設営するのがセオリーであろう。

 

 寺田班長は違う。先ず「水穴」から掘る。

 みんなが備品の確認をしている最中に水穴を掘り、備品確認が終わる頃には水穴完了。

 そしておもむろに指示。

  「ここが水穴な。ここを基準にサイトを考えろ」

 

 あとは、スコップ片手に椅子に座って、ただ班員の作業する姿を見ている。

 

 しかし、なぜか不思議とその「水穴」を基準にサイトレイアウトをするとサイトの動線がうまくいくのだ。

 

 今もって不思議でたまらない。寺田班長の目にはどのように写っていたのだろう。

 機会があれば聞いてみたい。