日本ボーイスカウト茨城県連盟
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恐怖の闇鍋ものがたり

村田 隆浩(県連盟ディレクター)

 ボーイスカウトの世界には、伝統&定番と言われている「鍋」がある。

それはスカ(スカウト)鍋、ジャンボリー鍋、キムチ鍋、そして今回登場の「ヤミ鍋」だ。そのヤミ鍋がスカウト達の要望で10数年ぶりに実施することになった。

 

 実は、このヤミ鍋、私がスカウトの頃に、各隊でブームになったのだが、その頃は、無理・無茶・無謀の「三無の仁義」が平然と行われていたこともあって、翌日の病院でスカウトと良く出会うという過激なものでもあった。それ故に、当時の隊長により「封印」された・・・という曰く付きのプログラムなのである。

 そんな危険なヤミ鍋ではあるが、刺激に飢えた隊長と畏れを知らない班長との協議で復活することとなった。

 

 ヤミ鍋には絶対守らなければならないルールがある。それは・・・・

  「出されたものは必ず食う!」

である。「食べなくてはいけない」ではなく、「食べよう」でもなく、「食う」のである。 そう、自発活動だ。自分との戦いだ。自らの責任において、自分で器に盛ったものは、何があっても「すべて食う」「たいらげる」のである。それが由緒正しいスカウトのヘビーなスカウトのヤミ鍋なのだ。

 ・・・とは言うものの、今回チャレンジするスカウト達は、今回生まれて初めての経験だ、そこで今回の目標をライト?に「完食」と決めた。まぁ、結局は「食う」のであるが・・・。

 

 スカウトが集合し、 セレモニーが行われた。そして鍋に具を入れる順番を決めるためのゲームを行なった。

 グループごとに丸太の上に乗り、丸太から落ちないように指令通りの順番に並び変わるという単純明快なゲームである。これはイーグル班が優勝。コンドル班、タイガー班の順に決まった。いよいよ、楽しい「具」投入の儀式へと移る。具材投入の次は、どの順番で盛るかである。実はこの順番によって、幸福にも不幸にもなってしまうのである。

 というのは、ヤミ鍋には「地雷」と呼ばれる「これだけは勘弁してくれ」という食材が必ず入っている・・・いや、入れるヤツが必ずいる。しかし、この「地雷」が何であるかは、実は投入した本人も分からないのだ。なぜなら、いろいろな食材のエキスやらの混ざり具合によって、それがどう化けるか全く見当がつかないからだ。また、そのときの投入食材の種類や量、なべ奉行の加減ひとつで「地雷」が、鍋のどの位置に来るか、つまり、底に来るか上に来るか分からない。 何がMY食器に入るかは、まさに「神のみぞ知る」のである。 今回も正にそんな状態だった。

 

 そのため、盛る順番を決める個人対抗のゲームはかなり白熱した。

 そのゲームとは、全員で輪になって手をつなぐ。その輪の中央にバケツの上に棒をただポンと横に置く。隊長の合図で、手を離さずに前後左右に動き、動かし、どんどん輪を変形させながら、他のメンバーを中央の棒に触れさせ、落とさせる。棒を落としたり、手を放したりしたらアウトで、最後まで残った人が勝ちと言う「オージー某落とし」というものである。

 このゲームは盛り上がった。それもそうだ、どの順番かは大事だ。スカウトたちは、かなりヘロヘロになっている。やたらと体力を使うので、食が進む。これもありがたいリーダーの配慮なのであった。

 

・・・ と言うわけで、順番が確定。一人ずつ神妙に器に盛る。どの顔も真剣かつ複雑な表情であった。そして、全員が盛り終わる。

 

 ヤミ鍋のマナーとして、食べるときに先ず大きな声で「いただきます」をする。これは普段でも行ってると思うが、特に大きな声で言うことでヤミ鍋の恐怖に打ち克つのだ。そして、ニオイをかぐ。それぞれが漏らした「ニオイ」を表現した言葉が、更にみんなの更に恐怖を煽っていくようだ。次に汁をすすって味見をする。

 

 「ん? う、うまい・・?!」

 

 これは意外だという言葉が聞こえてきた。この言葉、実は禁句なのである。なぜなら、この後の隊長の言葉は決まって、

 

 「うまいなら、みんな完食しような!」

 

なのである。

 案の定、隊長の口からその言葉が飛び出した。思わず「しまった」と顔を見合わすスカウトたち。ニンマリとする隊長。これがあるから楽しいのだ。

 そうして、ここから本当のヤミ鍋バトル一本勝負がはじまった。

 勝つためには、そう、食うしかないのだ。無言、唸り、雄叫び、絶叫そして涙。見ている私も辛い??のだよ。(ホントかな・・・)

 

 そして、全員が見事に完食した。

 

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 ところで、みんなは、ご飯を食べる前に必ず「いただきます」と言っているだろう。この「いただきます」ってどういう意味なのか知ってるだろうか?  実はそれは「生き物の大切な命をいただく」ということなのである。 我々が食べるすべてのものには命がある。その動植物が命を絶つことで、我々が生きていくことができる。

つまり、「いただきます」という言葉には、「みなさまが命を絶ってくれたおかげで、我々が生きることができます。その感謝を込めてあなたを美味しくいただきます。」という意味なのである。

 

 よく「残さず食べなさい」と「好き嫌いをしてはいけない」等と言われていると思うが、残したり、好き嫌いは、せっかく命を絶ってくれた動植物に対して非常に申し訳ないことなのである。

 

 「いただきます」

 

ご飯を食べる前、もう一度この言葉の意味を思い出し、感謝して食べましょう。

 

 

冒険者とカヌー

村田 隆浩(県連盟ディレクター)

 スカウト活動中、もしかすると家には帰れないかもしれないという恐怖にあったことはないだろうか。

 

 私がローバースカウトの時、当時の隊長がカヌーを好きになり始めた。ことの発端は、WB研修所シニアー課程。その時のY所長が自称「カヌーイスト」。N隊長は、研修隊の「隊長」役。

   「カヌーをしたことがないのか。何百年も変わらない風景を動物たちと同じ目

    線で見られるはカヌーしかないぞ。残念だな。川と戯れることができるの

    は、カヌーしかないぞ。カヌーをやってみるか」

・・・研修所のなかのプログラムでカヌーを実施。

 N隊長は、感動したのであろう。研修所終了後、ローバーを招集してカヌーのすばらしさを熱弁した。すでに家族に内緒でカヌーを買っていたらしい。

 

 翌週、我々は、ホームセンターに行きカナディアンカヌーを購入した。そのまま、車にカヌーを括りつけ、霞ヶ浦へ。ちなみにキャリアはない。本当に車にスカウトロープで縛って行った。カヌーの教本片手に各自、コソ練(隠れて練習の略)。妙な自信だけはつけていった。

 次の月には、富士五湖の一つ西湖へ遠征。あまりの透明度に感動する我々。

 これが、カヌーじゃないと見られない世界か」

 

 しかし、なかなか真っ直ぐに進まない。通常、カヌーは前輪駆動なのである。2人で漕ぐときは前の人がひたすら漕ぎ続け、後ろの人が漕ぎながら舵をとる。要は上手い人が後ろ、下手な人が前なのである。(※1)

 その時は、なぜかN隊長が前、私が後ろで漕いでいった。蛇行するわ、旋回するわ、中々前に進まない。

 ガマンの限界に達したN隊長は、湖の真ん中で前後交代を提案した。それも言葉にできないほどの罵声を浴びせながら・・・。さすがの私も売り言葉に買い言葉。西湖の真ん中で、酷い言葉の応酬が始まった。テンションもマックスになった二人は、とうとうカヌーの上に立ち上がる。

 その時、カヌーが大きく揺れた。まさに転覆する寸前である。咄嗟に抱き合う二人。

 西湖の真ん中で男二人が抱き合いながら揺れが収まるのを待って、静かに腰を下ろす。もちろん、体は密着したままである。

 周りの人からどのように見えたかは・・・知らない。

 

 当時の茨城県連は、県内外の他団との交流が非常に盛んであった。5地区は「マッドベンチャー」と称して、地区内のベンチャーが集まってベニアでカヌーを作ったり、ボーリング大会を行ったり、野球大会、奉仕作業などを行っていた。ローバーも茨城ローバー連絡会議、通称「茨ロー会」(のちにアイアンとなる)が発足し活発に活動し始めた。キャンポリー、カブラリーなどは茨ロー会の力なくしては成し得ないくらいに活動の幅を広げた。

 リーダーも若手、中堅を中心に徐々にプログラムの幅を広げようと、団、地区、県を超えて仲間を見つけては、色々なことに挑戦していた。カヌーもその一つではあるが、その他にも雪中キャンプや釣り、フリークライミング、料理、バイクツーリング、食べ歩き、音楽鑑賞、演劇鑑賞、祭りへの参加、花火鑑賞(※2)等などボーイスカウト活動と関係があるかどうかわからないことまで挑戦していた。そして、3ヶ月に1度ぐらいにキャンプをしながら報告をしていた。

 そんな中で、なんとなく集まったのが「OGE隊」である。(※3)

 「OGE隊の信条はただ一つ。俺たちは、できない理由は探さない。できる理由を探すんだ! さぁやるぞ! 」

 スカウトたるもの毎晩酒場で、スカウト論を興じるなんてことは愚の骨頂。先ずは、行動。そう、行動あるのみだ!! そこから感じ得られたものがスカウトの心に通じるプログラムになる!!

という思いから色々なことに挑戦してきた。

 

 その中でも、特に力を入れてきたのがカヌーである。

 

 みなさんは、カヌーはどんな乗り物は想像できますか?

 川のせせらぎを聞きながら優雅に進で行く。

 水面を滑るように進んでいく。

 聞こえるのは、ただ波打つ水の音だけ。

 

残念であるが、私はそんな乗り物に乗ったことはない。

 

 その日は、前日からの雨が残っており、上流から流れる水のためかなり増水していた。(※4)

 地元のおじさんも「こんな日に川遊びをする者なんかいないぞ」と我々に忠告。

 さすがの我々も怖じ気づき、OGE隊長が来たら帰り支度をしようと話していた。

 しかし、1時間経っても来ない。なんと、OGE隊長が来たのが集合時間より2時間遅れ。

 「いやぁ、遅れちゃったよ。取手が猛吹雪でさ、なかなか進めなかったんでさ。」

 11月下旬に茨城では吹雪くどころか雪は降らない。もう一度言おう。台風は来るが雪は降らない。

 

  隊長 「早く支度して前に進むぞ。早く行かないと日が暮れるからな」

  全員 「・・・・!(絶句)」

 

 その頃になると我々のカヌーの腕もそこそこ上がり、とりあえずふつーの状態の那珂川では進めないということはなかった。しかし、その日は増水、ましてや水温も非常に低く、気温も寒い。心の中には「危険」よりも「寒くてしょうがない」が先に立つ。ましてやその中で2時間も待っていた我々としての気持ちは沈んでいた。正直、帰りたかった。

 

 カヌーの装備で大事なものがある。一番は、ライフジャケット。これがなくては死に行くようなものだ。次は、ツバの大きな帽子に首にまくタオル。実は、晴れると照り返しで首周りが日焼けしてしまい、非常に辛いのである。あと、牽引用ロープにナイフ、少々の現金。これは非常事態時に役にたつ。そして「着ぐるみ」。

 いつから始まったのかわからないが、茎崎1団(現つくば2団)VS隊のK隊長と阿見1団BS隊のM隊長は何故か全身タイツを着て挑んでいた。

 着ぐるみ着用は、不測事態になった時に身元が判明しやすい格好の方が良いのではないかという判断からだったと記憶している。なぜそれが着ぐるみになったかは定かではない。

 ちなみにK隊長は白鳥、M隊長はサルである。もちろん白鳥は、皆様が一番想像する形のものである。

 

 その日の那珂川は荒れていた。ありとあらゆるところに大きな瀬ができ、回避出来ずに「エイヤっ」と力技で進まなくてはいけない状況が続いた。カヌーは川の流れよりも早く漕がなくてはコントロールできないので、必死になってパドルを動かした。

 流石に筋肉が悲鳴を上げるのでずっと漕ぎ続けることは出来ない。何処かで休まないといけない。「休みたい・・・」心が負けた時、何故か「沈(ちん:転覆すること)」をするのである。その時は確か7艇出たと思ったが、1艇以外は「撃沈」「轟沈」「粗沈」の嵐であった。

 

 そんな中、K隊長、M隊長にも悲劇が襲った。

 年齢は、K隊長の方が年上ではあったが、カヌーのキャリア、技能はM隊長の方が優って?いた。そのため、いつもK隊長が前、M隊長が後ろであった。

 この二人、一見理屈っぽいのであるが、どちらかというと考えるより行動が先にでるタイプであった。よく言えば非常に行動力があるのだが、悪く言えば何も考えていない。思慮深さの欠片もない二人であった。というより、おバカなことを真剣にすることに全身全霊をかけていた。そのため、ローバーの頃から数々の伝説を作り、その名声は県内にとどまることはなかった。

 

 カヌーも理屈より行動。危険回避よりチャレンジ。何より川と戯れることを至福の喜びと感じていた。(要は、美しい「沈」することに喜びを感じていた)

 

 その日は、珍しく「粗沈」はあったが、どちらかというと他の艇も「轟沈」「撃沈」の連続であった。兎に角、気の休まる瞬間がないのである。

 そんな二人に大きな瀬が連続して襲ってきた。それを無難に乗り越えた瞬間、左廻りから右に廻るS時カーブに差し掛かった。

 左側は篠や竹が突き出す崖である。

 M隊長が右にカヌーの向きを変えようとパドルを左から右に持ち替えようとした瞬間・・・やってしまった。

 突き出した竹にパドルを取られてしまい、不覚にもパドルを落としてしまった。

 

 「・・・M君。曲がらないよ。ねぇ、カヌーが曲がらないよ。」

K隊長の悲痛が叫び。

 「・・・(そりゃそうだよ。だって僕、パドル持ってないもん。)」

妙に冷静なM隊長。カヌーの両端を持って「沈」をする体制を整える。

前を向いているK隊長にはそんな状況はわからない。

 

 一瞬、世界の上下がわからなくなる。ただ苦しい。

 ライフジャケットを着ているとはいえ、体の重みとうずまく川の流れで川底まで引っ張られる。

 音も聞こえない川底。見たことがない風景がある。息苦しさとは違う。全身を締め付けられるような圧迫感。

 

 「(こんな姿ではいやだ!)」

 

 川底を蹴り、水面へ。上流と下流を確認。足を下流側に向け、状況を確認。

 顔に水しぶきがあたり、中々息が出来ない。

 

 転覆したカヌーにはK隊長がしがみついている。

 「M君。死んじゃうよ。ねぇ、死んじゃうよ。」

 (このくらいで死ぬわけないだろう。冷静になれよ。)

 

 なんとか2人ともカヌーにしがみつきながら川の流れが穏やかな岸にたどり着いた。

 全身ずぶ濡れの白鳥とサルは、カヌーを岸に引き上げ放心状態。

やっと、お互いの顔を見ることができた。

 (確かにこれでは、死ぬかもね)

 お互いに顔面は蒼白、唇は真紫色。目に力はなく、垂れ下がった白鳥の頭とサルのしっぽがお互いの状況を表している。

 ただただ脱力ではあった。

 

 サルや白鳥のままでは・・・。流石に親に申し訳ないよなぁ

 

 腹のそこから聞こえる笑い声がそこここから聞こえてきた。

私の落としたパドルを拾ってくれたOGE1と2,3が大爆笑をしながら向かってきた。

 「中々、すごかったなぁ。ククク・・・。」

 「けど、俺の轟沈には足元にも及ばないが。ケケケ・・・。」

 「河童の川流れじゃなくて、サルと白鳥の川流れか。ガハハ!」

 

 何とでも言ってください。

 楽しい酒のネタは提供しましたよ。

 

 その後も、それぞれが豪快な「沈」を繰り返しながらなんとか野営地に着くはずであったが・・・。今度はOGE隊長が川の藻屑になりそうになった。

 そこで、ようやく俺たちのやっていることは危険だったんだと解って、川から上がった。

 

 『え、どうやって野営地まで行ったの?』

 

 ここから、また、考えも及ばないドラマがありまして。

 そこは、またの機会にお話できれば幸いです。

 

 

冒険は楽しい。

その時は、本当に辛いが何年経っても、その時の状況は思い出される。

無謀と冒険には大きな違いがある。そこはそのための十分な準備をしているかどうかだ。

準備とは、装備のことだけではない。そのことを行うために技能、知識、経験、心も精神も準備するである。

我々は、自然を相手に活動している。当たり前だか勝てるわけはない。

だが、自分の力を高めていけば自然と遊んでもらえることはできる。

自然と遊んでもらえたと感じた瞬間、なんとも思えない至福の喜びがある。

自然と遊ぶためには、色々な自然とのルールを知らなくてはいけない。

もし、ルールに反すれば、自然はそっぽを向いてしまい我々を排除してしまう。

そのルールは、一朝一夕では身につかない。

ひとつひとつ重ねた経験が、自分の人生をすこし豊かにしてくれる。

そうすれば、人生を有意義に過ごすことができる方法が身につくだろう。

もっと、冒険をして欲しい。

与えられた世界ではない、自分で見つけた世界を作ってくれることを願います。

 

Do Vneture !!

 

 

(※1)M隊長は知らないようだが、前に座る者には大切な役目がある。そう川の様子を判断して進行方向を知らせる役目だ。それを「水先案内人(ナビゲーター)」という。ついにM隊長にその役目はできなかった。いつも単なる「水先見物人」から進歩しなかったのだ。

(※2)この他、特に楽しんでいたのがロケット花火合戦。これは燃えた!!

(※3)残念ながら、これは本人の誤認識である。他にもいたるところに自分に都合の良い解釈及び表現が見られる。よい子は信じてはいけないよ。「信じる者は騙される!」

(※4)1997年11月29-30日のことであった。