「日日の善行」
これは、私たちボーイスカウト運動のココロを端的に表したスローガンです。
スカウトとして、地震や洪水などの災害復旧や、地域の清掃活動やリサイクル、ケア活動、いろいろな保護プロジェクトなどに参加することは大切なことです。
しかし、そんな大きなことでなく、もっともっと小さくて、身の回りの出来事に対して、親切や感謝の心から、自分に出来るちょっとした良いことをしていこう、毎日何かしらの善行を見つけて行っていこうというものも「日日の善行」の大切な意味なのです。これは、はじめのうちは善行を意識して行ったとしても、それを習慣へと導き、次第に意識しないで善行ができるようになる、そんなスカウトにしていこうというものなのです。
他のいろいろな団体でも「一日一善」という言葉を掲げて善行の奨励をしていますが、一善という言葉は、一つの良いことをすればいいという感じに捉えられてしまいます。また、「日々」と書かずに「日日」と敢えて書くのは、日々だとなんとなくなく過ぎていってしまうようなイメージなので、この「日日」にすることで、1日1日をしっかりと意識してるんだよという意味を持たせています。これらのことから、私たちは「日日の善行」という言葉をスローガンとしたのです。
「日日の善行」 それは優しさ、思いやりの気持ちの表れです。英語では「Good Turn, Daily」と書きますが、この「Turn」には、2つの意味があります。「good turn」で「良いこと」、そして「turn」は「返ってくる」ということです。
つまり、自分を成長させてくれる大切なものとなって自分にもどってくるということなのです。
「日日の善行」の実践例
〜 こんな身近なこと、あんな身近なこと 〜
◇ 出入口で After you.
私は、出入口で対面する人がいるときは、それとなく脇に避けてその人に先に通ってもらうようにしています。ほとんどの人は、あたりまえのように通り過ぎますが、中には私の行動に気づいて「ありがとうございます」と声をかけてくださる方もいます。その言葉を期待しているわけではありませんが、そう言っていただくと嬉しくホッコリしますし、譲ってよかったなぁと思います。
ちょっとした心遣いですが、そうできる自分と、そう感じるられる自分が
嬉しいです。
みなさんも、そんな嬉しい
気持ちを味わってみませんか?
(N)
◇ スカウトはつらいよ
世界スカウトジャンボリーから帰国して、私は京成線で帰ったのですが、みんなが帰ってから成田駅に行ったら、ちょうど良いタイミングのスカイライナーがなくて、特急の方が早く日暮里に着くというので、特急に乗りました。
そしたら、成田から2駅めくらいで満席になり、しかも私の前におじいちゃんが立ってきたのです。
私は、制服を着ているのに知らん顔もできず、席を譲りました。そして、ほぼ1時間立
ちっぱなし。これには本当に疲れました。ボーイスカウトってたいへんだなと、あらためて思
い知ることとなった。
(>_<)
(I)
◇ 死して後も続けます
私は結婚時に妻と「朝のおはよう。寝る時のおやすみ。これはずっとしようね」と一つの約束をした。思い起こせば(不在の日を除き)一日も欠かさず続いてきた。
私の自慢は「夫婦仲が良い(決定的な『大喧嘩』をしたことがない)」こと、穏やかな家庭であること。これは家族全員の間の朝晩の挨拶がベースにあると確信している。
隊長としてスカウト達に「キャンプで、朝隊長と会った時、挨拶は隊長、スカウトどちらが先にするのか?」などと教え始めてからは「先手」を意識するようにもなった。
3人の子供たちは自分のスカウトの教え子でもあるが、「先手の、毎日の挨拶」を引き継いでくれているようである。
これからも「先手の挨拶」を死ぬまで(死んでもあの世で(笑))続けようと思っている。
「挨拶は人間関係全ての
基本」とは言い古された言
葉ですが皆さんもひとつ如
何ですか?
(M)
◇ きれい は うれしい
ちょうど4年前、愛犬Mが我が家にやってきて、朝晩の散歩が始まった。
近くの公園を一周する約3kmのコース。ある日、道にゴミが落ちているのに気がついた。でもその日はスルーしてしまった。しかしそれがずっと頭から離れない。翌日、火ばさみとスーパーの袋を持って出かけていくと、今まで目に入らなかったゴミが結構あった。その日から日々散歩コースを変えながら、毎日袋にいっぱいのゴミを拾って歩いている。キレイになった道を見るのは嬉しいものだ・・・が、1週間後には、また袋いっぱいにゴミがたまる。まぁそのおかげで、ゴミ拾いが続けられるのだが。
ゴミ拾いは、道の右だ左だと蛇行する。なので、Mは、道をまっすぐに歩いてはいけないものだと思い込んでいるらしい。それに、名犬なのでゴミを見つけてはくれないし教えてもくれない。
さぁ、愛犬家のみなさん、
散歩には、う○ち袋の他に
火ばさみとスーパーの袋を
持って出かけましょ。
(K)
◇ 感謝のバトンパス
普段の日常を過ごす中での小さな感謝。
・仕事を手伝ってもらった時
・落とした資料を拾ってもらった時
・コップを片付けてもらった時
私たちは,人との関わりの中で,あらゆる場面で他の人に対する感謝の念を持ちながら生活している。
その中で私が日頃より心がけている2つのことは,
・毎日,誰かに最初に「ありがとう」という
前に自分が何か良いことをする
・自分が「ありがとう」と言った数より1つ
でも多く良いことをしようとする
ということである。
「良いこと」とは,表彰されるような大きなことではなく,
・職場の電気・空調のON/OFF
・ゴミ捨ての手伝い
など,自分がしてもらったら感謝を感じるようなこと程度である。それは,誰かに「ありがとう」と言ってもらうためではなく,自分が受けた善意に対する感謝を社会に還元するものであり,自分が受けた善意の数を一つ上乗せして還元することで,世の中全体に一つ多く感謝が広がり,より良い社会に繋がっていくことになると考えるからである。
他の人から受けた感謝を他の誰かにつないていく,そのような思いで私は日々を過ごしている。
(T)
◇ 何かのために
何かのために
は聞こえは良い。
でも時に思い上がっている
ようにも思える。
人間関係においても言える
ことだが、誰の『 ために 』
やろうとすると厄介な
問題になることがある。
しかし、誰を『 思い 』
何かをすることには
見返りを求めることもなく
そこに愛情が存在している
から不幸な結果に
なることが少ないように思う
(イチロー)
◇ 声かけるの恥ずかしいよね。
でも、その一声を待っている人がいる。
社会人として20年弱経過し、毎日電車に乗っていると思うことがある。優先席(プライオリティシート)の存在である。
基本的に空いていても座ることはないのだが、最近は若者が混雑している中でも平気で座ってしまっている。
優先席の定義は、以下とされている。
【特定の人が優先的に使用できるよう設けら
れた座席。特に電車・バスなどの公共交通
機関で、高齢者・体の不自由な人・病気や
けがの人・妊婦などが優先的に使用できる
座席。優先座席。】
空いている車内では座っても平気と認識している方もいるだろう。実際の場面で本当に席を譲れるのだろうか。相手も座っている方に声をかけてまで座れない方もいるであろう。そのため、私は空いている車内でも優先席には座らないようにしている。
電車通勤をしていると、どうしても座りたい時や譲りたくない時もあるであろう。そんなときほど、高齢の方や妊婦等の必要とされている方には席を譲るようにしています。その時にニコッと微笑まれたら朝から気持ちいいよね。
みんなも優先席に限らず、本当に必要とされている方に席を譲っていきましょう!!
毎日の積み重ねが、きっと、みんなが幸せになれることの第一歩であるでしょう。
最後に私の経験で一つ。
なかなかその状況は、無いとは思いますが「ありがとう」の一言が無くても負けないで。
心の中ではきっと「ありがとう」って言ってるから。
(T)