班制教育とパトロールシステム
冒険や、作業や、ゲーム、そして世の中でいちばん素晴らしいもののひとつである友愛などを、満喫できるすばらしい未来が、君や君の仲間を待っている。よい班とは、何事が起ころうと、肩をならべていっしょに協力してやっていく、よい友達同志のグループなのだ。
一人はみんなのために、みんなは一人のために
One for All, All for One.
これがスカウトの班の意識であり、精神だ
班長としてのつとめはできるだけ楽しむとよい。しかし、班長であることには、単なる楽しみ以上のものがあることを忘れてはならない。
班長としての最大のスリルは、普通並みの少年の集まりを、ひとつのれっきとした「班」に仕立てること、5〜6人か7人の少年を手助けして、よいスカウトにすることだろう。
どのような班になるにしても、班作りでは君の班員ひとりひとりが、何らかの役割を果たすわけであるが、何といっても班作りの最大の責任は、班長にある。そこで班長の指導力、友情と親切心そして模範的なふるまいが、何よりもモノをいうのだ。
正しい指導者のもとでは、どんなに小さな班でも、ほとんど例外なく、班として恥ずかしくない組織になりきるものである。だから、班長が班長としての本分を正しく把握して、出発の方向を誤らないようにできるかどうかは、班長の努力如何にかかっているのだ。
・・・これは、ローランド・フィリップス著「班長のてびき」の一節です。
スカウト運動の目的に沿ってスカウトを育てるのは「スカウト」自身なのです。
スカウティングでは、スカウトたちの教育の単位は、班・グループと呼ばれる小集団で、特に「異年齢」の少人数集団の仲間の中で一人ひとりのより良い品性と人格が培うよう設計されています。それを「班制度(班制教育)」と呼んでいます。
その集団は、スカウトの成長段階に合わせて、ビーバーでは必要によって作られる「グループ」、カブでは6人の「組」、ボーイでは8人の「班」、ベンチャーでは「(活動)チーム」と呼ばれます。
ビーバーやカブの段階では、成人指導者によってグループや組が運営されます。ボーイ隊の「班」がこのスカウト運動の重要な位置づけとなっており、ビーバーやカブは、この「班」のメンバーとして十分に役割を果たし、かつ、かけがえのない仲間になることを目指して、グループや組で楽しいプログラムを通して資質を養っていきます。
この異年齢集団の「グループ」「組」「班」「活動グループ」(これらを便宜上「班」といいます)の中でスカウトたちは、仲間から学び合い、仲間のために学び合います。年下のスカウトは年上のスカウトの活動を見ることによって、次に何ができるようになるのか、何をやるようになるのかという先見性を養うことができます。年上のスカウトは年下のスカウトに教えることによって、これまで獲得してきたことを,確認しさらに高めることができます。
班には「人を分ける」という意味と「仕事を分ける」という意味があります。
この「仕事を分ける」ということは、愉しい班活動のためでもありますが、ライバルとなる他の班が存在することで、班の仲間たちは、他の班に負けないように、作戦を立て、任務と役割をそれぞれが分担し、その役割をきちんと果たすだけでなく、もっと良い結果にするべく、より高みを目指すことで、「班」の力を高めていくのです。
そこには自然とお互いを尊敬し、理解し合う気持ちが生まれていきます。ボーイスカウトの活動は、この班と班対抗(対班競点)を活用して、それぞれの班が切磋琢磨して、互いに幅広い知識と高い技能を獲得し、人間性を高め、One for All, All for One.の意識と精神を養っていきます。
班の力を高めることは、班長のリーダーシップと、班の先輩から後輩への知識や技能の伝授、班の精神の伝承等によってなされていきます。
班のスカウトは、それぞれの成長度合い、能力、得手不得手などによりますが、班の中での任務・役務を与えられます。それらは班にとって大切なことばかりです。それを責任を持って、いかに早く、確実かつ高度なレベルにもっていき、実行できるかどうかが求められます。そうなるには班の先輩と後輩の関係が大切になります。
同年齢のスカウトだけだと、お互いに学び合うことよりも、ライバル意識の方が強くなってしまう傾向があります。異年齢にすることでそれが解消され、互いを尊敬する気持ちが生まれ、競争心も押さえられてきます。
また、できるスカウトができないスカウトを教えてあげるという関わりの中から、優しさやいたわる気持ちも生まれてきます。これらのことは子どもの情緒面の成長にも欠かせないことなのです。
さらには、この仲間集団には「ちかい」と「おきて」を実践する意識やスカウト精神を高めようとする気概、そして、自らの活動を立案し実行していく能力を持たせることが重要です。このように「班」という組織はスカウト運動の大きな特色となっているのです。
この意識や気概、能力を育成するためには、成人=指導者の適切な関与が重要となります。この成人の関与の仕方は、スカウトの年齢に配慮して関わる必要があります。班長・組長に対しては直接的に、班・組に対してはグループの支援・後援者として、個人に対しては良き相談相手・良き見守り手として
また、スカウトは、成人指導者から直接教育指導を受けることもありますが、スカウト運動独自の方法、班の仲間・グループが、個人の進歩を促すために用意された様々なプログラム(これは野外活動だけでなく地域・社会・世界・環境に役立つものや個人の教養に役立つ技術、スポーツ、芸術などの分野にも及ぶバランスのとれたもの)をもとに、民主的な方法によって立案した計画を野外での体験活動として、前に述べた異年齢グループの中で実行することを基本としています。
つまり、スカウトとしては、あれがやりたい、あれを知りたい、あれを極めたいといった要望がプログラムに反映されれば、喜んで自発的に参加します。そして、真剣に取り組み、自分の力として蓄えて行きます。自らが出発点となって活動に取り組んでいき、そして「できた!」というその瞬間を迎えるわけです。「できた!」なんです。その時スカウトには達成感や満足感だけでなく、自分でできたんだといった有能感であり自信が生まれてきます。それがスカウティングが育てたい資質なのです。
提示されるプログラムは、もしかしたら自分のニーズではないかもしれません。班としては、自分だけでなく、他の人の要望も含んで、班の協議で何をしていくかが決まっていくのですから。不平不満が出てきそうです。しかし、そこがボーイスカウトの「班」の在り方の素晴らしいところなのです。前項で、班には自然とお互いを尊敬し、理解し合う気持ちが生まれてくると述べましたが、そうです協調性です。その時スカウトは「そうだな、やってみようかな。新しいことをやってみるのも愉しそうだな。班の仲間がいるんだからな。」という心のゆとりから来る、譲り合いの心も育んでいるいるのです。
スカウトや班の要望を隊のプログラムに取り入れるに当たっては、隊としての活動ですから、隊長をはじめとした指導者が支援できる範疇で、かつ各班の意向が偏らずに反映されなければならないのは大切なことです。
中でもBS部門以上の活動は、できる限りグループが「自治」により自発的に活動することが大切であり、指導者は自治の活動を促すことに注意を払い、自治活動ができるよう指導することが大切です。
スカウト運動は、家庭・学校・地域で様々な教育を受けている個人が、スカウト活動の「班」という小社会の一員としての体験を通して、また、その立場を班員から班長へとステップアップしていくことを通じて、視野を広げ、そして高め、その視野の範囲を自分自身→班→隊全体へと広げるプロセスを体験させることで、将来の自己実現に向かっての基礎固めを支援していきます。
指導者は、「なぜ・どうして」スカウトが育つのかをすべての場面で意識する必要があります。
スカウトは、成果を出すために、自分自身の取り組み方、それが他の人に与える影響など、スカウト個人、班、隊のそれぞれで立場を変えて体験していきますが、例えば、自分が努力してできたことが「班のために役だった!」という出来事は、彼にとっては達成感・満足感だけでなく、自信につながり、向上心にも繋がります。また「貢献できた」という意識は、仲間とのより深い繋がりに結びつくだけでなく、役割分担の大切さやきちんと仕事をこなすことの大切さを知ることになり、そのプロセスを振り返ることによって、さらにブラッシュアップされてより良い結果を出すという動きに繋がっていきます。
このようにしてチームワークの大切さを学び、各自のポジションの位置付けと任務を自覚し、その取り組み方を組み立てていくのです。この体験によって、のちに社会に出たときに、チームのメンバー・リーダーとして大いに活躍することでしょう。
このようなスカウティングを行うためには、集団を管理するような活動ではだめなのです。指導者が一方的に何かを同じ時間内に同じ通達点に至るよう教え込んだり、定着がなされているかをテストで試され、結果ばかりを重視するような方法では、この運動がが育てたいスカウトは育ちません。
私たちの多くは公立の小中学校で義務教育を受けて来ています。それは文部科学省の学習指導要項に従ったまさに「管理された学校教育」です。そこから脱却した一部の人を除いて、「教育」とはまさしく「管理」なのです。子ども達に「かせ(枷)」を填めて教え込むこと・・・というイメージが離れません。
しかし、スカウティングは違います。本来子どもが持っている興味や意欲、そして夢や憧れといったエネルギーを引き出して、それをもとに自分自身で段取りをして物事を行っていくのです。しかしながら、1人で行うには限界があります。そこで、それを叶えてくれる仲間集団が「班」なのです。
よくパトロールシステムとグループワークは同じものも見られてしまいますが、それは似てはいるけれども全く違うモノなのです。それを比較したモノがこれです。
活動の期間と場
集団の目的
メンバーシップ
グループの作用
プログラム計画
グループワーク
ある一定の場所に一定のメンバーが集まった時に限られている。
目標とか目的とかの下にメンバーが集まって活動する、同好会的性格を有する。
同一年令の人間が集って構成することが可能である。
グループワークではメンバー相互作用が大切であり、それが活動の大きな位置を占めること
リーダーと、グループワーカーがメンバーのニーズ(欲求、希望)を理解してからプログラムを計画する。
に対し
に対し
に対し
に加えて
に対し
パトロールシステム
生活の方法であり全生活の一面であって期間的にも場的にも制限がない。
前述のごとく生活活動であり、目的は手近に生活の中に存在すること。
異った年令の青少年が集って班を構成しなければならないのが原則である。
対班作用というか班対抗の競争があること。
一貫した教育方針としてのカリキュラムを有していること。
さて、「教育」という言葉から受けるイメージは、スカウティングの場面でイメージしてみると、どうしてもセレモニーのとき、プログラム活動の時、キャンプファイアの時などスカウト活動の場面のみと捉えがちです。
しかし、スカウトが成長していく場面を総体的に捉えてみると、それはスカウト活動のすべての時であり、中でも、スカウティングの意識が充分浸透しているスカウトにとっては、生活のすべての場面が「教育」となります。こうなると全てが相乗効果で高められていきます。
また、スカウティングにおける技能とは、自らの能力を伸ばすのに役立つものであって、それは「社会に直接役に立つ技能」だけに限ったものではありません。例えば、手旗やモールス信号はゲームとして多くのプログラムを提供することができますが、これにより、集中力・観察力、ときにはチームワークの能力を伸ばし、簡単に意志を伝える学習にもなるわけです。しかしながら、直接の繋がりはなくても、それらの体験は、形を変えて、人生のいろいろな場面で役立っています。
「One for All, All for One.の意識と精神」と冒頭で書きましたが、ここまで班を高めていくことは容易なことではありません。班員同士、班員と班長、班長と上級班長、そして班長と隊長、それぞれが信頼という深い関係で結ばれていなければ、この関係は生まれることはないでしょう。この関係ができたとき、それぞれのスカウトは、自分への自信と共に大きな誇りを持てるのです。そう導くことが私たち成人指導者の一番大切な役割であるわけです。
「班長の指導力の欠如している」という話をいろいろなところで耳にします。実際私自身もそう思っていました。「班長に指導力がないから班活動ができない」「進級が遅れる」「班長の出席率が悪い」等々。
しかし、根本的な原因を追求することなしに問題を議論していたことに気がつきました。
それは、
ということです。
これらを見落として、いや、知ろうとしないで、班制度が展開できない責任を班長になすりつけていたのではないだろうか・・・・と。
また、スカウトを評価するときに、技能やレポートばかりを判断材料にしていましたが、ほんとうに大切なのは「ちかいとおきてを実践し、人の役に立つ」ということであり、その訓練手法として班制度が用いられているのです。
スカウティングにおいては、技能が劣ることはたいした問題ではありません(こんなコトを書くと「また、あの県コミは・・・」と言われてしまいますが)。それよりも班制度ができていないことのほうがはるかに重大な問題なのです。
日本におけるスカウティングの低迷の原因は班長にあるのではなく、私たち指導者にあったのでしょう。 私たちは本当に班制度を知っていたのか? 私たちが班制度を正しく理解し実践していなかったことが最大の原因であったのではないだろうか???
班制度とはいったい何なのか、それは、まず、ローランド・フィリップスが著した「班長の手引」を読むことです。それを繙くことがスカウティンクの本質をつかむ手がかりになります。
そこには、班長になった少年がはじめにすべきことが実に簡単明瞭に記されている。
これらを実施することが班長訓練の第一歩である。班長たちが最初にこれを理解し実行しなくては班は動き出すことはありません。
「今のスカウトに班活動はできない」という意見もあるでしょう。しかし「昔のスカウトにはできていた」とも思えないのです。しかしながら、できないながらもどうすればいいのか自分たちで考えて活動していたはずです。指導者はあまり口出ししなかったし、それがあたりまえだったんですよね。
もちろん十分な成果はあげられはしなかったでしょうが、それでよいのです。忘れてはならないのは、パトロール・システムを経験することによって人格や能力を高めること、それが班制度の目的なのです。
「できる」「できない」は関係ないのです。できなくてもよい。やらせることが大事なことなのです。
その結果スカウトに進歩があれば、彼のスカウティンクは成功したのである。指導者の役割は、スカウトが思う存分スカウティンクを実施できる環境を整えることである。
また、余計なことを書いてしまいます。
『パトロールシステム』という言葉が、最近になってWOSMに「チームシステム」と変えられてしまいました。この「チームシステム」はどうにも上記の「グループワーク」とダブってしまうのです。なので、ボーイスカウトでは、やはり「パトロールシステム」でなくてはいけません。チームシステムには、我々が大切にしているこの運動の根幹とも言える「観察と推理」が見当たりません。観察があって、それをとりまとめ分析して予測する「推理」があるのは「パトロールシステム」なのです。