日本ボーイスカウト茨城県連盟
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※このページの内容は、茨城県創立60周年記念式典で、NHKの「プロジェクトX」を参考にスライドショーとして発表したものです。ナレーターのセリフをほぼ、そのまま掲載しています。(それ以降は編集部で加筆しました)

 

 「皆さんこんばんは。今年はみなさんもご存じの通り茨城県連盟が誕生して60年がたちました」

「さぁこれからみなさんと一緒に、茨城県連盟の歴史を創立にまつわるお話と、戦後の再建後の60年の二部構成で振り返ってみたいと思います」

 「それでは、始めましょう」

 「2011年、日本ボーイスカウト茨城県連盟は創立60周年を迎えた。

 加盟員約3,000人、中規模の県連盟である。

 

 茨城のボーイスカウトは、80年前に24歳の若者の情熱によって誕生したのである。

 

 

 

【戦前編】

 三島通陽。そう日本連盟第4代総長である。

この人の存在が、県連の誕生に大きく関わっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、この人「佐野こう治」、前佐野理事長の父である。

この人無くしては、茨城のボーイスカウトの歴史は語れない。

 今から88年前。1923年 大正12年。

 当時の佐野は薬剤師であった。同時に文学青年でもあった。

 特に好んで読んでいたのが、当時新進気鋭の作家で、貴族院議員でもあった「三島章道」である。彼こそがそう日本連盟第4代総長「三島通陽」なのであった。

 佐野は何とかして、三島に会いたいと考えた。 しかし、あまりに身分が違いすぎる。

 そこで、佐野は考えた。

 ダメでもともとである・・・・・・・手紙を書いた。「是非、講演に茨城に来て欲しい」・・・と。

 あまりに厚かましいお願いである。

佐野はためらった。「エイヤ」佐野は手紙を投函した。

 数日後、佐野のもとに手紙が届いた。三島章道からだった。

佐野は驚いた。

 そして、急いで 読んだ。

「来てくれる!!」 佐野は舞い上がった。

そして準備に追われた。

 

 

 2月28日当日。

三島は、2人のスカウトを伴って笠間駅に降り立った。

 講演が始まった。「乃木式火鉢」と題する話だった。

 大勢の人が集まった。その中に当時小学生だった第2代理事長岩瀬がいた。

 佐野は、三島の話に魅入るとともに三島が情熱を注いでいるボーイスカウトに惚れた。

 公演後、佐野は三島に尋ねた。ボーイスカウトの指導者になるにはどうしたらいいのか。

 三島は答えた。

「それには小学校の教職員になるのがいちばんの近道だ」・・・と。

佐野は決断した。そして薬剤師を捨てた。

 その年の4月、佐野は栃木県の尋常高等小学校の教員になっていた。

三島の講演から1年1ヶ月後のことであった。

 大正14年8月。富士 山中の野営場でわが国最初の中央実修所が開設された。

そこで10日間の訓練を受けた。

 ますます佐野はボーイスカウトに取り憑かれていった。

 

 

 そのころ、県内各地でボーイスカウト隊が結成されていた。

佐野の下にそれらの団長が集まった。茨城県連盟を作ろう。

 

 

 昭和6年、とうとう茨城県連盟が結成された。佐野、32歳であった。

 しかし、第2次世界大戦のために消滅した。

 

 

 

 

【戦後・復興 編】

 戦後、佐野はボーイスカウトの復興、県連盟の再興のために立ち上がった。

しかし、占領下のことである。なかなか思うようにはいかなかった。

 ところが思いがけないことが起こった、占領軍の方からアプローチがあったのだ。

 昭和22年2月 占領軍のラゴニー氏が佐野を訪ねた。

「ボーイスカウト運動を再建しないか」と。

佐野は、耳を疑った。

 そして、佐野は、戦前からの指導者、塙、打越らとともにラゴニー氏を囲み要談を重ねた。

 8月夏。関東一円の再建を志す者達が、那須の三島家に集まった。

その中に佐野の姿があった。

 

 

 

 

 次に佐野が行ったのは、指導者の養成である。

県社会教育課の支援で、指導者講習会を笠間市の佐白山で行った。

 こうして準備は整った。

 

 

 

 昭和24年、県内には5つのボーイスカウト隊が一斉に発隊した。

そこには現・橋本副連盟長も隊付として参加していた。

 それを契機に、県内でも各地で隊が設立された。

 

 

 

 

 

 昭和26年3月。水戸市役所において、県連盟理事会が開催された。

そこで、佐野は理事長に就任が決定する。

 

 

 

 

 また、連盟長には、水戸徳川家の御子孫である徳川宗敬氏を、学習院時代の同窓である三島総長に仲介していただき、就任をお願いした。

 

 

 

 

 

 そして1951年 昭和26年5月20日、

茨城会館においてボーイスカウト日本連盟第4代三島通陽総長ご夫妻をお迎えし、

加盟隊16隊、スカウト400名で茨城県連盟が再び結成された。

  水戸駅から会館まで400余名の大パレードを見た佐野の目には光るものがあった。

 思えば戦前の結成から20年。

三島総長の話を聞いてから28年の年月が経っていた。

佐野は、52歳になっていた。

 

 これが茨城県連盟結成に至る経緯である。

 

 

【茨城県連盟創立からの60年間】

 「続いて、茨城県連盟創立から今までの60年間を振り返ってみましょう」

 今から60年前 1951年 昭和26年。

初代佐野理事長が就任

 

 

 8月には蔵王で行われた全国大会に8隊300名を派遣。

 

 

 

 

 

 

 翌年1952年 昭和27年。

茨城県キャンポリーの第一回目が高萩野営大会として行われました。

 そして1958年までに第4回までのキャンポリーが行われました。

 

 

 

 

 1956年 昭和31年。

第1回日本ジャンボリーが軽井沢で開催され、13隊240名を茨城から派遣しました。

 1959年 昭和34年。

第2回日本ジャンボリーが滋賀県あいば野で行われ、11隊214名が参加しました。

 全国から1万7千名が参加したこの大会は、台風の直撃を受け全員避難した大変な大会でした。

 

 

 同年、第10回世界ジャンボリーがフィリピンで開催されました。この大会は、当県連として初めて世界ジャンボリーにスカウトを派遣した大会となりました。

 

 

 

 

 1960年 昭和35年。

茨城県連盟10周年記念大会が、水戸偕楽園で開催され水戸駅から偕楽園まで200名のスカウトがパレードを行いました。

また第5回県キャンポリー大洗海岸野営大会が開催されました。

 

 

 

 

 1962年 昭和32年。

第3回日本ジャンボリーが静岡県御殿場で行われました。

 

 

 

 

 

 1963年 昭和38年。

第1回年少スカウト交歓大洗大会が開催され、この大会が県連最初のカブラリーとなりました。

 

 

 

 

同年、第11回世界ジャンボリーがギリシャで行われました。

 ごらんの写真は、ギリシャの皇太子に、お箸の持ち方を御教えしているところで、教えているのは、当県連第4代理事長吉田理事長です。

 

 

 

 

 

 1965年 昭和40年。

茨城県連盟15周年記念大会が開催されました。

 1968年 昭和43年。

 

 

 

 

第7回県キャンポリーが、取手市キャノンの森で開催されました。

 

 

 

 

 

 

 

 1970年 昭和45年。

第5回日本ジャンボリーが静岡県・朝霧高原で開催されました。

 そして翌年 第13回世界ジャンボリーが招致され、同地で開催されました。

 

 

 

 

 

 

 茨城県連盟から合同隊3隊 120名が参加、またしても、台風がジャンボリーを襲い避難命令が出されました。

 

 1977年 昭和52年。

この年までに第8回、9回県キャンポリー、第6回日本ジャンボリー、そして第14回世界ジャンボリーが開催されました

 

 1978年 昭和53年

この年に、初代佐野理事長から第2代岩瀬理事長にバトンが渡りました。

 

 

 

 

 

 

第7回日本ジャンボリーが静岡県御殿場で行われ、390名が参加しました。

 この大会は、設営時に雨、撤営時に雨という大会で、撤営時に濡れた靴をたき火に当てて乾かしているときに半分燃えてしまって、ひもで足に縛り付けてかえってきたスカウトがいました。

 

 

 

 

 

 1979年 昭和54年。

この年10年ぶりに県カブラリーが復活、日立市かみね公園で行われました。

 

 

 

 

 

 

 1981年 昭和56年。

県連創立30周年記念式典。第10回県キャンポリーが勝田市 陸上自衛隊演習場で行われました。とにかく暑かったということです。

 

 

 

 

 1982年 昭和57年。

第8回日本ジャンボリーが、宮城県南蔵王で行われ、当県から447名が参加しました。

 

 

 

 

  翌年の1983年 昭和58年。

第15回世界ジャンボリーが行われました。そして第6回カブラリーでは、3000名ものスカウトが水戸・千波湖に集まりました。

 

 

 

 

 

 1984年 昭和59年。

この年に第2代岩瀬理事長から第3代橋本千代寿理事長にバトンが渡ります。

 

 

 

翌年の1985年 昭和60年。

 筑波で行われた「科学万博」開会式では、125名のスカウトが奉仕しました。そして夏には第1回関東キャンポリーが群馬県・相馬が原で開催され1,005名が参加いたしました。

 この大会で各県連盟がエールの交換を行ったのですが、このとき茨城県連盟が行ったエールが、あの「HOWDY IBARAKI」です。

 

 

 1986年 昭和61年。

第9回日本ジャンボリーが、宮城県・蔵王で行われ、542名が参加。このときも台風が直撃大変だったそうです。

 

 

 

 

また、この年から茨城県連盟主催のシニアースカウト海外派遣が行われ、1990年までにハワイで5回、1997年までにオーストラリアで第4回実施されました。

 

 

  1987年 昭和62年。

第7回カブラリーがつくばの洞峰公園で開催され

 

 

 

 

 

第16回世界ジャンボリーがオーストラリアで開催されました。

 

 

 

 

 

 1989年 平成元年。

第12回県キャンポリーが那珂町、日本原研所有地で行われました。

 このときも台風の直撃を受けてスカウトは全員近くの小学校に避難したのですが、一部のリーダーは留守番で残り、台風の凄まじさを体験することになりました。

 

 

 1990年 平成2年。

この年に初代徳川連盟長から第2代関連盟長に、第3代橋本理事長から第4代吉田理事長にそれぞれバトンが渡りました。

 

 

 

 

 

 

そしてこの年 第10回日本ジャンボリーが新潟県妙高高原で開催され、540名を派遣いたしました。

 

 

 

 

 

 

 1991年 平成3年。

県連40周年記念式典が行われました。

 また、第8回カブラリーが下館市総合公園で行われる予定でしたが雨で中止になってしまいました。

そしと第17回世界ジャンボリーがお隣の国、韓国で開催されました。

 

 

 

 1993年 平成5年

第13回県キャンポリーが勝田で行われました。この夏起こった、奥尻地震のため「お祭り広場」が行われ、売り上げ金を義援金として贈りました。また、第1回アセアン・ジャンボリーがフィリピンで開催され茨城から5名が参加しました。

 

 

 1994年 平成6年

第11回日本ジャンボリーが大分県久住高原で行われ、538名が参加いたしました。



 

 

 1995年 平成7年

第9回カブラリーが「風と仲良し元気村」をテーマに笠松運動公園で開催されました。

また、第18回世界ジャンボリー(オランダ)には14名が参加しました。

 

 

 

 1996年 平成8年

この年に、第4代吉田理事長から第5代刈部理事長にバトンが渡されます。

 

 

 

 

 

  そして翌年1997年 平成9年

第14回県キャンポリー兼第4回関東キャンポリーが群馬県相馬が原で開催され763名が参加しました。

 また日本連盟では75周年記念が行われ、当県からも多くのスカウト・リーダーがステージに立ちました。

 

 

 1998年 平成10年

第5代刈部理事長から第6代川又理事長にバトンが渡ります。

 

 

 

 

 

 

 

第12回日本ジャンボリーが秋田県森吉高原で行われました。

 

 

 

 

 

 

 翌年1999年 平成11年

第10回カブラリー第1回ビーバーラリーが、笠間で行われ、晴天の中笠間の公園にスカウトたちの喚起の声が響き渡りました。この大会は今までのイメージを突き破り、新たな茨城県連盟を感じさせるものでした。

 

 

 

  そして20世紀最後の年 2000年 平成12年。

第6代川又理事長から第7代佐野理事長にバトンが渡されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この年、第5回ベンチャー大会 が大分県久住高原で行われ、また日本連盟主催日米スカウト交換計画派遣が行われました。

 

 

 

 

 

 2001年 平成13年。

第15回県キャンポリーが県連創立50周年を記念して記念大会として行われました。

 

 

 

 

 また、11月には、水戸で県連創立50周年大会が行われました。

50周年テーマは Catch the Scouting Spirits!

 「自ら進んでチャンスを掴め」でした。

 今でも、私たち中にしっかりと息づいています。

 

 

 

 2002年 平成14年

 日本で初めての都市型ジャンボリーである「第13回日本ジャンボリー」が大阪の舞洲(まいしま)スポーツアイランドで開催されました。茨城からは9こ隊と40名以上奉仕指導者が参加しました。

 

 

 

 

 2003年 平成15年

 50年に一度の「公園大会」が行方市で行われ、ボーイスカウトも奉仕しました。

 10月には、第11回カブラリー・第2回ビーバーラリーが、水戸の偕楽園公園で開催されました。

 第20回世界ジャンボリーがタイで開催され、スギリスのウェールズ隊が県内でホームステイしました。

 

 2004年 平成16年

 第6回日本ベンチャー大会が、土浦、水戸、日立の3つの基地が設けられ、土浦は自然と科学、水戸は自然と文化、日立はエネルギーと、それぞれ特長あるプログラムが展開されました。

 

 

 2005年 平成17年

 「第16回茨城県キャンポリー」日立・もとやま自然の森で開催されました。その中に、スカウト運動の普及のための「スカウト体験隊」が設けられ、ローバー隊の活躍により成功裡の終わりました。

 

 

 

 

 2006年 平成18年

 第7代佐野理事長から、第8代竹本理事長にバトンが渡されました。

 

 

 

 

 

 

 

 「第14回日本ジャンボリー」が、石川珠洲で開催され9個隊と60名以上奉仕指導者が参加しました。

 また、富士チャレンジキャンプが山中野営場で行われました。

 

 

 

 

 2007年 平成19年

 世界スカウト運動100周年を記念して、スカウティング発祥の地イギリスで、第21回世界ジャンボリーが行われました。飯塚隊長以下40名1コ隊が参加しました。

 また、第12回カブラリー・第3回ビーバーラリーが牛久運動公園で開催され、それ以外に、ぽちタマの取材や、ねんりんピックの奉仕など大忙しの年となりました。

 

 2008年 平成20年

 大きな行事がない、久々に平和?な1年でした。

 県連としての新指導者養成体系の基盤整備のため、トレーニングチームの強化し初のワークショップを開きました。

 7月、第23回世界ジャンボリーが日本の山口県きらら浜で開催されることが決定しました。

  10月、整備を続けてきた県連野営場がオープンしました。清水委員長、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 2009年 平成21年

  IVYリーグ(茨城・・ベンチャー・ユース・リーグ)が設立され、その最初のイベントである「ベンチャーラリー2009」が3月に実施されました。入賞チームのスカウトは、本日ここでも奉仕しております。5月には日本連盟の新指導者養成訓練体系によるWB研修所の試行コースを茨城で引き受け、

 8月には、第7回ベンチャースカウト大会が実施される予定でしたが、新型インフルエンザのために中止、直後の第17回茨城県キャンポリーは、最新の注意を払って無事に開催されましたが、開会式、閉会式が大雨にたたられました。

 

 

 

 2010年 平成22年

  昨年の夏、「第15回日本ジャンボリー」が、静岡県富士山麓の朝霧高原で開催されました。ブヨと雨に悩まされたジャンボリーでしたが、スカウトたちは大いに楽しんだようです。

 そして、恒例のスカウトフォーラム、指導者のつどいがありました。

 

 

 2011年 平成23年

 3月11日の東日本大震災が発生直後から、県内ローバーが自主的に奉仕活動を開始し、さらに各団に募金の輪が広がりました。

 その義援金は茨城新聞文化福祉事業団を通じて被災地に送りました。

 

 

 

 5月、竹本理事長の肝いりで誘致した全国大会を水戸で開催予定でした が、この震災で開場が被災し使用できなくなったため、急遽、10月に移転予定の三鷹のスカウト会館の感謝式を兼ねて実施しました。

 

 

 

 

 

 

 そして、第8代竹本理事長から、第9代山田理事長にバトンが渡されました。

 

 

 

 

 

 

 また、6月からは、義援金に続く持続的な支援ということで、『ひとりひとつの「ともだち応援」プロジェクト』を県連独自に展開し、「ともだちパック」を県連全体で取り組み、9月に被災地に届けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2012年 平成24年

 8月に第18回茨城県キャンポリーが阿見町ふれあいの森で開催されました。昨年の震災を踏まえて、炊き出しやスカウト技能運動会、第14回茨城県カブラリー・第5回ビーバーラリー(CBR2016)を兼ねた大会となりました。

 

 

 2013年 平成25年

 第16回日本ジャンボリーが山口県きらら浜で開催されました。その後、高萩スカウトフィールドの開拓を開始し、10月には地鎮祭、11月には第1回GBのつどいを行いました。
 12月には、土浦市青少年の家でイングリッシュ・シャワー・キャンプを開催しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2014年 平成26年

 昨年9月に大雨で延期になったベンチャーラリー2013がベンチャーラリー2013-1として、H24.4.27に高萩市内をコースとして実施されました。

 11月には第2回GBのつどいを高萩スカウトフィールドで行いました。

 

 

 2015年 平成27年

 全国ORIZURUキャラバンが、茨城会場(イオンモールつくば)で5/24に開催されました。来場者は1,200人を超え、私どももイオンモールもびっくりでした。

 第23回世界スカウトジャンボリーが山口・きらら浜で開催され、茨城からは3個隊約110名が参加しました。イギリスから2個隊80人が県内各地でホームステイを行いました。

 9月には、常総市の鬼怒川の堤防が決壊し大洪水に見舞われました。いち早く災害対策本部補設け、ボランティアとして復旧支援を行いました。

 

 

 

 

 2016年 平成28年

 第9代山田理事長から、第10代八木理事長にバトンが渡されました。

 スカウトホールとトイレ棟・シャワー棟など一部の施設が完成した高萩スカウトフィールドで第19回茨城県キャンポリーが開催されました。

 

 

 

 

 2017年 平成29年

 3月に、磐梯国立青少年の家において、県連ベンチャーが集まって雪中キャンプに挑戦しました。

 8月には、整備を続けてきた高萩スカウトフィールドがグランドオープンを迎え、ビーバーからローバー・指導者を対象とした日本ジャンボレット2018が秋篠宮殿下ご夫妻をお招きして開催されました。

 また、10月にはカブ・ビーバーラリーが予定されていましたが、台風のために中止となってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 2018年 平成30年

 5月の年次総会で、第2代關連盟長から、第3代山田連盟長にバトンが渡されました。また、大井川知事を名誉連盟長に推戴しました。關連盟長は名誉顧問にご就任いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 ご覧のように、茨城県連の特長は、パイオニア精神でどんどん新たなことにチャレンジしていくところです。

 そして、茨区県連盟のモットー「Scouting is Fun !」は、このパイオニア・スピリッツとスカウティング・スピリッツの上に立って

「楽しく・豊かなスカウティングをやっていくぞ!!」

という茨城のスカウト魂をあらわしたものなのです。

(※文章と写真は必ずしも一致しておりません)