日本ボーイスカウト茨城県連盟
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キミに伝えたい10のこと 「忘れられない思い出」

 

 

食事と人生

村田 隆浩(県連盟ディレクター)

 ボーイスカウトになっての楽しみといえばキャンプ。キャンプの最大のイベントといえば食事である。

 「出されたものは必ず食う、吐いても食う、腐っても食う」

今では考えられないが、私のスカウト時代(平成初期)当時は、“配給”という名のもとに実際に罷り通っていた事実である。

 しかし、当時は本当に食べたのである。

 「本当に食べた」というのは量も食べたが「言葉」の通りに実践していたのである。実際、食べ過ぎて体調を悪くした者もいたし、腐ってしまった肉を食べようと知恵を絞ったこともあった。兎に角、食べることに貪欲であった。

 

 だが、人には得意、不得意というものがある。食べ物などは正にそれに当てはまるであろう。どんなに好き嫌いがないという人でも、これだけはどうしても受け付けない食べ物が一つぐらいはあるはずだ。

 

 新入隊員としてボーイスカウトに入ると、必ず新入隊員歓迎キャンプを行った。このときだけは、後々悪魔のように怖い先輩も仏なのである。しかし、仏であるには理由がある。嫌いな食べ物を聞き出すためである。

 

 食事が始まる。大体がBBQである。そこで最初に配膳してもらえるのが新入である。しかし、お椀の中身を見て失当する。そこには、世の中から抹殺したい、私にとっては食べ物とは言いがたい物体が鎮座しているのである。その瞬間から仏は悪魔へと変貌するのである。そして決まってその一言を言うのである。「それを食べるまで、肉は食べさせない。」

 もう肉大好き年代の我々は天国から奈落の底に落とされるのである。ただ、唯一残されている一本の細い糸は、その食べ物みたいな物体を完食することである。まことに頼りない糸である。しかし、目の前には肉である。大好きな肉である。そして、理性はもろくも崩れ、食わず嫌いという壁を打ち破るのである。もちろん、目には大粒の涙が流れているのは言うまでもない。

 

 しかし、これは自分との戦いである。まだこれならいい。他人の食わず嫌いのために犠牲になるくらい辛いことは無い。

 

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 私が、シニアースカウトだったころである(当時は、ベンチャースカウトのことをシニアースカウトと呼んでいた)。ボーイスカウト隊のキャンプの奉仕でリーダーの食事を作っていた。もちろん、メニューはキャンプの定番カレーである。とは言ってもその量は大変なものである。

 大体、男が作る料理である。先ずは、味と量である。また当時は、ボーイスカウト隊のキャンプというと他隊の隊長はもとより副長や団委員も見学という名のもと食事と遊びに来ていたのである。もちろん、誰が来るか分からないから必然と量は多くなってしまう。

 そんなとき、当時ビーバースカウト隊の隊長であったI隊長が、よりによってケンタッキーフライドチキンの差し入れを持ってきたのである。それも、パーレルパック3つ(10個入りを3つ)。

 なぜ、“よりによって”かというと、当時シニアー隊の隊長はT隊長であった。このT隊長、顔を見ただけでもう泣く子も黙るという恐ろしい隊長なのでる。本当に怖いのではなく恐ろしい隊長だったのだ。御無体という言葉が似合う男であった。

 そんな隊長の大好物がコーラ。キャンプの朝、先ず目が覚めてテントのチャックを開けたら、そこに用意されているのが一杯の寝起きコーラ。その後、歯磨き。そしてコーラで濯ぐ。そう、歯磨きした口の中をコーラでうがいをするのである。

 

 そんな隊長の大嫌いなものが「チキン」。つまり鶏肉がまったく駄目なのである。見るのも駄目なら、会話に登場することすら許さないのである。

 そのキャンプでは、T隊長は仕事の関係で夕飯ごろに来るということであった。そこに登場したのがケンタッキーフライドチキン両手に抱え、ルンルンと登場してきたI隊長だった訳である。確かに、T隊長が来ないのであればうれしい差し入れではあるが、そのときは・・・。I隊長の顔が般若に見えたのは言うまでもない。

 しかし、そんなに時間はない。立野隊長が到着するまでにはどうにかしなくてはいけない。どうにかといっても答えは一つしかない。兎に角「食う」のみだ。人数は5人。チキンは30個。単純計算でも一人6個。とはいっても一人が食うことができる数はせいぜい4つ。ということは、20個しか食うことが出来ず、10個があまることに。

 しかし、あまったのは18個・・・。そのとき奉仕に来ていたシニアー2人の胃袋に入ることとなった。シニアーは1人9個である。

 

 やっとのことで完食。骨も包装紙もきっちり埋めて証拠隠滅した直後、T隊長が到着。そして一言。

 「腹減った。メシ。早く食うぞ。」

 破裂しそうな我々の胃袋に今度はカレーである。さっきまでケンタッキーフライドチキンを食べていましたなんてことは胃袋が裂けても言えず、ただただ、カレーを飲み込むシニアー2名とリーダー3名。

 そんな状況を察してかT隊長から暖かいお言葉が・・・。

 「どうしたお前ら。緊張しているのか?遠慮 せずに食え。俺がよそってやるか」

などという普段では絶対に聞くことが出来ない我々を思いやる単語の数々・・・。そして、追加される大盛りカレー。

 見て見ぬ振りをしているリーダー3名。

 かなりご機嫌なリーダー1名。

 見て見ぬ振りをしているリーダーに助けの眼差しを一生懸命しているのに反応がないことに大人の世界を少し垣間見ているシニアー2名。

だんだんペースが落ちてくると隊長から鞭と飴の言葉。

 「お前らのカレーうまいな。やはり、自分で作ったものはうまいもんだよな。

  ちょっと量はあるけど完食しろよ!」

 『どこがちょっとだよ。もう味なんかわからないよ』

と心の中でさけんで、顔はにっこり。ちょっと大人になった瞬間。

 

 しかし、限界は本当に近づいてきた。

 そこで考えた。そうだ。食事と考えるからつらいんだ。これはスポーツ。食べるスポーツと考えればいい。今、この苦しみを耐えたらランナーズハイが来て至福の瞬間があるはずだ。

 兎に角今は食うぞ!

 

 とは言っても限界は限界である。あと少しというところで僕のスプーンは完全に止まってしまった。

 しかし、唯一人限界に果敢に挑戦し続ける少年がいた。N先輩その人である。風貌こそは、坊主に口ひげという高校生には到底見えないが、限界を知らない胃袋の持ち主なのである。そして、完食。誰からも賞賛はされることはないが、この達成感は何事にも代えられないものである。

 

 しかし、そんなT隊長も仕事の関係で日本を離れることとなった。
 赴任地はアメリカ。

 とは言ってもアメリカは広い。普通アメリカの何処に行くのか知りたいと思うはずだ。みんなそう思っていた。しかし、教えてくれないのだ。何を言ってもはぐらかされてしまう。

 とうとう、直前になって白状した。ケンタッキー州であった。

 そう、ケンタッキーと言えばフライドチキンの聖地のような場所であるではないか。告白した後、雰囲気は・・・。ブッチョウ面のT隊長。笑いをこらえて涙を流している我々。

 

(閑話休題)

 食い物の恨みは恐ろしいというが、楽しい食事もまた人の心に潤いを与える。何を、誰と、どんな場所で食べたか。楽しい食事と楽しい会話。よく食べ、よく話す。それだけでも人生楽しいものであろう。